エドガーの憂鬱
その日の夜、わたしは嫌な夢を見た。
……ような気がする。
とても食事をするような気分ではなかったから、司法局の宿舎に入ると、お風呂だけはゆっくりと使わせてもらった。
そして、与えられた部屋に入るとすぐ、ベッドに横になって寝入ってしまったわけだけど。
悲鳴を上げてベッドから起き上がる。心臓が早鐘を打ち、寝汗がひどい。
「お嬢さま?」
わたしがため息をつきながら髪の毛を掻き上げると、いつの間にか部屋のドアのところにクレアが心配そうな表情で立っているのが見えた。
「クレア、もう朝?」
わたしはぼんやりと呟く。窓のほうを見れば、カーテンの向こう側が明るい。
すっきりしない目覚めだ。全然寝た気がしない。
「はい。大丈夫ですか? ご気分は?」
クレアがゆっくりと近寄り、わたしの額に手をやった。温かい手のひら。
「あんまりよくはないけど、大丈夫大丈夫」
わたしはかろうじて微笑む。クレアを心配させたくはない。
そう、大丈夫。
わたしは強いはずだ。
「いつきたの? お母さまにここに行けと言われた?」
わたしはベッドから降りた。素足だから、床が冷たい。
クレアはわたしの着替えを持ってきてくれたようだ。屋敷にあるはずのシャツやズボンがベッドの足元の上に置いてある。
昨日の夜にベッドの脇に放り出しておいた制服は消えているから、クレアが片付けてくれたんだろう。
「ええ、先ほど着いたばかりです。旦那さまも奥さまも、心配なさってましたよ」
「わたしの神経の図太さは解ってるでしょうにねー。一晩寝たらすっきりししたし」
「うーん、そうでしょうか? お嬢さまは強いのか弱いのか、何だか解らなくなってきました」
クレアの表情は固い。わたしをじっと見つめている気配を感じながら、着替え始める。
「ちょ」
クレアは僅かに慌てたように部屋を出ていった。やはり、肉体が男性というのは色々問題があるようだ。
「ご飯食べにいこう」
着替え終わって廊下に出ると、不機嫌そうな表情のクレアが立っている。わたしがニヤリと笑いつつ言うと、彼女は唇を尖らせた。
「お嬢さまが性格が悪いのは確かですね」
「ひどいなー」
わたしはわざとクレアの肩を抱き寄せ、冗談めかしてぐりぐりと頭を彼女の頭に押し当てた。そして、乱暴に押しのけられる。
「離れてください」
こちらを睨みつけるクレアの表情を見て、わたしは明るく笑う。
とりあえず、冗談を言う精神的余裕はできた。
よし、大丈夫。
わたしは自分に言い聞かせた。
食堂は混んでいた。
クレアと一緒に厨房の窓口に並んで朝食のトレイを受け取り、空いている席を探す。
ちょうど席を立った人たちのテーブルに近づき、腰を下ろすと聞き覚えのある声が飛んでくる。
「よう、お疲れさん」
顔を上げると、エドガーがわたしたちの隣の席に腰を下ろしたところだった。
「お久しぶりです」
わたしが礼儀正しく言うと、彼は苦笑を返した。
「何だか大変そうだけど大丈夫か。厄介なもんを見つけたって聞いたぞ」
「ええ、まあ。そう言えば、あの場にいませんでしたね」
――あの場。
貸倉庫に現れたのはシドとマチルダ、エリザベス。エドガーはいなかった。
「俺は別の厄介事を抱えててな」
そう言いながら、彼はトレイの上にあるパンを引きちぎって口に放り込む。
今朝のメニューは野菜たっぷりのスープにポテトのオムレツ、ソーセージとカリカリのベーコン。
それに、搾りたてらしいオレンジジュース。
「厄介?」
わたしが首を傾げていると、エドガーが食堂の出入り口に目をやってため息をついた。
「あれだ」
彼の視線の先には、二十歳くらいの若い男性の姿。
癖毛の短い黒髪、鍛えられた身体、親しみやすい顔立ち。
その彼はエドガーの姿を見つけると、食事のトレイを手に近寄ってきた。
「おはようございます。席をご一緒しても?」
「あー、どうぞ」
エドガーの声は投げやりだ。彼を見ないように食事に没頭し始めたエドガーの様子に、わたしとクレアは顔を見合わせた。
「ここの食事は美味しいですよねー」
その彼がにこにこしながらソーセージをぱくり。そして、その視線がわたしとクレアに向いた。
