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恋を知らない素導師様は  〜君という難問に抗えない〜  作者: 井ノ上 杏
第一章 出会いと保護

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第1話 白銀の素導師

素導師(そどうし)様がもう少しで来てくれるからね、心配しなくていいよ」

それが、私が″この世界″で何度も言われた言葉だった。

このときはまだ、自分が“視えない存在”だとは知らなかった。


 私を取り囲む、素朴でどこか優しい雰囲気の村人たち。街道から一本逸れた小道の木陰で私は眠りこけていたらしい。私は自分のことも、どこから来たのかも分からず、保護されていた。

村人たちは、目が合うたびに同じ言葉を繰り返した。「大丈夫、素導師様が来てくれるから」、と。


「そ……どうし……さま?」

私の言葉に数人の村人がこちらを見た。

「そうだよ、たまたま近くにいらっしゃったんだよ」

「ここらへんじゃ素導師様なんて滅多にお目にかかれないからな」


 黒々とした険しい山を背に、白い漆喰と赤レンガの壁と鈍い灰色のスレート屋根の小さな家々が身を寄せ合っていた。

(ここはどこなの)

心もとなさが重苦しく胸を押しつぶす。日が傾いて、村人たちは夕食の準備や子どもの世話を理由に、一人また一人と家へ帰っていく。身をすくめた私に、誰かが膝掛けを差し出してくれた。


「おい、お越しだぞ! 村長、こっちです!」

皆が振り返った先に人影が見えた。年配の男性と、そのすぐ後ろにマント姿の男性。彼の周りだけ空気の屈折率が違うように思えた。

光を受けて淡く揺れる銀色の髪と薄い藤色の瞳。

――圧倒的な美は、人に畏怖の念を抱かせるんだ。

私は目を離せなかった。


 私たちの元へやってきた彼は、端正な彫刻のような口を開いた。

「それで? 私に()てほしいというのは?」

落ち着いたトーンの澄んだ声だった。

彼を案内してきた村長が「こちらのお嬢さんですよ」と私を手で示す。

「……」

その若い男性はまじまじと穴の開くほど私を凝視した。少しの間の後、視線だけを傍らの村長へと鋭く送ると、「私が、この者を、視る……?」と一言ずつ区切りながら確認した。


「ええ、そうですよ。彼女は街道へ通じる村の道沿いに倒れていたんです。記憶がないんだそうですよ」

「……それで、なぜ私に視てほしいと?」

どこか突き放すような響き。

「名前も、どこから来たかも、何にも分からないんだそうで」

「……だから、なぜ私に……」

彼は無駄だと悟ったのか、みなまで言わず、苛立ったように首を振った。


「素導師様なら何かお分かりになるんじゃないかと思いまして」

 素導師様と呼ばれる若い男性は困惑しきった様子で額に手をやりながら、ため息混じりに言った。

「私には、その人の属する源素(げんそ)()ることしかできない……」

「それでも構いません! 我々には他に手立てがないのです!」

村長は拝み倒さんばかりの勢いで彼に頼み込んだ。


「何卒お願いします! 素導師様なら、都市や各所とも繋がりがおありでしょう? このような田舎暮らしの我々には、どうしたらよいのかさっぱり分からんのです。どうか知恵をお貸しください!」

「……視るだけだ……」

根負けした様子で、彼はため息をついてマントの下から革製の巾着袋を取り出した。


 マントの隙間から、上着の長い裾がちらりと見える。純白の絹のような上質な生地に施された緻密な刺繍。素朴なウールのマントと不釣り合いな豪華さが、私の心に残像となって焼き付いた。

彼が革袋から取り出したのは、ガラスの塊のようなものだった。無数の小さな丸みを帯びた角がついている。

(まるで溶けかかった大きな金平糖みたい)


 彼は屈み込むと不意に私の手を取って、両手で水をすくう形を作らせた。

「落とさないように」

そう注意を促しながら、私の手のひらへ静かにその透明な塊を乗せた。さらに彼は、かすかに触れるかどうかという力加減で、私の両手を自身の両手でそっと包み込んだ。

手の中にある冷ややかな質感と彼の手から伝わる体温。二種類の温度に戸惑う私の前で、彼は静かに目を伏せると、私には全く分からない呪文を紡ぎはじめた。


 まるで祈りのような神聖な空気が流れる。

塊の内側深く、その中心からほのかにチカチカと、星の瞬きに似た光が生まれた。私は吸い込まれるように、その中心を見つめ続けた。

(……綺麗)

揺れる白銀の光に見入っていると、それは次第に光量を増してゆき、満月の光のような力強い輝きを見せた。だが、その輝きは何の予兆もなくふっとかき消えてしまった。


 数人の村人が息を呑んだ。あとに残されたのは、重苦しいほどの静寂。

どうしたのかと彼を見上げた私は、その整った顔に浮かぶ表情を目にして凍りついた。彼は目を見開いたまま、信じがたいものを目の当たりにしたかのように私を凝視していた。


 その表情は驚きを通り越した、もはや「恐怖」だった。

私の手を包み込む彼の手が、こわばる。

(あ、そうか)

――彼が恐れているのは、私なんだ。


 背筋に嫌な感覚が上ってきて、鳥肌が立った。彼の瞳には、今の私がどのように映っているのだろうか。恐怖を(たた)えた藤色の瞳を直視できない。かといって、彼の手を振り払う勇気も持てず、私はゆっくりとぎこちなく目を伏せた。

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