カフス
「あの、レティシアという人は何を考えているんでしょうか」
わたしはマチルダに訊いた。
「何って?」
「女性を解剖とか……何だかまるで、医者のような」
と、わたしは言いかけて黙り込む。治療魔法?
わたしはゼミで死体の解剖に立ち会った。それは治療魔法を学ぶ過程でのことだ。
「治療魔法は得意だったと聞くわね」
マチルダがふと自分の指先で唇を撫でる。眉根を寄せ、酷く真剣な目で何か考え込んでいるのを見ながら、わたしはさらに続けた。
「今回の殺人事件は、それに関係があるんでしょうか? レティシアは中央に逮捕されているといいますが、本当に逮捕されているんですか? まさか、逃げ出しているなんてことは? もしも、現在起きている殺人事件が彼女の手先の人間によるものじゃなくて」
「レティシア本人によるものである可能性は、ということね」
マチルダがわたしの言葉を引き継いで小さく唸る。そして、悩ましげに息を吐いて言った。
「一応、確認したいわね。中央の連中に接触するのは難しいけど、局長なら……ああ、そういえば彼は名前なんていったかしら」
マチルダは何か思い出したかのように顔を上げ、エリザベスを見た。エリザベスは小首を傾げ、すぐに手を叩いて笑った。
「ディーン・リーガンですか。中央局長の孫とかいう」
「そうそう! ディーンだったわね。何だか一回、彼に食事に誘われたわ。あの時は断ったけど、まだ有効なら、こっちから声をかけてみようかしら」
――誘ったのか。
何だか彼は、マチルダのことを美人だとか言っていたけど、付き合っている人がいるなら諦めるとかも言っていたはず。
「でもね、普通科のカフスが落ちていたということは、関係者が学園内にいるという可能性のほうが高いはずなのよね。ああもう、どうしたら正解なのかしら」
マチルダが深いため息をつき、わたしは複雑な気分のまま頷いた。
「やっぱり、学園生活は危険ではないでしょうか? エアリアルさまが狙われたら……」
エリザベスがそう歯切れ悪く言って、マチルダが頭を掻く。
「そうよねえ。エリザベスがもっと年齢が上なら、一時的に学生として転入してもらうこともできるのに、さすがに無理だわ」
「あの、一人でも大丈夫です」
わたしは苦笑しつつ言う。「テスト勉強もしないといけないし、おとなしくしてます」
「ちょっとこっちも局長と相談してみるわ。後で連絡するわね」
「はい」
その後、わたしはマックスと合流して屋敷に戻ることになった。
マチルダとエリザベスは、事後処理があるから、と言って宿屋に残ったようだった。わたしが宿屋を出る時も、何やら二人は事件について話し合っていて、その表情は険しかった。
屋敷に戻れば、お父さまとお母さまが心配そうに出迎えてくれた。どうやらわたしが事件に巻き込まれていたことは、司法局から連絡がいっていたらしい。
お父さまやお母さまも、学園を休んだらどうかと言ってきたけれど、わたしはただ首を横に振った。屋敷に引きこもるよりも、周りの状況が解る場所にいたかったからだ。それに、普通科のことも気になった。
そこに何か手がかりがあるのだろうか。
でも、もし本当に学園内に殺人犯がいたら。
そしてそれが、レティシアの手先だったら?
下手に普通科のことを探ろうとかしないほうがいいんだろう。やっぱり、おとなしくしているべきか。
そして、翌日は普通に学園で授業を受けた。
サイモンはわたしの様子がおかしいことに気づいたらしいけれど、何も訊いてこなかった。ただ、わたしからの説明を待っているようには見えた。でも、説明していい内容ではないのはさすがにわたしも解っていたし、ただ申し訳なさそうに彼を見ると、やがてサイモンも理解したらしい。仕方ないな、と言いたげに笑みを返し、いつもと同じように雑談や勉強の話題を振ってきた。
やっぱりサイモンは頭がいい。
鋭いというか、観察力があるというか。そういうところは、わたしも見習わないといけない、と思う。
最近嫌というほど自覚したのは、わたしは周りを見る余裕がない、ということ。いつだって自分のことで精いっぱいになってしまう。
こういうところを直していかないとなあ、と自分に言い聞かせつつ、時間は過ぎた。
レベッカはさすがに今日は休みだったけれど、彼女のお姉さんが殺されたことは誰も知らないらしく、平穏な一日だった。
放課後、いつものようにゼミに参加して、治療魔法の基礎を習う。
イングラム先生は相変わらずのハイテンションで、色々なことを教えてくれる。教えかたは上手いと思う。ハイペースではあったけれど、指導は的確で解りやすい。
わたしは一瞬だけ彼を疑った。
ピンク色の内臓、とか簡単に言う先生は、明らかに変人だと思う。治療魔法を学ぶために、誰かを殺したりする可能性はないのだろうか、と。
そして、気が付いた。
イングラム先生は、白いシャツの上に黒い上着を着ている。自然とその袖に目がいって、銀色に輝くカフスが目に入る。
月のモチーフ。魔法科。イングラム先生は魔法科の教師。
――カフスは、先生もつけている。生徒だけじゃない。
「生徒名簿には見つかりませんでしたよぉ。やっぱり、あの場にはいなかったのかもしれませんねえ」
その夜、わたしは手帳を介してエリザベスと会話した。手帳の上で小さく浮かぶ彼女の姿。
そこで、ウェクスフォードの生徒名簿は手に入ったかと確認してみる。どうやらすでにエリザベスは生徒名簿で全員の生徒の顔を確認したらしく、少しだけがっかりしたように応えてくれた。
「生徒名簿に先生は載ってた?」
わたしは彼女に訊いた。「カフスは生徒だけがつけてるわけじゃないみたい」
「え、そうなんですか?」
エリザベスもそれは知らなかったようで、表情を引き締めてわたしを見る。「わたし、生徒だけしか確認してません。明日にでも教師も確認してみます」
「うん。結果、教えてね」
わたしが言うと、エリザベスはにこりと笑って手帳の上から消えた。
そして、わたしはベッドに横になって考える。わたしの枕元に、くーちゃんがお腹を上に向けて眠っているのが見えた。相変わらず、晩ご飯を食べてお腹が膨れたら、だらしない恰好で転がっているその姿。緊迫感も何もないんだよなあ。
――檻に入れるべきなんだろうけど、危険性を感じない。
レティシアという魔法使いの考えていることは解らない。なぜ、くーちゃんをわたしの心の中に入れたんだろう。その目的は?
