今度こそ、友達に
「は?」
エアリアルが素っ頓狂な声を上げて眉を顰めた。
わたしは握られていた手を見下ろした。綺麗な指。
でも、もしその指が汚れていたら?
無邪気にすら思えるその笑顔の裏に、別の感情が隠れていないって断言できる?
「エイス君はあなたの婚約者だったんじゃないんですか? なんで笑ってられるんですか?」
わたしは俯いたまま続けた。「事故なんて信じません。だって、彼は強かったもの。剣の腕だって……」
「あの、レベッカ」
「どうして笑ってられるんですか。それは、彼のことを何とも思ってなかったからじゃないんですか。もしかしたらサイモンと仲がいいのだって、そう、もしかしたら」
「いや、あの」
「あなたが……いえ、あなたたちがエイス君を殺したんじゃ」
「ちょ、ちょっと待って!」
そこでエアリアルが我に返ったように大きな声を上げた。いきなり肩を強く掴まれてがくがくと揺さぶられた。
解ってる!
これがとんでもない考えだって。
でも、でも!
おかしいよ、絶対!
でも、考えだしたらとまらない。もしもエアリアルとサイモンが……エイス君とは内緒で会っていたとしたらどう?
婚約者のエイス君の存在が邪魔になったなんてこと、考えたりしない?
だいたい、サイモンの様子も前から少しだけおかしかった。エイス君への態度とか、何だか……何だか!
「あの、先生!」
エアリアルは慌てたように辺りを見回し、わたしたちの不穏な会話に驚いて固まっている皆に気づいて顔を赤く染めた。「ここ、魔法を使ってもいいんですよね! ちょっと内輪の話があって!」
と、叫びつつ、返事を待たずに呪文の詠唱を始めた。
顧問の先生は困惑しつつもそれに頷き、何か言おうと口を開きかける。
でも、その前にエアリアルの魔法が完成した。
気が付けば、わたしたちの周りを取り囲むようにしてできあがった、球状の壁。キラキラと輝き、硬質な滑らかさも含むもの。それは、わたしが今まで目にしたことのない魔法だった。学園で習ったことのない、高度な魔法。そう直感で解る。
「これなら誰にも聞こえない」
エアリアルはそこで大きく息を吐くと、わたしの肩を掴んだ手に力を込めた。
わたしはそんな彼女を見つめたけれども、視界の隅にレイチェルが魔法の壁に手を置いて何か口を動かしているのも見えていた。でも、レイチェルの声は聞こえない。
しかし、確かに声は聞こえないしこちらの声も伝わらないのかもしれないけど。ものすごく目立っているのは無視していいんだろうか。
「っていうかレベッカ、凄いことを思いつくね」
エアリアルはふと、苦笑交じりにそう言った。
何だろう、この親し気な様子。ほぼ初対面だというのに。
「あの、わたしはあなたを疑って」
わたしがそうきつい口調で言いかけた瞬間、エアリアルが慌ててそれを遮って首を傾げる。
「ずっと言いたいと思ってた。でも、色々問題があって、言い出せなかった」
「……何が、ですか」
「だからね、レベッカ」
そこで彼女は困ったように眉根を寄せた。「わたしが、エイス・ライオットなの」
「は?」
「いえ、エイス・ライオットだった。簡単に短く説明するとね、悪い魔法使いに男性の身体にさせられていた、ってことで」
「え?」
「だから」
「エイス君、が、あなた?」
何を言ってるんだろう。
頭がそれを受け入れるのを拒否する。何それ、悪い魔法使いに……って、そんな馬鹿な話……。
「司法局に口止めされていたというか、それでもサイモンとか剣術部の先輩には言ってしまったのは、やむをえずというか。やっと、問題が片付いたの。全部、元通りになった。元の自分に戻れた。でも、もう男性だった『わたし』はいないから、死んだってことになったの。事故死だってことに」
「何、それ。信じられない」
わたしは茫然としてと思う。
でも何となく、それが真実なんだって頭のどこかが言っていた。そんなの信じたくないから、聞こえないようにしただけで。
「ごめん、レベッカ」
エアリアルの声が少しだけ低くなる。申し訳なさそうな表情、それでも困ったように笑って。
「あの時、後で話そうって言ったのに時間が取れなかった。本当は、全部話して……本当の友達になれたら、って思ってたのに」
そう言った彼女の表情が、確かに……見慣れたものだと気づく。
一緒に図書室で勉強していた時とかの。
――婚約者、いるって言ってたよね。
――表向きはね。
あの、時とか。
嘘。
そして、暗転。
一瞬、気を失っていたのか、茫然自失していたのか。
気が付けば、エアリアルが慌てたようにわたしの身体を支えつつ、頬を軽く叩いていた。
わたしが息を吐くと、彼女は安堵したように微笑む。
「驚かせてごめんね」
そう言った彼女の表情は、確かにエイス君とよく似たものだった。その口調のせいもあったかもしれない。男の子みたいな口調。女の子みたいな口調とごちゃ混ぜになって、確かに黙っていれば凄まじいまでの美少女なのに、口を開くとただそれだけじゃないって思わせる。
「何だか、久しぶりに学園にきたら、変な感じがする」
彼女は困惑したように続けた。「もう女の子なんだから、もっとおしとやかにしなきゃいけないのは解ってるけど、どうしても地が出てしまうというか、以前の……エイス・ライオットの時の癖が出てしまうというか。駄目よね、これじゃ」
わたしは自分が床に座り込んでいることに気づいた。
それと、魔法の壁の向こう側で、演劇部の部員たちが心配そうにこちらを窺っている様子にも。
その途端、頬が燃えるように熱くなった。
わたし、何を言った?
