図書室の三人
「やっぱり治癒にした」
翌日の放課後、先生から渡されたゼミの申込用紙に記入し終わると、サイモンに声をかけた。
サイモンも申込用紙に記入が終わったらしく、椅子から立ち上がる。
マクレーン先生が用紙を回収するため教室に残っているので、わたしたちは急いでそれを提出した。
「まあ、覚えて損はないだろうしね。しかし、忙しくなるよなあ」
サイモンは机の上に置いてあった教科書をカバンに詰め込みながら、肩をすくめた。
「皆、どうやって勉強してるんだろう。時間ないよね」
わたしは苦笑しつつ言う。勉強の時間、部活の時間、さらにゼミ。
休日は時々カウンセリングに神殿訪問、それ以外はエリザベスとお茶会――いや、勉強会。
死ぬね。
軽く死ねるね。
「エイスは色々やりすぎなんだよ」
サイモンは呆れたようにわたしを見やり、首を振る。
まあ、そりゃそうなんだろうけど。
「さて、エイス君」
と、そこに響いた声。「テストが終わったみたいね。たまには部室に遊びにきてもいいんじゃない?」
「レイチェル」
わたしは教室に突然現れた彼女を見つめる。彼女は扉を開けて腕を組んで立っている。相変わらずの存在感。
「いや、剣術部があるんで」
と、軽く手を振って彼女の脇をすり抜けようとした時、今度は別の声が背後から聞こえた。
「あの、お願いがあるんです」
緊張をはらむ女の子の声。
振り向くと、サイモンの前に女の子が道を塞ぐように立っているのが見えた。
赤毛の長い髪の毛、身長は低いほうだろう。痩せていて、少し顔色が悪かった。
「もし時間がありましたら、一緒に勉強できませんか?」
「え、僕?」
サイモンは戸惑ったように彼女を見る。そしてわたしは、その女の子が昨日、テストの結果を暗い表情で見上げていた子だと気づいた。
「はい。いつも図書室で見かけています。わたしも一緒にやってもいいでしょうか?」
彼女の表情は強ばっていて、とにかく必死、といった様子だった。サイモンは最初は困惑していたものの、やがて笑顔で頷いた。
「別にいいよ。ただ、僕は自分の勉強優先だから……」
「できるだけ邪魔しないようにします。その、でも……たまに質問しても?」
「解ることなら応えるよ。じゃ、一緒にいく?」
「ありがとうございます」
彼女は安堵したように笑い、自分の机からカバンを持ってくると、サイモンと一緒に教室を出ていった。
「取られちゃったわね、彼氏」
わたしのすぐ横で、レイチェルが小さく囁いた。
「取られるとか……」
わたしは眉を顰め、レイチェルにだけ聞こえるように小さく返す。「勉強なら、一人でやるより二人のほうがいいでしょ」
「そりゃねえ」
レイチェルはくすくす笑いながら、ふと小首を傾げて見せた。「っていうか、本当のところはどうなの? 一緒にいることが多いじゃない、彼氏と」
「あのさ、レイチェル」
わたしはため息をついた。「何を期待してるのか解らないけど、サイモンは友人だよ。ちょっと色々あって、こっちの事情を説明したんだ」
「事情? バラしたの?」
レイチェルが目を見開いてわたしを見つめた後、ぐい、とわたしの腕を掴んで教室の外の廊下へと引っ張っていく。
そして、人気のない場所で足をとめて振り返る。
「じゃ、知ってるのね、彼」
「剣術部の先輩も一人、事情を知ってる」
「なんだ……、彼が特別じゃないんだ」
と、そこでレイチェルはあからさまにがっかりした表情をした。
全く、よからぬことを考えてたのか!
「自分が元に戻らない限り、誰とも友人のままだよ」
わたしはレイチェルに静かに言った。「それに、こんな状態じゃ何も考えられない」
「確かにそうでしょうけど」
レイチェルは渋い表情で言った。「その先輩と、さっきの彼氏、どっちが好み?」
いいから話を聞け!