「はじめまして、ですよね?」
彼がそう言ってくる。「僕はディーン・リーガンといいます」
「えーと、エイス・ライオットです」
名乗る名前をどうしようか一瞬悩んだものの、ここずっと慣れた名前を選んで応える。
「クレア・コリンズです」
向けられた明るい笑顔に、クレアも戸惑いつつ名乗る。
わたしがエドガーに目をやると、エドガーは眉根を寄せて口を開いた。
「中央の局長のお孫さんだ」
「中央!?」
わたしはつい大きな声を出してしまって、慌てて口を閉じる。
お孫さん――ディーンは情けない笑顔を浮かべ、頭を掻いた。
「すみません、威厳とかない一般人で。ちなみに彼女募集中です」
「それはどうでもいい」
エドガーが疲れたように呟き、ディーンは小さく笑った。
「ええと……」
わたしが言葉を探しながらエドガーを見つめていると、彼は無表情に言った。
「研修ということで、地方の司法局を順番に回ってる。ここでは俺が一緒に行動することになってな……」
「すみません、僕が一緒なので、危険な捜査からは外れてもらってるんです」
ディーンはそう言いながら、もくもくと食べる。何だか中央の局長のお孫さんというわりには、気取らない感じのいい人だ。
「そうだ、彼女募集中と言ったら思い出しました」
ディーンはエドガーに真剣な目を向けた。食事の手もとまっている。
「マチルダさんって、美人ですよね」
「あれはダメだぞ」
エドガーは間髪入れずに応えた。
「えっ、もしかして付き合っ」
「違う。マチルダはおそらく売約済みだ」
「おそらく……」
「多分、勘だが正解だ」
「残念。他を当たります」
あっさり彼は頷いて、ジュースを飲み干した。それから、椅子から立ち上がると明るく訊いた。
「コーヒーもらってきます。エドガー捜査官はいかがです?」
「……頼む」
「はい」
彼は元気よく頷くと、厨房窓口へ素早く近寄る。そして、エドガーが深いため息をついた。
「あれとずっと行動してんだぞ、同情してくれ」
「でも、悪い人じゃなさそうですけど」
わたしが苦笑しながら首を傾げていると、エドガーは恨みがましい目つきでわたしを見た。
「俺はああいうのが苦手なんだ。もっと嫌な感じの奴なら苛めてやるのに」
「何故苛め……」
「中央で生き残れるタイプじゃないだろ。多分、潰されるぞ」
わたしは眉を顰めつつ、昨日のことを思い出していた。
足の引っ張り合い。
中央魔法司法局は、権力争いが激しいらしい?
「ま、中央局長の身内だから、それほど酷い目には遭わないかもしれないけどな。でも、中央っていったら弱いモノは全部食い散らかすケダモノだらけ」
「あの、質問があるんですけど」
わたしは軽く手を上げた。「昨日、ここに中央の局次長というかたがきてましたが、中央ってどういう感じなんでしょう?」
「どういうって?」
「一番偉いのは中央の局長なんですか? 局次長って?」
「ああ……」
エドガーが小さく頷いた。「中央は全部の魔法司法局のトップみたいな感じでな、そこの局長はかなりのじいさんだが一番の権力者だ。その次に偉いのが局次長」
「あれが二番目……」
「中央はガチガチの上下世界だ。うちみたいにハゲ局長が適当に仕切って適当にやってるところとは違う」
「中央は細かく部署が別れてますし、めんどくさいですしね」
――と、ディーンがコーヒーのカップをエドガーの前に起きながら会話に加わった。
ディーンは椅子に座って、コーヒーを啜りながら明るく笑う。
「祖父は僕を中央に引っ張りたいみたいですけど、僕はここみたいなところで働きたいです。僕はそんなに優秀じゃないし」
「自分で言うかね」
エドガーは疲れきった表情でディーンを見つめた後、食事に集中することに決めたようだ。味とか気にしない様子で次々に料理を口に運び、最後にコーヒーを啜る。
「まあ、いいや。少し休んだら運動場にいくか」
エドガーがそう言った瞬間、わたしは思わず口を挟んだ。
「一緒に訓練してもいいですか?」
「……ああ、好きにしろ」
エドガーはどうでもいい、と言いたげに頷き、ディーンは楽しそうに笑みをこぼす。
クレアはわたしの隣でため息をついていた。




