神殿での治療
「参りました! ちょっと休憩させて下さい!」
ディーンが肩で息をしながら膝を手で抑える。ぐったりとした表情をわたしに向け、力なく笑った。
「僕だってそこそこ剣の腕は褒められるのに」
と、納得いかない様子で呟いている。
久々に使った司法局の運動場。わたしとディーンのドームを使った手合わせは、意外なことにわたしが優勢だった。
体術の訓練をしていたせいもあって、相手の攻撃を受け流すことは得意になっていたのが良かったのか。
「おー、やるじゃん」
少し離れた場所でそれを見ていたエドガーは、軽く手を叩く。「俺の出番はないみたいだから、後は放置しとくわ」
「えっ。あの、わたしの訓練は?」
わたしの呼吸は乱れていたものの、まだ体力は有り余っている。ここで放置されたら困る、という視線を投げると、エドガーが小さく唸る。
「俺の任務には、お前の面倒を見るという項目はない」
「書き足しておいて下さいよ」
「嫌だ」
「むーん」
わたしはドームから出て頭を掻いた。「アレックスなら付き合ってくれそうなのに」
「あれは筋肉バカだからな」
「あなたよりは優しいです」
軽くエドガーを睨みながら言うと、一瞬彼は沈黙した後、唇を歪めて笑った。
「面白い」
「何がですか」
「別に」
ニヤニヤ笑う彼にムカつきながら、わたしは近くの床に座っていたクレアの隣に腰を下ろした。
まあいいか、それより気になることがある。
「そう言えば、アレックスは潜入捜査でしたよね。貸倉庫のそばで見ましたけど」
「あー」
エドガーは笑みを消した。そして、わたしを見下ろして続けた。
「結構デカイ事件らしいが、俺は知らん。まだアレックスから何も報告がきてないみたいだし、長引きそうだな」
「ふうん」
「解ってると思うが、関わるなよ」
エドガーが釘を刺してくる。わたしだってそこまでバカじゃない。軽く笑って言葉を返す。
「それより自分のことだけでいっぱいいっぱいです」
「まあ、それもそうか」
ふとエドガーが苦笑を漏らす。
そこに、また別の声が飛んできた。
「元気になったようだな」
いつの間にかシドが気難しい表情で近くに立っている。「だったら事情聴取に付き合ってもらおう。まだ、君から何も聞いてない」
「え」
わたしは彼の鋭い視線を受けて、ちょっと怖じ気づく。でも、これは仕方ないことだ。大人しく立ち上がったところで、やっとディーンがドームから出てきた。
「あれ? 事情聴取受ける側?」
シドとの会話が聞こえていたのか、怪訝そうに首を傾げる彼。
「色々あるんだよ」
エドガーが鼻を鳴らし、そのままディーンの襟首を掴んでドームに引き戻す。「さて、今度は俺が相手してやる」
「今、出てきたばかりなのに!」
ディーンは何とも情けない叫んでいたけれど、エドガーは有無を言わせぬ勢いでドーム専用の剣を構えた。
いいなあ、楽しそうで。
わたしはちょっとだけ羨望の眼差しをディーンに向けた。
「やあやあ、顔色、良くなったみたいだねえ」
シドに連れられて、わたしとクレアが局長室に入ると、相変わらず明るい笑顔の局長が椅子に座っていた。
「ご心配おかけしました」
わたしが頭を下げると、局長はわたしにソファに座るよう促した。そして、クレアに申し訳なさそうな笑顔を向けた。
「ちょっと席を外してもらえるかね? 君のご主人は丁重に扱わせてもらうから」
「……はい」
クレアは無表情に頷き、その後でわたしを見た。心配してる。それが解る。
「ありがとう、大丈夫」
わたしが小さく言うと、クレアは軽く頭を下げて局長室を出て行った。
「さて、何から話すべきか」
局長室が三人だけになると、局長は机の上にあった書類の束をひっくり返し始める。かなりの量の書類だけれども、それらの全てはグレイ・スターリングの事件のものらしい。
ちらりと見えた一番上の書類には、ジェーン・マーチンの名前がある。
「一通り、君については息子から聞いていてね」
局長は書類をパラパラと流し読みしながら言った。「色々不明な点があるとは思っていたんだよ。肉体を交換したのは、何故なのか。おそらく、彼も今の君に接触するのは危険だと解っているはずなのに、今回は随分と危険な行動を起こしてくれた」
それはわたしも不思議だ。グレイの考えていることはよく解らない。
「今までにスターリングに会ったことは?」
「え?」
「誘拐されて肉体を交換される前だよ」
局長は手を書類の上に乗せ、その視線をまっすぐわたしへと向けた。
「ありません」
わたしはすぐに応える。「わたしは屋敷からほとんど出たことはありませんし、ウェクスフォードの学園祭で初めて会ったんだと思います。……覚えてませんけど」
「記憶ってやつは複雑だけどね」
局長は困ったように笑う。「記憶操作はスターリングも得意のようだから、君に話を聞いても本当のところはよく解らんか……」
記憶操作?
