頑張ったご褒美
紹介されたのは、いくつかの焼き網を挟むように、ベンチタイプの座席が設けられた酒場。
市場と提携もしていて、買った食材を持ち込める――という話だった。
昔、来た事のある店なのは、これも縁か。
「こんにちはー。予約してたフィニスですけど」
「あ、いらっしゃいませ!」
声に反応して、店員さんが振り返る。
ぴこん、と薄茶の猫耳と髪の毛が揺れた。
白い三角巾に紺色のエプロン。
夏の日差しに似合っている、半袖シャツとショートパンツから、しなやかで細い腕と足が覗く。
見覚えがある女の子だった。
手足はすらりと伸びて、随分と大人っぽく――なってはいるのだけれど、面影は色濃く残っていた。
外見はもちろん、挨拶の元気さも。
「あ……」
そして何故か赤面される。
赤くなった頬に両手を当てて、うつむいた。
後頭部に視線が突き刺さる。
「……マスター。何したんです」
「いや、何もしてない……よね?」
店員さんは慌てて頷く。
「は、はい。ええと……持ち込み食材ですよね」
「ええ。……貝焼きセットって今もあります?」
「あります。昔からの看板メニューですからね」
笑顔で頷く店員さん。
「席でお待ち下さい」
そして店の方に消えて行く後ろ姿を見送ると、三人でベンチに腰掛ける。
私と向かい合わせに、リズとブリジット――馬車と同じ並びだ。
私の隣には、木箱。
バーゲストが、ふんふんと鼻を寄せて匂いを嗅ぐ。
「……それで? 中身は、なんなんだ?」
ブリジットが聞く。
「ブリジットは、覚えてるかな。ウェスフィアの事」
「……忘れるはずもない」
真面目な顔になって頷くブリジット。
敵国の工業都市でありオアシス都市である砂漠の宝石を一つ、灰に変えた。
地獄をリストレアに創らせないために、私達は地獄の創り手になった。
でもそれはそれとして。
「その前に、うちの死霊騎士を木箱に詰めて運んできたよね」
「ああ。そうだったな」
「……もしかして、中身『カニ』なんですか?」
リズがじっと木箱を見る。
また、がさごそと音がした。
「うん。"保護"もあるけど、やっぱり生かしたのが一番いいかなって」
かなり値が張ったが、『せっかくの旅行』だし、『頑張ったご褒美』だと、免罪符をフル活用して自分を納得させた。
参考は、リタル温泉のレストランで、高級コースを注文するお客様。
「なるほど。……え、カニの調達のために、サマルカンドを使ったのか?」
「うん」
ブリジットが呆れ顔になった。
「……リストレアでも指折りの上位悪魔に、わざわざ食材を見に行かせるのは、お前ぐらいだよ」
「平和になると、『サマルカンドじゃないと出来ない』事って、あんまりなくてねえ」
彼は上位悪魔……長く生き、特に確固たる目的もなく、軍に所属していた。
ただの一度の反抗もない……『模範的な』軍人だったと聞く。
命令に反抗するには、そこに自分がなくてはいけない。
リストレアという国に、一応ながら愛着は持っていたようで、命令に反抗するほどの理由を、持ち合わせていなかった。
命令にそれほどおかしな物がなかったというのもある。
『魔王軍最高幹部"病毒の王"を殺せ』という命令が下されるまでは。
重大だが、一歩間違えれば反逆行為として裁かれる。
それでも、サマルカンドに命令を下した者も……本人も、私は所詮お飾りだと思っていたようだ。
適度に侮られるのも仕事だったので、無理もない。
その彼は今、私との"血の契約"の影響で基礎能力が底上げされた事もあり、戦争後半の経験もあり……何より、多くのデーモンがリタルサイドとイトリアで果てた事により、名実共に指折りの上位悪魔だ。
「一応、契約の関係で、頭の中のぼんやりしたイメージを伝えられるのもあったり。形によっても味が違うし、そもそも私が思ってるようなカニがいるのかとか」
