グレイの変化
「本当のところを言うと、本気であなたを疑ってるわけじゃない」
わたしはくーちゃんの頭を撫でながら言った。「ウェクスフォードのカフス、この使い魔のこととかを考えればね」
わたしは彼に今回の事件について大体のことを説明した。説明を省いた部分もある。マチルダやエリザベス、アレックスなどの魔法取締捜査官のこと。彼らの仕事内容をグレイに教えるのは絶対に避けたい。そして、わたしがグレイにとって脅威ではないと思わせたい。グレイを油断させるためだ。
「ただ、レティシアの使い魔がカフスを取り返すために暴れたのは事実だし、あなたがこの事件に関わってないとしても、レティシアが関わっているのは間違いないということよね」
「そうだね」
グレイは話を聞き終わって、何か考え込んでいるようだった。その指先で唇を撫でるのは考え込んでいる時の癖なのだろうか、椅子に座ったまま酷く真剣な目を床に向けている。
「あなたはレティシアの弟子だと聞いたわ。何か知っていることを教えて欲しいの」
「弟子ね」
ふと、グレイは首を横に振った。「少なくとも、彼女がそう考えているかどうかは怪しい。僕は彼女に取って、ただの使用人みたいな扱いを受けている」
「使用人? ただの使用人に禁呪を教える?」
わたしが鋭く言うと、彼はわたしを正面から見つめて応えた。
「必要に応じて、仕方なく、ということだろうね。もし必要性がなければ、魔法を僕に教えることもなかっただろう。彼女は興味のあることにしか自分の時間を使わない。それ以外のことは全て他の人間にやらせていた。掃除も食事の用意も、いらない死体の処理も」
「死体……解剖していたというのは事実?」
「事実だ」
グレイはあっさりと頷いた。「僕には理解できないことだけどね。解剖するなら死んでからのほうがやりやすいと思うけど」
……つまり?
わたしは息を呑んだ。
「死んでなかった?」
わたしが訊くと、グレイは薄く笑って見せた。
「内臓や筋肉などの動きを見たいんだそうだ。生きている状態で」
わたしはベッドから立ち上がった。抱いていたくーちゃんを支えることを忘れていたけれど、くーちゃんはするするとわたしの肩によじ登って床に落ちることはなかった。
「レベッカのお姉さんは?」
わたしはグレイを茫然と見つめていたと思う。
グレイは冷静にわたしを見つめ返していた……ように思ったけれど、どこか痛ましげな感情をその双眸に映したようにも見えた。
「もし、やったのがレティシアの関係者なら、可能性は高い」
「嘘でしょ」
わたしはぐるぐるとその場を歩き回った。「治療魔法にそれは必要なの? あなたの師匠は治療魔法が得意だって聞いたけど――」
「確かに彼女の魔法は凄かったよ。治療だけじゃなく、色々とね。ただ、前も言ったと思うけど彼女は研究者みたいな存在だ。昔から、断末魔に喘ぐ子供たちに対してですら、憐れみも喜びも感じず無感情で息の根を止めるような人だった。だから、研究材料がどうなろうと気にしなかっただろう」
「研究材料……」
わたしは足をとめて彼を見つめなおした。「本当に治療の研究なの?」
「さあ、本当のところは解らない。でも、これだけは解る。君はこの件に関わらないほうがいい」
「は? どうして?」
わたしが素っ頓狂な声を上げると、グレイは肩をすくめて見せる。
「おそらく、僕が一番関わってはいけないんだろうけどね。嫌な感じがする」
「どういう意味?」
「なぜ、ウェクスフォードの人間に使い魔を仕込んだのか。使い魔が孵化するタイミングは、レティシアが設定できるんだと思う。君がウェクスフォードに入学する前に……レティシアが逮捕される前に仕込んだ可能性も否定はできないが、それは非現実的だ。その使い魔はレティシアの目ともなる。おそらく、最初の狙いは監視だよ」
「監視って?」
「君だよ」
グレイは呆れたように笑う。「君は結構、司法局の人間と仲良くやってるみたいじゃないか。それも、中央の連中じゃない。中央が管理しきれない地方の司法局、さらに君は神殿にまで足を延ばしたのかな?」
わたしは眉を顰めてただ沈黙していた。
グレイは意味深な目つきをわたしに向け、さらに続けた。
「正直、君は意外なほど頑張っているからね。普通なら、年頃の娘が男性の身体になったなんてことになったら、屋敷に引きこもって自殺してもおかしくはないと思うんだけど」
「死ねってこと?」
わたしが鏡に詰め寄って彼を睨みつけると、グレイは首を横に振った。
「死なれては困るよ。色々、彼女の狙いとは違う状況が出来上がったのが発端だ。それについては、僕も反省しなくてはならないと思ってる」
「反省って」
「いや、反省のしようもないな。元凶はレティシアだ」
彼は疲れたように髪の毛を掻き上げた。「昔の君とは思えないくらい精神的に強いということが、レティシアにとって計算外だったんだろう。だから、念のために監視しておくべきだと思ったのかな」
「……まるで、昔のわたしを知っているみたいに言うわよね」
わたしは目を細めた。昔のわたしより精神的に強い? 本当に?
