2話 飛行生物
2 飛行生物
「え――。なんでついて行ったらだめなんだよ――。」
「当然だろ。お前が来たら、ややこしくなるだろ。」
俺は彼に背を向けて、玄関へと向かう狭い廊下を歩く。
「それでも一人は淋しい!せっかく会えたのにまた一人になるなんて。うあ―。」
リオは思いっきり俺の背中に飛び込んできた。ふいだったので、体が宙に浮き、そのまま前に倒れてしまった。顎を床に思いっきり打ち付ける。
「いって― ちょっとお前。離れろ。」
「いやだよ―」
俺は体をひねったり、もがいたり、両腕を使ってリオを引きはがそうと試みるが、リオは俺の体に巻きつくように腕を回しているので、簡単にはいかない。それにこいつの抱擁力は無駄に力が強い。もう体が痛かった。
10分ぐらいして、やっとのことで体が自由になった。冬なのに体中が汗だらけになった。
「お願いだから。ハァー。ハァ。ここにいてくれ。ハァ。」
息は上がりきって、話すだけでも苦しい。
「ええ――――――」
そしてリオは、顔を風船のように膨らました。
「むー。わかったよぉ。」
口を尖らせて、プンプンと言っている。
「その代わり早く帰ってきてよ!」
そう言ってリビングルームに戻っていった。
(たぶん。全然納得していないと思う。)
俺は深く息を吐いた。廊下に転がっていたカバンを肩にかけ、そして外に出た。
今日の空も晴れだった。青く澄んで透き通っていた。とても清々しかった。朝のヘトヘトになった疲労感が少し抜けた気がした。
少し早めに歩いた。
住宅街を抜け、竹林に挟まれた道を通り、市街地の公道に出た。公道では朝から多くの車がエンジンの音を建物に反響させながら、忙しく行きかっている。ここら辺の所で一番騒がしい場所でもある。
市街地を抜けると、緩やかな丘に出た。一面緑が広がっていた。風が吹き、草がなびく。その流れが、緑の大きなさざ波となって、やさしく流れていった。
冬の冷たい風だけど、なぜかここの風だけは暖かく感じた。
十分ほど歩くと、丘を越える。すると学校が見えてくる。俺が通っている学校だ。普通現代のコンクリート造りの学校だ。四階建てだ。
学校の正門に近づいていく。なんだか妙に騒がしい音が聞こえる。何か感じながらも門をくぐる。するとある校舎の一角に生徒が群がっていたのが目に入った。先生も何人かいた。いつもは無い現象だ。気にはなった。だが朝の格闘をした俺は、体力的に、その場を素通りするという選択をした。
教室に入ってからも、クラスの中はやけに騒がしかった。だが俺には関係なかった。窓際の席で独り、空を眺めていた。一つの小さな雲が青い空に浮いている。
「よっ。またボーっとしてるのか。」
机の前からのっぽの少年が歩いてきた。優助だ。
横目で彼の姿を確認し、また空に目をやる。
「なんだよ。しけたつらしてんな。そんなに空が好きか。」
「ああ。空は広くて自由でいい。」
優助は、鼻を鳴らした。前にある椅子の背もたれに軽く座り、俺と同じ空を眺める。
「空は自由か。あの時も、そんなこと言ってたな。」
俺は何も反応しない。
「まっ。そんな事はどうでもいいか。」
妙に笑う優助だった。
「それより、あの事件知ってるか。」
あの事件?
