演技は疲れる
サイモンと別れて、わたしは馬車で屋敷へと帰った。
自分でも気づかなかったけれど、かなり緊張していたらしい。いつの間にか馬車の中で眠っていたらしく、気づいたら御者のマックスが扉を開けて声をかけてきていた。
「ご気分でも?」
気遣うように小さく言う彼に慌てて首を振り、馬車から降りた。すると、そこにはクレアが迎えに出ていた。
「お帰りなさいませ」
クレアもまた、心配そうにわたしを見ていた。
いつもの癖で、彼女に泣きつきたくなった。疲れたー、とか、ずっと男の振りなんて無理だー、とか。
でも、かろうじてそれを我慢して彼女に笑いかける。
後ろにはまだマックスがいるし、屋敷の玄関から他の召使いたちが出てきたのも見えたし。
「留守中、何か変わったことあった?」
わたしはできるだけ明るく彼女に訊いた。すると、クレアは小さく頷く。
「離れにエリザベスさまが」
「きてるのか」
わたしは苦笑して頷き返す。「お菓子追加よろしく。わたし、ミルクティが飲みたい」
「かしこまりました」
クレアが屋敷の中に入るのを見送ってから、わたしは離れへと足を向ける。
泣きつく相手を確保したぞ!
そんなことを考えながら、離れの玄関を開けた。
「だんだん、自分を見失うような気がするんだよー」
わたしはいつもの定位置で、テーブルに突っ伏してぼやいた。「男の振り、これは演技だと思っても、何だか前の自分じゃなくなってく気がする」
目の前にいるエリザベスは、いつもと変わらず笑顔だ。
彼女はどうやら少しここでわたしのことを待っていたらしく、三段重ねのティースタンドの皿は空っぽだ。
普通だったら、その皿にはサンドイッチやスコーンやケーキがたくさん乗っているはずなんだけど。
「確かに変わりましたよねえ」
エリザベスはカップのお茶を啜る。「何だかんだ言ったとしても、以前と雰囲気が違います」
「やっぱりそう思う?」
わたしは顔を上げてそう言ったけれど、僅かにエリザベスの視線が鋭いことに気づいて怖じ気づいた。
この幼い風貌に、時々忘れそうになるけど。そういや、彼女は魔法取締捜査官で、得意なのは記憶すること、だったか。
「カウンセリング行ってます?」
エリザベスは小首を傾げる。それはとても可愛らしい仕草だけど、質問はあまり嬉しくないものだった。
「一応、行ってるけど」
わたしはテーブルから身体を引いて、ため息をついた。「何だか、行きたくないんだよね。エリザベスの言いたいことは何となく解る」
「話はカウンセラーに」
「だよね」
わたしは唇を噛んだ。「でも、彼と話をするのが怖いんだ。……嫌なものを思い出すのが前提の会話だから」
もちろん、それは理由の一つだけど、それ以外に大きな理由があるわけで。
「確かにそうでしょうけど」
エリザベスは小さく唸る。「でも、悩んでることは誰かに話さないとキツいと思いますよ」
「だから今、話してる」
「でも、わたしはそっちの専門家じゃないし。変なアドバイスしたら、お姉さまやシドに怒られる」
彼女は頬を膨らませた。明らかに困っているのが解る表情。
「答えが欲しいわけじゃないよ」
わたしは肩をすくめてみせた。
最近は屋敷の中でも『エイス・ライオット』を演じるようになって、気の休まる時間がない。クレアと二人きりになれる時間も減ったし。
自分らしく話せる時間なんて、どこにあるんだ。
「ただ、話したかっただけ。迷惑ならやめる」
「迷惑じゃないですけど!」
途端、エリザベスが泣きそうな表情をする。何だかわたしが苛めたみたいじゃないか。
「できるだけカウンセリングはいくよ」
わたしは罪悪感に駆られてそう言った。「でも、学園に入学したら難しくなりそう。勉強、大変そうだから」
「そうですよね……」
エリザベスは困り切ったように呟く。
「そういえば」
わたしはふと、話を変えた。「わたしが学園に通い始めて、もし学園で何かあったら、どうやって司法局に連絡すればいいの? ずっと見張っててくれるわけじゃないよね?」
「……確かに」
彼女は少し考え込んだ。それから、辺りを見回して立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出した。
「これ、いただいてもいいですか?」
彼女が取った本は、普通の一般小説だった。暇つぶしのために本棚に放り込んであった中の一冊。
わたしが頷くと、彼女はその本を手のひらの上に乗せて呪文を詠唱した。軽やかに舞い踊る魔法言語の渦。キラキラと輝く光。
その本は宙に浮かび、やがてページはバラバラに剥がれていった。そして、形を変えて纏まっていく。
光が消えると同時に、エリザベスの手のひらの上に、見たことのない手帳が二冊あった。
赤い表紙のそれを一つこちらに渡して、彼女はもう片方をパラパラとめくった。
