母、暴走
「うふふふふ」
わたしは混乱のあまり笑っていたらしい。
お父さまが慌てたようにわたしの肩を揺さぶっていた。
「……カウンセリングをお勧めします」
局長代理は危険人物を見るような目でわたしを見て、すぐに視線を逸らす。「むしろ、義務付けします。ちょっと精神状態が怪しそうですし」
「そ、そうだな」
お父さまが途方に暮れたように呟いた。
わたしは働かない頭を振りつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「エアリアル?」
お父さまが慌てたようにわたしの手首を掴んだ。
「ちょっと、頭を冷やしたい」
掠れ気味の声がわたしの口から漏れる。「トイレ、どこかしら」
その後の展開はまあ、お察し下さい。
「エアリアル、落ち着け!」
壁に向かって頭を数回ぶつけ、その痛みを感じて自制心を取り戻そうとしているわたしに、お父さまが叫んでいる。
「お、お父さま!」
わたしは涙を浮かべて叫び返す。「何か、余計なものがついてる! 何か!」
「解ってる解ってる!」
「わたし、こんな身体は嫌ー! 一生このままなんて嫌ー!」
「もちろんだとも! 私も嫌だ! 大丈夫だとも、きっとここの捜査官が凶悪犯を捕まえてくれるから!」
そんなことを、司法局の廊下――しかもトイレの前――で叫んでいると、通り過ぎる捜査官たちが慌てたように逃げていった。誰もこちらに視線を合わせようとしない。
様子を見にきた局長代理も、一緒にいたマチルダに何か言い残すと、踵を返してしまう。
「面倒なことは全部私に押し付けるんだから」
マチルダはブツブツと何か悪態をついた後、わたしたちのそばに歩み寄り、作り笑いを浮かべた。
「奥様が気がつかれましたので、どうぞお戻り下さい」
「あ、ああ」
お父さまが我に返ったように頷き、さらに表情を暗くさせた。
先ほどの部屋――多分、応接室だろうか――に戻ると、お母さまはさめざめと泣いていた。
椅子に座って顔を覆っているお母さまの肩に、お父さまがそっと手を触れると、その泣き顔を上げた。
「あなた! これからどうしたらいいかしら」
「それは……」
お父さまも何と返したらいいか解らず、言葉を濁す。
局長代理は椅子に座って沈黙し、マチルダは不機嫌そうにそんな彼を見つめている。
「お金ならいくらでも出すわ」
ふと、お母さまの目が据わった。「早くその男を捕まえて、娘を元に戻してちょうだい」
その視線を受けた局長代理が、目を細めた。
「お金はいりません。もちろん、犯人の検挙のためには全力を尽くしますが」
「尽くしただけじゃダメなのよ! 結果を出さなきゃ何のために働いてるの!?」
「いや、もちろん結果は出すつもりで」
「全く、話にならないわよ!」
激高したお母さまは誰もとめられない。隣でお父さまも慌てふためいているだけで、何もできないでいるのだ。
「こうなったら、オーガスティン家のあらゆる力を使って中央魔法司法局に圧力をかけてやろうじゃないの!」
「それ、犯罪ですから」
局長代理が頭を抱えた。「それに、中央は色々事件を抱えてまして、地方の事件までは手が回らないもので」
「優秀な捜査官は中央にいるって聞いたわよ!」
「ここにも優秀な捜査官はいます」
局長代理が少し気分を害したかのように声を低くさせた。
「中央? ここは中央魔法司法局じゃないの?」
わたしはふと、マチルダのほうに顔を向けると、彼女は静かに頷いた。
「ここは北部魔法司法局。あなたの事件はうちの管轄なの」
北部……。
確かに、司法局は中央の他にもいくつかに別れていると聞いたことがある。中央魔法司法局だけでは、事件の取締りは難しいのだろう。
最近は魔法による犯罪が多いらしいから。
「それなら信用させて下さらない?」
お母さまの独壇場は続いている。「あなた、局長代理と呼ばれているわね? その手腕を見せて、我々の娘を助けて欲しいのよ」
「だからですね」
「オーガスティン家は色々な公的機関にも寄付金を出してましてね」
お母さまの目が剣呑な光を帯びる。「調べていただいて結構ですが、犯罪に関わるような出資じゃございません。全てクリーンなお付き合いをさせていただいております」
「……そのようですね」
「こちらも色々伝手がございますから、あなたがたが頼りにならなければ、独自に動きたいと思いますが」
「それは脅しでしょうか」
局長代理の表情が険しくなったが、お母さまは冷ややかに微笑む。
「あら、脅されるようなことをするおつもりですか? 例えば、捜査の手を抜くとか?」
「それはありません」
「それなら結構じゃありませんか。期待しておりますから!」
「凄いわね、あなたのお母さま」
マチルダが呆れたようにわたしに囁き、わたしはただ頷いた。
お母さまの暴走を見ていたら、少しだけ頭の中が冷えた気がする。わたしは少しだけ考え込んだ後、マチルダに訊いた。
「グレイ・スターリングに殺されなかったのは奇跡なのかしら?」
「多分ね」
マチルダは無表情に応えた。
「そう。いつか後悔させたいわね。わたしを生かしておいたこと」
わたしの声は、自分でも意外なほどに冷えていた。マチルダがふと興味深そうにわたしを見やり、小さく笑った。
「根性ありそうね」
「財力もあるわよ」
そして視界の隅で、お父さまが疲れたように局長代理に頭を下げているのが見えた。
「申し訳ない。うちのは気だけは強くて」
「全くだ」
「しかしこちらとしても、捜査に協力は惜しまない。だから」
「解っています」
局長代理が軽く手を上げ、お父さまの言葉を遮った。「だから捜査妨害は勘弁して下さい。それと、ご息女をしばらく監視下に置かせていただきたい」