聞きなれない言葉を聞いて、目だけを優助に合わせる。
「なんだそれ。」
「ん。知らんのか。」
優助は椅子の背もたれからぴょんと離れ、立ち上がって、俺を見る。
「知らない。第一、『あれ』じゃ分からないって。」
「まあ。そうやな。」
納得する優助。俺は視線を空に戻す。
「んで。何があった。」
気の抜けた、ほとんど棒読みに近い言葉で聞いてみた。
「なんかさ。怪奇現象っていう奴か。北棟の四階のガラスと花瓶などの陶器類が、朝来たら全部割れていたんだと。」
全身に鳥肌が駆け巡った。思わず優助の顔を見る。
「本当か。」
「ああ。らしいで。」
口の中の水分がどんどん蒸発していく。体の血液の流れが強く伝わる。
「それで今は、どうなっている。」
「何か警察が来て、いろいろと見たらしい。んで結果的には、不良のいたずら、ということになったみたいだな。」
淡々と優助は話した。
俺は何とかして平然を装うために、何もなかったように、そのまま外を眺めようとした。
「そうか。」
と一言を残して……。
優助は、首を左右にひねった。そして少しの間その場にいた。
「まっ。世の中物騒ってことだ。」
優助は、ケロッとした顔をして、俺に背を向けて口笛をヒューッと吹きながら、ゆっくりと離れていった。
「フウ―――――。」
大きな、そして大きなため息を吐いた。
しかしまさか、昨日の事件が、学校に影響が出ていたとは……。
気が重くなる。
(とんでもないことに巻き込まれてしまったのか……。)
深く頭が苦しくなった。そのせいで午前の授業は、全く耳に入らなかった。窓の外をただボーっと眺めていた。
昼休みになった。
俺は校舎の屋上へ上った。どんよりした頭を晴らしたかった。ベンチの上に寝転がり、また空を眺めた。
太陽の穏やかな光が、ほのかに暖かい。
青く澄んだ空に、一つの雲が一定の速さで形を変えながらゆっくりと流れていく。
(本当に雲って自由だよな。)
ふとそんなことを思った。昔も今もこれだけは変わっていなかった。のんびりと昼休みの時間を過ごした。
そろそろ午後の授業が始まる時間になった。俺はベンチから起き上がり階段の入口に向かった。
その時だった。
入口の扉のすぐ横の壁が、急に眩い閃光を放ち出したのだ。そして徐々に光は強くなり、黙視できないほどに強く光りだした。思わず目を手で覆い、瞑った。
ガラガラガラ。
一瞬、岩が崩れたような音が聞こえた。だけど、何が起きたかは分からなかった。そして今度はゆっくりと光は弱くなり、元の明るさに戻った。
俺は光が消えたのを感じ、ゆっくりと瞼を開いた。
絶句した。
人が横向きになって倒れていた。今俺の目の前に倒れていたのだ。
薄いオレンジ色の服に白のスカート。銀色の長い髪に、背中には大きな二枚の翼。天使だと思った。
だが彼女の服はひどく汚れていた。茶色の焦げ跡が至る所にあり、翼はボロボロになっていた。右腕からは血が流れている。
恐るおそる一歩ずつ近づき、覗き込むようにして彼女の顔を見る。目閉じたまま動かない。
(生きているのか?)
口元に手をかざす。微かだが息の流れを感じ取った。
ほっと息をついた。
次に、彼女の赤く出血している右肩に、手をかざし触れてみる。人差し指の先に赤い血が付着する。
俺はポケットからハンカチを取り出した。そして、傷を巻こうとハンカチを肩に持っていこうとした。
「バシッ!」
傷の手当てをしようとしたその手は、無情にも弾かれた。
彼女は目を覚ました。そして俺の手を叩き、振り払うと、すぐさま立ち上がり、後ろに下がった。
彼女はとても鋭い目つきで、俺を睨みつける。
俺はその場から動かず、ただ彼女の眼を見返す。
冬の冷たい風が、二人の間を吹き抜けていく。外にある木が、ざわざわと騒ぎ、枯葉が宙を舞い、彼女の銀色の髪が揺れる。
そして風が止まると、何も言わず少女は、身を振り返らせ、翼を大きく広げ、学校の外へ飛んで行ってしまった。
俺は、しばらくの間、飛んで行った少女を見ていた。姿が見えなくなった後、少女が現れた、階段の入口の横の白壁に向かった。そっと壁に手を当てた。何も変わりなかった。ただ冷たくザラザラした感触のある普通の壁だった。
風がまた俺の後ろを不思議にも流れていった。
学校からの帰り道、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。壁の向こうの世界からきた謎の少年に助けを求められ、今度は屋上の壁から出てきた、翼をもった少女に、頬を叩かれ、飛んで逃げて行く。
普通では考えられないことが起こっている。
もう頭が痛い。考えれば考えるほど、ひどく頭が締め付けられる。
とにかく今日も早く帰って寝よう。そしたら少しは楽になれるだろう。俺は、歩くスピードを上げ家に向かった。家に着き扉に手をかけ、入った。
「淋しかったよー。うわー。」
リオは、猪のごとく、俺に飛び込んできた。