わたしも表紙を開いて中を見てみる。ページは真っ白で何も書かれていない。
「何かあったら、この手帳に呼びかけてください。もしくは何か書き込んだり、破いたりしてでも構いません。わたしには解るようにしてあります」
「ありがとう、助かる」
わたしが手帳を閉じてそう言った時、辺りに呼び鈴のような音が響いた。どうやら誰かが離れの玄関にきたらしい。エリザベスの仕掛けた魔法に触れて、来訪者の存在を鈴の音で知らせてきた。
そういえばクレアがまだお茶を持ってきてなかったな、と思い出す。随分時間が経った気がするけど。
「申し訳ありません、お嬢さま」
やがて、この部屋の扉をノックして、クレアが入ってくる。しかしその手には何も持ってはいなかった。
「母屋のほうへ、レイチェルさまがお見えになっています。お会いになりますか?」
「レイチェルが?」
わたしは一瞬悩んだ。エリザベスを見ると、彼女はにこにこ笑いながら頭を下げてくる。
「じゃあ、わたしは帰りますね! 魔法の勉強はまた今度にしましょう」
「ごめん」
「いいえ! こちらも予告なしでお邪魔してますし! 次はその手帳でお知らせしてから伺います。お菓子だけ食べにきたみたいですが、違いますからね!」
彼女は酷く元気よく言い残すと、部屋を出ていった。
「あらあ」
クレアと一緒に母屋の応接室にいくと、わたしの姿を見たレイチェルがソファから立ち上がって声を上げた。「話には聞いていたけど、本当に男の子なのね」
レイチェル・ハリスは以前会った時より髪の毛が伸びていた。肩の上で切りそろえられていたけれど、それがよく似合っている。
「久しぶり! というか、初めまして、かな」
わたしは彼女に笑いかけながらそう言って、彼女の向かい側にあるソファに腰を下ろした。レイチェルもソファに座ったけれど、まじまじとわたしの姿を観察して言葉を探しているようだ。
まあ、驚かないはずがない。
「話は誰から?」
わたしが問いかけると、レイチェルは我に返ったかのように息を大きく吐いた。
「伯母さま……あなたのお母さまね」
「なるほど」
少し前に、お母さまが言っていた。
同じウェクスフォード学園に通うなら、事情はある程度話しておいたほうがいいでしょう、と。
確かに、協力者はいたほうがいい。ただでさえ、学園生活は不安だらけだし。
「災難だったわね。例の誘拐事件、まだ犯人は捕まっていないんでしょう?」
「うん」
わたしはぎこちなく微笑む。
実は、グレイ・スターリングの最初の目的がレイチェルであったことは、司法局のほうから口止めされていて彼女には話が伝わってはいない。
わたし、エアリアル・オーガスティンは魔法使いの変態に誘拐され、肉体を入れ替えさせられた、とだけ説明されているはずだ。
グレイ・スターリングが未成年であることもあり、彼の犯した殺人は司法局だけしか知らない事実なのだ。そりゃもちろん、犯罪被害者の家族には伝わっているようだけど、それでも未成年者は司法によって守られるべき存在なのだとか。
人権だとか、若者に更正のチャンスを、だとか理由はあるみたいだ。
しかしバカバカしい話ではある。グレイみたいな化け物は、どうやっても更正できないだろうに。
「でも、こんな状態で入学するなんて勇気あるわ。わたしだったら屋敷に引きこもるけど」
若干、レイチェルは呆れているようにも見えた。まあ、それも理解できる。
できることなら、安全な屋敷に引きこもっていたいとわたしも思う。でも、そんなことをしていたら、自分の肉体を取り戻すチャンスは皆無だ。
多少の――多大かもしれない――危険は覚悟の上である。
「迷惑をかけるかもしれないけど、ごめんね」
わたしがそう言って軽く頭を下げると、彼女は楽しげに笑う。
「こんな面白いことはないわよ。協力は全力でするに決まってるじゃない。とりあえず、事前に打ち合わせは必要でしょ?」
「ありがとう。うん、話は合わせておきたい」
そう話しているところへ、クレアがミルクティとティースタンドを運んできた。
疲れている時の甘いものはとても魅力的だ。わたしはミルクティのカップを手に取ると、一口呑んだ。
そして、レイチェルがじっとわたしの仕草を見つめていることに気づく。
「何?」
わたしが首を傾げると、レイチェルが苦笑を返してきた。
「いえ、男の子の仕草が板に付いてるな、って」
「仕込まれたから」
わたしは鼻を鳴らした。「今はレイチェルとクレアしかいないから口調はこんなだけど、外に出たら完全に男だよ」
わたしは部屋の隅に控えているクレアに視線を投げ、ニヤリと笑う。
クレアの表情が渋くなる。
そして、レイチェルが小さく声を上げて笑った。
「やっぱり、演劇部にきなさいよ。歓迎するわよ」
レイチェルはこの状況を楽しんでいるようだった。わたしは小さく唸る。
「考えとく」