そんなこと、わたしもされたんだろうか?
眉間にいつの間にか力が入っていたらしい。わたしはそれに気がついて小さく息を吐いた。
「とりあえず、神殿にはこれから話をしてくる。私が治療中にシャーラに君のことを話したんだが……あ、巫女さんのことね。シャーラは君に興味を持っていたし、今回のことがなくても紹介はするつもりだった。きっと君の力になってくれるだろう。うん、凄いいい人だ」
「シャーラ……様、ですね」
わたしは僅かに緊張しながら頷く。
神殿。
巫女様。
それは、ほとんどわたしたちのような一般人には関わることのない、特別な存在。
……だとわたしは今まで思っていた。
神殿で執り行う神事。それは収穫祭の時の神様への祈りだったり、災害があった時の鎮めの儀式だったり。重要人物が亡くなった時には、葬儀の儀式にも出るとかは聞いたことがある。
そういったことは、ほとんどわたしたちの目の前では行われない。閉鎖的な世界だ。
しかし、神殿の持つ力はこの世界で一番強いと言っても間違いはない。
巫女様というのは、神殿の中でも重要な存在だ。託宣を行ったり、治療魔法を使ったり。
そんな雲上人に、一体どんな話をしたって言うんだろう!
わたしに興味を持ったって!?
わたしが萎縮していることに気づいたのか、局長が安心させるように言葉を続けた。
「大丈夫大丈夫! 神殿は古代魔法言語が飛び交う世界だからね! スターリングだって近寄れないよ! 精神医学だって進んでるしね!」
それは安心できることなんだろうか?
わたしはかろうじて微笑む。
「あ、でもお布施が必要なんでしょうか」
わたしは急に逃げ道を確保する気になった。
わたしが抱えている秘密とか、全部バレてしまうんじゃないだろうか、という不安。
鏡のことは秘密にしておかないといけないし。
「もし、とんでもない金額を言われたら……両親に確認しないと」
「大丈夫大丈夫」
局長がからからと笑いながら手を振った。「私の治療で大金を使ったから、その伝手の紹介ってことでサービスしてくれるってことになってる」
「大金……」
わたしはぼんやりと局長の顔を見つめる。
「治療か……」
ふと、それまで沈黙していたシドが口を開いた。「本当に痔の治療だったのか」
わたしがシドに目をやると、彼は渋い表情で局長を見つめていた。どこか悩ましげな目つきだ。
ハゲハゲ連呼していた時とは違って、真剣な表情。
「何だ、私を事情聴取する気か、息子よ」
局長がニヤリと笑う。
「父の言葉ほど疑わしいものはないからな」
「うわあ、ひっどいわー」
「父よ」
「何だ、ハゲの血を引く者よ」
「真面目に答えろ。正直に言え。本当に痔か? 痔の治療費で、巫女様との面会が補えると?」
シドの表情は局長に茶化されても真剣なままだ。今までで一番真面目な顔つき。
「実は毛根が死滅していると言われて、それの治療も」
と、局長は嘯いたのだったけど。
それから始まったシドの無言の圧力に負けたのか、やがてため息をついた。
「やだねえ、こんな会話、第三者の前でやるべきではないのに」
と、局長がわたしに視線を投げる。
さすがにシドも、その目に後ろめたげな色を浮かべる。
「二人きりなら尚更、誤魔化すだろう?」
シドが小さく呟くと、局長は「まあね」と頷く。
「ま、正直に言えば痔じゃないわな」
局長は椅子にふんぞり返って何故か自慢げに続けた。「心配かけると思ったから言わなかったんだ。それに私の貯金を使い果たすくらい使ったから、知ったらシド君が怒ると思って」
「命に関わる病なら怒るわけないだろう」
シドは僅かにショックを受けたようだった。「むしろ、私だって金の援助くらい」
「ジジイを援助する前に結婚しろよ」
局長は呆れたように言う。「お前が稼いだ金はお前のもんだ。その代わり、自分の金は自分で使おうかと」
「そんなことはどうでもいい」
「えー」
「とにかく、もう治療は終わったのか。体調は?」
「完治」
局長は親指を立てた。「まだ孫の顔も見てないのに死ねるかよ。それに、ここの司法局の連中を放り出して死ぬわけにはいかんだろ。皆、ケツに殻をつけた雛鳥みたいなもんだ」
「そうか」
シドはふと穏やかに笑った。安心したらしい。
「孫を作らなければ父は死ねないわけだな」
「おい馬鹿やめろ」
「冗談だ」
シドの冗談は真面目な表情で言われるものらしい。
でも何となく、この二人の関係は好ましいと思った。