エアリアルに何を。
それはもう、とんでもないことを。
「まあ、信じてもらえないのも当然だと思う」
エアリアルが静かに続けている。
彼女の顔を見ることができず、わたしはただ床に視線を落とした。
「でもやっと、隠し事なしでおしゃべりできるのはありがたいよね。もう、ずっとつらかったよ。ずっと、演技してたんだもの」
「演技……」
「そう」
エアリアルは肩をすくめ、何故か照れたように笑う。「結構、男の子の振りは楽しかったけど……やっぱり……うん」
「何?」
わたしがそっと顔を上げて彼女の表情を盗み見ようとすると。
急に彼女はわたしを抱きしめる。
そして、わたしの耳元で小さく囁く。
「クレアよりも少し小さい。うん、いい感じだよね」
「え」
わたしは咄嗟に彼女の身体を押しのけたけれど、心臓が変に暴れ出していることに戸惑った。冷めたと思った頬がまた熱を持つ。
「ゆっくり話そう? そして、今度こそ、友達になろう?」
エアリアルがそう言うのを酷く他人事のように聞きながら。
――どうしよう。
わたしは泣きたくなった。
好き、だったのに。
エイス君のこと、好きだったのに。
こんなのってある? こんな失恋なんて。
涙が頬を伝わる感触に我に返る。そして、慌てて顔を覆う。
エアリアルが慌てたようにわたしを抱きしめて。その柔らかい感触が、とても気持ちいいと感じながら。
やっぱり、好きなんだ、と思った。
今でも、まだ。
どうしても忘れられないんだ、と。
「サイモンは知ってたの?」
目尻を乱暴に手の甲で拭いながら、わたしは小さく彼女に訊いた。
すると、エアリアルは頷きながら笑う。
「うん。サイモンには、エイス・ライオットの時から言ってたんだ……言ってたのよね。わたしは実は、エアリアルという名前の女の子なんだ、って」
「ああ……だから」
だから昨日、エアリアルが転学してきてすぐに気づいたのかもしれない。
同じ名前の子がタイミングよく転学。そんなこと、あり得ないって。
「でもびっくりしたよ」
エアリアルがわたしの手を取って、優しく立たせる。その仕草は、とても女の子らしいとは言えない。確かに男の子のようなもの。
「……レベッカの想像力に驚いたというか」
そう聞いて、わたしは今度は別の意味で泣きたくなった。
ああ、もう……。
過去を消したい。さっきのあれを。
「何なのよ、痴話げんか?」
魔法の壁をエアリアルが壊すと、すぐにレイチェルが興味津津といった様子で声をかけてきた。
「やめてよね! そういうの、何て言うか知ってる? 恋愛脳っていうんだから! 何でもかんでも恋愛につなげようって魂胆でしょ」
エアリアルがむっとしたように手を挙げて抗議している。
「まあ、別に女の子同士で抱き合っていても問題はないけどぉ」
レイチェルが腕を組んでにやりと笑う。
「あります」
と、エアリアルが反射的に応えたけれど、すぐにその表情が緩む。
「……ないかな」
……あると思う。わたしは。
「しかし、驚いたわね。あなた、Aクラスだっていった?」
演劇部の顧問の先生がエアリアルに声をかけている。「さっきの魔法、誰に習ったの?」
「いえ、それは……」
エアリアルの視線が僅かに泳いだ。「えと、父が雇ってくれた魔法の師匠が……腕利きで」
「凄いわねえ」
先生は純粋に驚いているようで、エアリアルの挙動不審な様子には気づいていないようだった。「ぜひ、あなたのような子は演劇部に欲しいわ。可愛いから舞台に上がっても目立つだろうし、魔法の腕も確かなら舞台の準備だって楽々だものね」
「いえ! わたしは剣術部に!」
「え、何を言ってるの?」
先生は無邪気に続ける。「剣術部は男の子しか入れないわよ」
「え」
そこで彼女の動きがぴたりと止まった。「何それ」
「普通に考えたら当然でしょ」
レイチェルが馬鹿にしたように小さく笑う。「うちの剣術部に女の子がいた? いないでしょ?」