わたしが頭を抱え込んでいると、レイチェルがわたしの肩をぽんぽんと叩く。
「最近、あなたが男の子っぽすぎて嫌なのよ。たまには乙女心を思い出して」
「……善処します」
わたしは唸るように呟く。
でもまあ、もう乙女心なんてものはなくなってしまったかもしれない。
恋愛とか興味ないし、どうでもいい。くーちゃんに乙女心も喰われてしまったのかも。
でも正直、必要ないよね。
少なくとも、グレイから身体を取り戻すまでは。
「彼女、やっぱり特待生だった」
翌日、授業が始まる前にサイモンから声をかけられた。
「特待生?」
そう返しながら、カバンから教科書を取り出して机の上に置く。
「うん、昨日の子。レベッカ・ブランクス。テストで五十位以内に入れなかったらしい」
「ああ、なるほど」
だから必死だったんだな、と思う。わたしはそっと教室を見回して、後ろのほうの席に座ろうとしている彼女に目をとめた。
「まだ第一次試験だし、そうそう簡単に奨学金停止にはならないとは思うけどね。やっぱり大変だよ」
サイモンは同情的な瞳を彼女に向け、唇を噛んだ。他人事ではない、と言いたげな様子。
「勉強は何とかなりそう?」
わたしが訊くと、サイモンは小さく唸った。
「圧倒的に時間が足りない……かなあ」
「時間?」
「話を聞いたんだけどさ、彼女は家事も家の仕事の手伝いもやってるみたいでさ。家に帰るとあまり勉強できないみたいで。放課後勝負だね」
「なるほど」
わたしも小さく唸る。「そうなると、ゼミに入れない場合は痛いね」
「そゆこと」
サイモンは僅かに冗談めかして笑いながら、わたしの肩を叩いた。「それはそうと、たまにはお前も剣術部休んで図書室こいよ。正直、女の子と二人きりで勉強とか、会話に困る」
「そう?」
わたしはつい吹き出して彼の脇腹をつついた。「会話、弾んでそうじゃないか」
「勘弁してくれ」
サイモンはわたしの脇腹攻撃から逃げつつ、わたしを軽く睨む。さらに、少しだけ真面目に続けた。
「お互い、変な噂が立つのも困る。特待生ってだけで、素行の良さも求められるんだから」
なるほどなあ。
わたしは少し考えた後、小さく頷いた。
「つまり、不特定多数の『勉強会』ってことにしておきたいわけだ」
「そう」
「解った、いくよ」
わたしが頷くと、サイモンは安心したように息を吐く。
「ありがとな」
「勉強会は大歓迎だし。後でチャドとマクミランも誘おうよ」
そんなことを話しているうちに、マクレーン先生が教室に入ってきた。
放課後、リオンに部活を休むことを伝えた後でわたしは図書室に向かった。
何だかんだで、学園生活は充実しているみたいだ、と内心で考えながら。
グレイと接触とか、どうやって身体を取り戻すのか、とか、そういったことを考えなければ、毎日が楽しい。やりたいことを好きなだけやれる。
そして、改めてお父さまとお母さまに感謝。こんな家庭に生まれてなければ、今の生活はないのだから。
「レベッカ・ブランクスです。よろしくお願いします」
赤毛の彼女は、わたしを見た瞬間に椅子から立ち上がり、頭を下げてくる。酷く堅苦しい態度だ。
「エイス・ライオットです。よろしくね」
わたしはできるだけ気さくな人間を演じつつ微笑むと、彼女は居心地悪そうに笑みを作る。口元、強ばってますけど!
「とにかく勉強始めよう」
サイモンは短く言うと、図書室の本棚へと向かってしまう。
わたしは持ち込んだカバンを机の上に置き、教科書を取り出した。
「後で、実技室も借りないか」
サイモンが数冊の本を抱えて戻ってくると、わたしたちの顔を交互に見て言った。
「実技室、人気だってね」
わたしは彼の持ってきた本を覗き込みながら言った。
言語読解のための参考書だ。現代言語も、きっと簡単なのは最初のうちだけ。これから難しくなるはずだ。
「実技室って、どうすれば借りられるんですか?」
レベッカがおずおずと口を開く。
「担任に言えば貸してくれるよ」
サイモンは椅子に座りながら応えた。「本当なら一人一部屋がいいんだろうけど、空いてないようなら三人で借りてもいいんじゃないかな」
実技室。
それは、魔法の実技練習のための教室だ。
だいたいの生徒の家庭は、魔法使用許可証を持っていない場合が多い。だから、学園内で練習するしかないのだ。
実技室は、かなり強固に造られているらしい。それと、教師による保護魔法もかけられている。
生徒による魔法の暴走があった場合、学園にとって大きな問題になる。だから、それを防ぐための策が仕掛けられているわけだ。
ただ、実技室は十部屋しかない。希望者による奪い合いの状態だと聞いたけど。
「借りられるまでは順番待ちになるかもね」
サイモンがそう続けると、レベッカは曖昧に頷いた。
「実技、得意なの?」
わたしがつい気になって訊くと、彼女は泣きそうな目をわたしに向けた。
「そこまで余裕ありません。魔法言語読解でつまづいてるんです」
ありゃ。
彼女の表情が歪む。ヤバい、本当に泣きそうだ。
わたしは慌てて教科書を開いた。
「じゃあ、解らないところがあったら教えるよ。解るとこだけしか教えられないけど」
と、わたしが言うと、レベッカはすがるような目でわたしを見つめ直した。
「ありがとうございます!」
ううっ、余計なことを言ってしまったか。
そんなことを考えつつ微笑んで見せる。
そして視界にサイモンの姿が入り。
彼の口が声を出さないまま動いた。
ま・か・せ・た。
任されたくないわー!