そしてなぜ、わたしは何も覚えていないのか。過去に何があったというんだろう。
「何かあったのか」
急に、部屋に響いた声にわたしは悲鳴を上げそうになった。
わたし以外、誰もいないはずなのに。
気づけば鏡の中に人影があって。
「最悪! 切ったのね!」
わたしはベッドから起き上がり、鏡台へと近寄って睨みつける。
エアリアル・オーガスティンの姿がそこにはある。髪の毛が肩の上で切りそろえられて、酷く活動的に見える少女の姿が。
「いつか伸びるから気にしなくていい」
グレイはあっさりとそう言って髪の毛を掻き上げ、小さく笑っていた。
いつもと同じ、暗い部屋が彼の背後にはある。おそらく、わざと暗い部屋にしているんだろう。わたしに見られても居場所の手がかりが解らないように、わざと明かりを必要以上に使わないのだ。
「こちらも色々とやることがあるんでね」
グレイがそう続けたので、わたしは小さく鼻を鳴らして言った。
「やること? 人を殺したの?」
「……必要ならそうするけど」
彼は目を細めてわたしを見つめ返す。少しだけ不思議そうな色がその瞳に浮かんでいた。
「違うわよ、街で殺人事件が起こってる。その犯人はあなたなの、って訊いてるの」
「殺人事件なんてどこにでも起きるだろう」
彼は苦笑交じりに応えた。「君は何でもかんでも僕を疑いすぎじゃないか」
「疑われることをしてるからね」
わたしは小さくそう言ってから、ベッドに戻って腰を下ろした。そして、くーちゃんの頭を指先で撫でた。
「それで、何かあったのか」
グレイはわたしの様子を怪訝そうに見やり、さらに訊いてきた。でも、わたしは少しだけ考え込んでから首を振った。
「どうせ、わたしが何を教えたってあなたは応えない。だったら説明するだけ時間の無駄だし、あなたも質問する必要はないわ」
「随分達観したね」
「成長したのよ」
わたしは寝ながらくるくる鳴いているくーちゃんを手で拾い上げ、胸元で抱いた。小さい前足がわたしの服を掴んだけれど、その目は閉じたままだ。
「この子はわたしのことが好きなのかしら」
そうぽつりと呟くと、グレイは少しだけ沈黙した後に口を開いた。
「宿主を守る習性があるらしい。そう知ったのは、僕は殺した後だったけれど」
「やっぱり簡単に生き物を殺すのね」
わたしが彼を見上げてそう言うと、グレイは複雑そうに笑った。
「それはレティシアそのものだからね。殺したほうがいいと判断した」
「そのもの?」
「レティシアが作り出した偽の生き物だよ。レティシアが死ねばそれも死ぬだろう」
「じゃあ、わたしが死ねば?」
「正確には解らないが、死ぬかもしれないな。それは君の心を食べて孵化した生き物だ。君の一部でもある」
「一部ね……」
「君の性格を反映している部分もあるんじゃないかな」
グレイは酷く楽しげに笑った。「その警戒心のなさ、とかね」
――むかつく!
わたしが彼を睨んでいると、グレイは少しだけ遠ざかって、どうやら椅子に座ったようだった。今夜はすぐに姿を消すつもりはないんだろうか。わたしとの会話を続ける雰囲気が感じ取れたので、意外に感じる。
「じゃあ、今夜はこちらも少しは情報を渡そう。僕の居場所は言えないけどね、他のことなら」
「本気?」
「今はね。だから、気が変わる前に言ったほうがいい」
わたしはしばらく目を細めて彼を見つめていた。そして、やがて頭を掻きながら口を開く。
「友達のお姉さんが殺されたの。……解剖されてた」
今度はグレイが目を細めてわたしを見つめる番だった。




