平穏
「君はよほど暇なのか」
僕は玄関のところに立っているギャリーを見て無表情のまま言った。彼は大きな紙袋を抱えていて、上機嫌な笑顔を見せる。
「暇は作るものだろ」
「何のために作るのかは訊かないでおこう」
僕はそう返してから、彼の背後に他の二人の姿を探したが、どうやら今日はギャリー一人だけが屋敷にきているらしい。どういうことだ。
まだ午前中、空は少しだけ曇っている。ここ数日でかなり気温が下がってきていた。吹いている風は冷たく、立ち話を続けるのも躊躇われる。
「まあアレだ、貢物ってやつ?」
ギャリーが紙袋を僕に差し出してきて、少しだけ僕はそれを見つめたまま固まった。紙袋からはパンやら果物やらが覗いている。確かに食料の差し入れは助かるが、貢物と言ったか?
「正直、君の性格がつかめないな。貢がれても僕は何も返さない」
「見返りを期待してるわけじゃねーし」
「ほう」
「まあ、ちょっとだけは」
「帰ってもらおう」
「冗談だって、冗談!」
ギャリーは笑いながら僕の肩を軽く叩く。目を細めたまま彼を見つめていると、彼も気まずくなったのか後ずさりながら言った。
「ヴィンセントからは空気を読めとか言われてるしな、こういうのも問題なんだろーけどさ。まあ、なんていうか、いらないなら持って帰る」
「……いや、ありがとう。もらうよ」
悩んだし、不本意ではあったが彼の手から紙袋を受け取ると、彼はわざとらしくニヤリと笑った。そのまま彼は踵を返そうとしたが、僕はとりあえず彼を屋敷の中に入るように促した。
「熱湯で煮出した茶くらいは出そう。それ以外は出ないが」
「熱湯……嫌がらせだ」
「それ以外の何があるというんだ」
僕は唇を歪めるようにして笑った。
「君は危機感とやらを覚えないのか」
僕は居間に彼を放置した後、きちんと適度な温度で入れたお茶のカップを運んだ。どうやら一人で屋敷にきたせいか、彼はいつになく緊張しているようには見えたものの、命の危険を感じているから緊張しているとは思えない。
確かに今の僕は女の子の姿をしているけれども。
「……今の時代、若い女が一人暮らしをしているなら何かあると考えるべきだろう」
「一人暮らしっていっても、留守番なんだろ? 兄貴とやらはいつ帰ってくる?」
――確かに、そういう設定だったな。
僕は苦笑した。僕はいつもの椅子に座り、自分のカップをテーブルに置いたまま少しだけ考え込む。そして、ギャリーに訊いた。
「それより、君は何で情報を売る? 小遣い稼ぎと言ったな」
「ああ、何でも経験経験。俺のとこは父親が武器商人やっててさ」
「武器?」
「そういう目すんな。何か、目が輝いたぞ、今」
「いや、売りさばきたい武器がこの屋敷にも――いや、それはまた後で話そう。で、武器商人の息子はその跡を継ぐのか」
「そうなるだろうな。親父がめっちゃ現役バリバリだし、俺が跡を継ぐのはまだ先にはなると思うけど、それまで俺は適当に世の中を見て回ろうと思ってさ。結構、面白い情報に当たることもある。俺の顔を売るのも商売の役に立つし、まあ、それなりに考えてるよ」
ギャリーがいつになく真面目な表情をしている。多少、照れたような目つきでもあったけれど。
「しかし、やっていれば解るだろうが、情報を集めるということも色々危険はあるだろう。情報を欲しがる人間は、まっとうな仕事をしていない場合が多い。何も危機感を覚えたことはないのか?」
「んー。まあ、その辺はヴィンセントに頼ってる感じではある。あいつは頭いいし、勘が鋭いからな」
「見習ったほうがいいだろうな、それは」
つい、本気でそう言うと、ギャリーがため息をついた。
「うちの親父もそう言ってるんだよな、くそ。そのうち、本気でうちに引っ張るかもしれねえ」
「引っ張る?」
「事業拡大ってやつ? 店を増やせば従業員も増やしたくなるもんだろ」
「なるほど」
僕はお茶を啜る彼を見つめながら、薄く笑った。「そういうことなら、そろそろ足を洗ったほうがいいだろうな。小遣い稼ぎでやるには、この仕事は厄介だろう」
「解ってるんだけどなぁ」
「君たちは学校にはいってないのか?」
「いってたらこんな小遣い稼ぎなんてできねー」
「確かに」
ギャリーがそこで苦笑しつつ、僕を興味深そうに見つめた。「珍しく質問攻めだな。じゃあ、こっちも質問しよう。グレースに兄貴がいるのは知ってる。じゃあ、両親は?」
僕は肩を竦めつつ応えた。
「ありがちだとは思うがね。両親は僕が子供の頃に死んだよ」
「あ、ごめん」
――面白いものだ。
ギャリーが申し訳なさそうに眉を顰めるのを見て、僕は笑う。普通の人間の場合、身内の不幸を知ると一様に申し訳なさそうに謝る。様式美みたいなものだろうか。
僕は父親の顔を覚えていない。母が『お父さんは死んだ』とか言っていた気がするだけだ。
貧しい家だった。ただ、母親は綺麗な顔立ちをしていたから――金を稼ぐことはできた。いわゆる、愛妾というやつだろうか。金持ちそうな男が家にやってきて、着飾った母を連れてどこかにいく。そうすれば、母が金を持って帰ってくる。
そして、何かトラブルに巻き込まれて殺された。
「珍しい環境じゃない。ただ、両親が生きていたら、今の自分はいなかっただろうと思う」
これは僕の本音だ。
もしも僕が孤児でなかったら、レティシアに目をつけられることはなかっただろう。いや、それとも同じ運命を辿っただろうか?