「あ、え、と」
何故か救いを求めるかのようにエアリアルがわたしを見やる。
わたしはつい、小さく笑って言った。
「うちは仕立て屋ですから、もし衣装が必要でしたらお作りしますが」
「裏切者!」
そんな理不尽な言葉を投げつけてきたエアリアルは、今にも泣きそうな表情をしていた。
そして、その表情のまま演劇部の部室から逃げるように出て行ってしまった。
「あなたも大変ね」
レイチェルもまた、何故か同情したような目つきでわたしを見ていた。「エアリアルは色々抜けてるところがあるから、助けてあげてちょうだい」
「あ、はい」
そう頷きつつ、わたしはまだもやもやとした感情を自分の中に抱え込んでいた。認めたくない感情。それが確かにわたしの中にあった。
「断られた……剣術部……」
翌日の放課後、肩を落として小さく囁いたエアリアルの様子は、まさに絶望の底にいると言いたげな雰囲気すらまとっていた。
サイモンの机の脇に立って、サイモンの制服の裾を掴んで立ち尽くしている彼女。
サイモンが素っ気なく「あ、そう」と言って、わたしはそんな彼らをただ見つめていた。
「聞いたの?」
サイモンがやがて、ぼんやりと立っていたわたしに目を向け、小さく訊いた。「エアリアルの正体について」
「……うん」
わたしも小さく返す。すると、サイモンが苦笑した。
「まあ、簡単には信じられないよね。僕も最初は随分……困惑したよ」
エアリアルはそんな会話をしているわたしたちのことを無視して、何やら呟いていた。
「……女の子って理由で、おかしくない?」
とか。
「女の子だって、強くなりたいという気持ちがあるのは仕方ないことで」
とか。
「悪いけど、離して」
サイモンがエアリアルの手をそっと自分の制服から引きはがそうとしている。「皆に誤解されると困るし」
「納得いかないわよ!」
急にエアリアルがサイモンの手を掴んで大声を上げた。「差別よ差別! この際、女の子だけの剣術部を作ってもいいはずだわ!」
「それより勉強しなよ」
サイモンが何とか彼女の手を押しのけた。「部活に時間をかけていて、それでもAクラスを維持できるんなら別にとめないけど」
「うう」
そこでエアリアルが近くにあった椅子に腰を下ろした。そして、疲れたように頭を掻きながら息を吐き、おそらく無意識だったのだろうけど、足を組んだ。エイス君と同じような仕草で。
「足」
サイモンがすかさず注意した。
すると、我に返ったエアリアルが、慌てて足を組むのをやめておしとやかに爪先を揃えて座りなおす。それだけ見たら、本当にいいところのご令嬢、といった感じなんだけれど。
「まあ、無理しないで」
サイモンがそこで少しだけ表情を和らげて笑う。きっと、きつい物言いになってしまったことを反省したのか、気まずくなったのか。
エアリアルの頭を軽く撫で、囁く。
「女の子らしくしていたほうが似合うと思うよ」
――何、これ。
奇妙な感情がちりちりと胸の中を這いまわる。
サイモンは誰にでも優しい。そう、わたしにだってとても親切だ。
だから、きっとその仕草も言葉も、他意はないのかもしれない。
でも。
どうしよう。
わたしは自分の感情を持て余していた。
うん、友情だもの。エアリアルは女の子だもの。
わたしが好きになったエイス・ライオットはもういない。そうでしょう? あれは違う。もう、存在しない。
でも、エアリアルの頭を撫でたサイモンの手を咄嗟に押しのけたくなったわたしは……どうしよう。
友情、だよね?
恋じゃない、よね。
わたしは思わず、エアリアルに抱き付いてぎゅっと腕に力を込めた。すると、エアリアルが嬉しそうに小さく笑う。そして、抱き付きかえしてくる。
ああ、困った。この人、可愛いんだ。
「道を踏み外さないようにね」
サイモンがわたしに小さく言った。
「ど、努力します」
わたしも小さく応えた。
番外編3 了




