「要するに君は、ソファほど単純には…」
「要するに君は、ソファほど単純にはいかないってことだね」苦笑しながら彼女はようやくそう切り出した。
「そうじゃないよ。でも、あるいはそうなのかもしれない」
「なによそれ」
「だって手と足が生えてて動き回ってるんだ。ソファと違って色々と面倒な変化があるんだよ」
「ほんとに面倒ね」彼女は小さくつぶやいた。そして立ち上がってどこかに行った。
僕は彼女についてほぼ全てのことを受け入れているけど、それは言いなりとは違う。僕と彼女は川を挟んで対岸同士にかかる緩やかで素朴な木製のアーチのようなものだ。同じような強さで来てもらわないと、こちらからも上手く押し返すことは出来ないんだ。そんな言い方をされてもさ…
背を預けて目をつぶってソファの上でそんな事を反芻していると、ふっとした瞬間に途端に僕の恐れ一式が下の方に吸収されていった感じがした。あっ。あっ、もういいんだ。そんな回りくどいやり取りなんかをしなくても、もう…。ううーん。
「嬉しかったよ。もちろん」
「え、なんか言った?」彼女がキッチンの方から答えた。
「言った」
「よく聞こえなかったんだけど?」やはりそう来たか、とちょっとは思った。でも、もうそんな事は気にもならない。
「嬉しかった。国定公園の滝がぜんぶ逆流してカンパリソーダになっちゃうぐらい嬉しかった」僕にしては砲弾が飛び出るくらいの勢いでそう言った。気のせいか僕の背中に控えているピンク色の壁的な応援団も一斉に口をほの字に変形させたみたいだった。
「ねえ、たったいま歴史的証言が得られたような気がするんだけど、気のせいかしら?」
「気のせいなもんか、この立派で甘々桃色ラグジュアリーな、その、なんだ……ファーストクラスみたいなこのへんてこな、座り心地のせいだ」僕に野蛮な声を出す力はもう残っていなかった(そしてもちろんファーストクラスに乗ったことなどない)。
「へえ、気に入ってもらえたのね。よかったわ」
夕焼けが窓の外に満ちるとともに、僕の中にもじんわりとした、毛細管的に沁みわたる感覚が広がっていた。平原を区切っていた川はいつしかしっとりとした地面に姿を変えてから気持ちの良い草原となり、水の上にかかっていた茶色のアーチも、柔和な桃色のベンチに似たオブジェのような物に変容を始めている。あれ?これってここにお二人で座ると幸運が訪れます的なやつかな。でも他の誰かには座ってほしくないな。やっぱりこれは、
「さてと」彼女が心なしか上気した顔でやってきて隣りに座った。
「先ほどの続きを聞かせて貰おうかしら。もしあればだけど」
僕は何も答えずに、この先に何が聞こえるのかゆっくりと耳を済ませてみた。
それは今は聞こえないけれど確かに聞こえるものだ。そう、遥か彼方の草原で僕と彼女がこんな風に会話を交わしている。受信が充分でない短波ラジオの音声のように、その話し声を僕は捉えている。
…その必要は無いんだよ。Bボタンで加速してAボタンでぐいっと叫んでみたら永遠に飛んでいられそうなんだ。だからもうこれ以上何かを伝えることなんてないだろう?
…そう。それならいいわ。じゃあ我々はとっても良い買い物をしたってことね。
…もちろん。でも買ったというより、君が狩りに行ったという感じもするけどね、ふふ。
…あはは、そうね。じゃあもし君も私が狩ってきたって言ったら気分を悪くする?
…なんだって、ふふ。でもそれはね、狩りって言うよりもね、
…言うよりも、なに?
…んん、なんだろう?
…(遠い鳥のさえずりにかき消され、二人の話し声はもう聞こえない)
彼女と僕は部屋の灯りも付けないまま、そこにだんまりと座っていた。新しいソファも黙ってそこに位置している。その沈黙は、もはや我々のものと大して変わらない。
どうやって僕が彼女とこうやって一緒になったのか、そして二人を支えるこの物言わぬ柔らかな丘をどうしてここに迎えることが出来たのか。その問いが生み出した答えは、うっすらと溶け出した無臭の香りとなって充分に室内を満たした後に、窓の外の仄かな暗がりに時間をかけてゆっくりと溶けていった。