グレイの視線はわたしに向けられたままだ。つい、わたしはそんな彼に訊いてみた。
「あなたの魔法で、わたしの失われた記憶は取り戻せる?」
「取り戻したい?」
「当たり前でしょ」
「少し考えさせてくれ」
グレイの返事はわたしにとって意外すぎた。きっと、簡単に断られると思っていたからだ。
「その前に、僕も少し動くつもりだ」
「動く?」
よほど嫌な表情をしたのだろう、わたしを見てグレイが吹き出した。わたしはそんなグレイのほうが不思議だった。何だろう、これがグレイ・スターリングなんだろうか、という違和感。
「君はそのままでいいと思うよ。記憶なんて取り戻さなくてもいいと思うけどね」
やがて彼はくくく、と笑い声をあげなら言った。「今の君も面白いから」
「だからあなたは昔のわたしを」
「僕はね、君のことが好きなんだと思うよ」
急に彼は小さく囁いた。「殺人衝動だと思ってた。『あの時』はね」
「は?」
――何をいきなり。
わたしがさらに鼻の上に皺を寄せて彼を睨むと。
「正直、困惑してる。でも、何とかしなくてはならない。今の状況はかなり問題がある」
「……何かあったの?」
わたしは彼に訊いた。今夜、彼がわたしに問いかけてきた時のように。
すると、彼は今までとは違う笑みを見せた。
「思い出したんだよ、僕はね」
グレイは自分の額を指先で軽く叩いた。「そして、自己嫌悪に陥ってる」
――それはそれは。
全く意味が解らない。
「何もかも片付いたら君にこの身体を返すよ」
グレイのその言葉に、わたしは言葉を失った。
何だか急に色々言われて頭の中が混乱している気がする。彼は本気で言っているのだろうか。
「ただね、いつ問題が片付くか解らないんだよね」
「ちょっと!」
「祈っててくれ」
グレイはそう言って鏡に触れた。「そして、君はおとなしくしていてくれ」
そんなこと、約束はしない。わたしは彼を睨みつけたまま沈黙を守る。すると、彼は苦笑した後に姿を消した。
気づけば鏡の中に映っているのはわたし――エイス・ライオットとしての姿だけ。
「全く、解らない!」
わたしは誰もいない部屋で一人、悪態をつきながら頭を抱え込んだ。
そして、目の前の鏡台を見つめ、低く唸った。
ショック療法として、壁に頭を打ち付けたら記憶が戻ったり……しないわよね。くそう。
とにかく、何となく理解できたのは。
今のグレイ・スターリングは、わたしを殺そうとしていた彼じゃないということ。そして一番の問題は、こんなにも訳が解らなくて困っているのに、このことを相談できる相手がいないということ!
いっそのこと、全部司法局に話せたら楽になるのに!
「グレイのアホ、バカ」
鏡に向かってそう吐き捨てたけれど、鏡の中には変化は現れず、わたしはやがてベッドに倒れ込んで息を吐いた。
翌日もまた、レベッカの姿は学園になかった。
エリザベスからも何も連絡がないので、手帳で彼女を呼び出すか悩みつつ一日が過ぎた。レベッカはどうしたのか、ジェンキンスに呼び出されたマチルダはどうだったのか、カフスの件はどうなったのか、色々訊きたいことはあるのに、下手に動くとまずいのかもしれないという不安もあって、何もできずにいた。
少しだけ勉強にも身が入らず、苛立ちが隠せないまま数日が過ぎて。
「使い魔が死んだんです」
そう、エリザベスが教えてくれたのは、休日の午後。屋敷に訪れた彼女が、いつものように離れでお茶を飲み始めた時のことだった。