不意を突かれた俺は、そのまま床に背中から倒れた。
リオは、顔を真っ赤にして、俺の胸にこすり付けていた。
「分かったから離れろって。」
俺はリオの肩をつかみ、引きはがそうと抵抗する。
「やだ。今離れたらもう会えないよー。」
「んなわけねえだろ。」
またまた、五分ぐらい玄関前の格闘が繰り広げられていた。
やっと、本当にやっとの思いで、リオの拘束から逃れられた。そしてそのままソファーに頭から突っ込んだ。疲労感が半端なく体にのしかかっていた。その重い体を少し持ち上げ、彼に視線を当てた。
リオはまだ目をこすりながら、ぐすんと泣いていた。
「おいおい。もう泣くなよ。」
「だって、こんな密室に一人ぼっちなんて、怖かったんだよ。うっ。」
また大きく泣き始めた。
俺は、大きく息を吐いた。ソファーから起き上がり、テーブルの上に置いてあったティッシュ箱から五枚ほどティッシュを取り、リオに渡してやった。彼はそれを顔に貼り付けるようにして、拭いた。
俺は、リモコンを手に取って、ソファーに持たれかかり、テレビの電源を入れた。
ブーンという鈍い音と共に画面が光る。リモコンのボタンを押し適当にチャンネルを変えた。
俺が適当にそんなことをしていると、涙をふき終わったリオは、ゆっくりと俺に近づき、俺を見ながらテレビを指さして、これ何。と聞いてきた。俺は一旦リモコンから手を放す。
「あれ。お前テレビ知らないのか。」
「だって、僕の世界にはないよ。」
世界が違うと、やっぱりそういうことが起こるのか。
「ねえ教えて。」
「ああ。わかった。単純に言うと、世間の情報を知ったり、面白い番組を見て楽しむことのできるものだ。」
リオは顔をきょとんとさせる。まあそういう反応しても無理ないか。
「まあ。慣れたら分かるよ。」
そう言って、またテレビを見た。
今テレビからは、天気予報が流れていた。
各地で初雪が観測された。と言って、雪が降っている映像が流れていた。
もうその時期か。何か最近は時間が経つのが早く感じるな。と少し過去のことぽっつんと思い浮かべる。
「ね。何ボーっとしてるの。」
気がつくと、リオが覗き込むようにして、心配そうに見ている。
おいおい。せっかく過去の懐かしい記憶を思い出していたのに……。
「いや。なんでもない。」
そっけなく答えて、目線をそらした。
「絶対何かあった。」
リオは俺の顔の前に移動し、まじまじと見つめてきた。
「何もないって。」
「隠しても無駄だよ。絶対何かあった。」
「だから何もないって。」
目線をそらせば、動いてきて、また目線をそらせば、目を合わせる位置に動いてくる。しまいには、背中の上にのしかかってきた。
俺は、そのままソファーに体を押し付けられた。
(もうこいつの無邪気さにはかなわねえ。)
「さあ参ったか。」
リオは、自分が勝ち誇ったのを確信したかのごとく、言った。
「はいはい。参った。参った。降参。降参。だから退いてくれ。」
俺は大きく両手を上げた。これで止めてくれるかと思った。
だが、甘かった。
「じゃあ。遊んでよ。」
(お前は、幼稚園児か!)
「それは無理だ。」
「なんで!」
「今俺は、疲れて……。」
言いかけた途端、俺の体は宙を浮いた。
リオが背中に上から覆いかぶさるようにして抱き付き、そのまま俺の体を持ち上げたのだ。俺はソファーから無理矢理剥がされ、そして床に落とされた。
床にはマットを敷いていたおかげで、痛くはなかったが、それでも驚きを隠せなかった。
「さあ。遊んで。」
リオは、仰向けになった俺の上に乗り、わくわくしたまなざしを向けている。
俺は絶体絶命のピンチだと思った。
その時だった。テレビの画面から妙なニュースが耳に入ってきた。
「‥‥‥次のニュースです。○○市内に正体不明の飛行生物が現れたという情報が入りました。」
飛行生物‥‥‥?
俺は仰向けの状態から、顔だけを無理やりテレビの方に向けた。
目に飛び込んできたのは「謎の飛行生物現る」という見出しとともに、その姿が写し出されていた。その姿は、あの時に屋上で出会ったあの翼の少女に似ていた。
「リオ、すまん。退いてくれ。」
俺がワッと大声を出したので、リオは驚きながらも素直に俺の上から退いた。俺はテレビに近づき、その映像を目を凝らしてよく見た。
間違いなかった。
すぐにテレビの電源を消して、ハンガーにかかっているジャンバーを取り上から羽織った。真っ直ぐに玄関に向かう。
後ろからドタドタと足音を立ててリオが走ってきた。
「どうしたの。どこに行くんだよ。」
「ちょっとそこまで。」
「僕も行くよ!」
俺は靴紐を結ぶ手を止め後ろに振り返る。
リオは、口をムッと閉じ、目を若干光らしている。
俺はハァーとため息をつき、前に向き直る。
「いいよ。ついてこい。」
そう言うと、リオはヤッターと言って飛び上がった。そして俺の背中に飛びついてきた。
おいおいそんな暇なんて無いぞ‥‥‥。