立派な両親がそろっているエアリアル・オーガスティンだって、何の因果かレティシアに目をつけられたわけだし。結局のところ、僕も彼女も運が悪かった。そういうことか?
「グレースは俺に足を洗えとか言ったけどさ、そういうお前はどうなの」
「何がだ」
「女の子がこんな生活をしてるのはおかしいってことだよ。せっかく可愛いんだしさ、それを生かして一花咲かせたらどうかって話」
「咲いて早々に散る、ということか」
「違う」
「どちらにせよ、もう僕は終わりだと思うよ」
僕はそう言って小さく苦笑した。ギャリーが困惑したように眉根を寄せた。
「今さら、過去は消せない。やってしまったことを考えればね、僕はろくな死にかたはしないだろう」
それを聞いてギャリーがさらに眉間の皺を深くさせたけれども、彼が何か言う前にドアノッカーの音が響いてきて、僕は椅子から立ち上がった。
何となく、誰がきたのかは予想がついた。
「アレを持ち帰ってくれないか」
僕はドアを開け、そこに立っていたヴィンセントとロッドに笑顔を向けた。
「あ、やっぱり」
ロッドが情けない表情で呟く。ヴィンセントは僅かに警戒したように僕を見つめた後、小さくため息をついた。
「迷惑をかけてすまない。その……大丈夫だったか」
「殺してはいない」
「いや、そういう意味じゃなく」
「強姦されてもいない」
「あ、そう」
ヴィンセントは頭を抱えた。頭痛を覚えたかのようだった。
「ギャリーには言ったけどね、君たちはそろそろ安全な仕事を探したほうがいい」
僕が続けてそう言うと、ヴィンセントが顔を上げて苦々しく笑った。
「解ってる」
「ならいいんだ。さっさとアレを連れて帰ってくれないか」
「それも解ってる」
彼はそう頷いた後で、僕の隣をすり抜けて居間へと歩き出していた。
それからしばらくの間は、平穏な日々だったと言っていいだろう。エアリアル・オーガスティンはなかなか屋敷には戻ってこず、僕はただ待つことしかできなかった。
司法局の動きはよく解らない。ただ、動きが見えないからとはいえ、甘く考えていればこちらの足元を掬われる。あまり動き回るわけにもいかず、ただ僕は隠れ家で魔法の練習をしつつ過ごしていた。
そうしているうちに、年を越した。
「貢物でーす」
久々にギャリーが紙袋を持って訪ねてきた時、僕はドアを開けた瞬間に追い返すことを考えていた。その背後には渋い表情のヴィンセント、曖昧に笑うロッドの姿。
「間に合ってるんだ、食料は」
僕がそう言うと、ギャリーがちっちっち、と舌を鳴らした。
「情報は間に合ってないはずだ。やばいぞ、これは! エアリアル・オーガスティン家に若い男が入った!」
「若い男?」
僕はドアに置いた手に力を込め、低く訊いた。「なかなかの美形か」
「超美形」
ギャリーが続けて「恋敵出現じゃ」と言いかけた瞬間、僕は彼の言葉を遮って続けた。
「接触してくる」
「え、おい、あれ?」
「目当ては女の子……エアリアルじゃ」
困惑する三人組を目の前に、僕は僅かに首を傾げて微笑む。
「そうだな、脅迫してくる、に訂正しよう」