「……なるほど? いや、でもやっぱおかしいような……」
「おかしくありません。――知り合いにお願いしただけ、だよ」
サマルカンドは、私のために何かするのが喜びだと言い切る、特殊な精神構造と、重すぎる忠誠心を持つ。
たまに無理のない範囲で何かお願いしないと、彼の心の健康によくない。
固定されていない木箱の蓋を外してベンチに立てかけると、中身を取り出して、湿った木屑を払った。
つぶらな黒い目と目が合ったような気はするが、今から食べるのでちょっと目をそらす。
日本で言う、タラバガニによく似ている。
私は、しっかりと本体を挟み込むように持って、二人の前に突き出した。
「これがカニ!」
リズのそんな表情を、初めて見た。
耳が下がり、目を見開いて、青ざめた――愕然とした顔。
「え……それ、食材……ですか?」
うねうねと、波打つようにリズのマフラーが揺れている。
果たして、一体どのような感情だろうか。
機嫌がいい時のようにも見えるし、攻撃姿勢にも似ている。
「……カニってそんな見た目だったのか」
ブリジットも耳が下がり、眉をひそめ、口元を手で隠して私が持っているカニをじっと注視している。
見慣れない見た目への警戒心と、怖いもの見たさの好奇心が戦っているらしい。
落ち着いて悠然と、そして凜と立ついつもの姿からは、ほど遠い。
二人共、中々いい反応だ。
思ったより怯えられたけど。
「怖くないよー」
ハサミを持って、振って見せる。
と同時に、脚がわきわきと動いた。
「はあ……」
「本当に食べ物なんだよな……?」
「深い所に棲んでるみたいだから水揚げ量は少なくて、あんまり見かけないかもだけど。ちゃんと現地の漁師さんと魚屋さんに教えてもらったやつだから」
二人のカニデビューをどうするかは迷ったが、王道の大型のカニを用意した。
せっかくなので、がっつり食べたい。
それでも食べ放題と言うほどの量は確保出来なかったが、一人一匹あるので、食べではある。
「……でも、これ厳密にはカニじゃないかも」
「マスターの故郷のとは、違うんですか?」
「いや。見た目からして、多分似た品種なんだけどね。これ、ヤドカリに近い種っぽくて。足の数が少なかったり」
「……つまり本来もっと多いのか」
「足が八本と、ハサミのある腕が二本だね。これはハサミ入れて八本しかないでしょ?」
「そう……だな」
じっと視線を注ぐブリジット。
そこで、彼女は隣のリズを見た。
「ところでリズ。ヤドカリって、知ってるか?」
「知りません」
「……私ね。ヤドカリを知らないって言われたの、初めて」
カルチャーギャップ。
世界からして隔たりがあるのだから、仕方ないかもしれないが。
私は、ワールドギャップにも慣れてきた。
ただ、やっぱりたまには、戸惑う事もある。
でも今では、前向きに楽しめるようになってきた。
「ちなみにマスター、故郷では食べた事あるんですか?」
「高級食材だけど、食べた事あるよ。でも多分タラバじゃなくてズワイだったし、鍋だった」
「たらば?」
「ずわい?」
「品種名だよ。他にもいるけどね」
日本人はカニが好きだ。
私もその例に漏れないが、高級品種のカニをいつでも好きなだけたらふく食べられる人は、そういないだろう。
親戚の集まり……? だったような。
多分私がまだ若い頃で……妹の位置からは鍋が遠くて、取り皿によそってやったような事と、カニの味しか覚えてない。
残っている記憶は優先度順ではないと思うのだけど、中にはこういう美味な思い出もある。
周りの人の顔も思い出せないのは、単純に忘れてるだけのような。
「お待たせしました!」
そこへ、店員さんがお盆に載せたビールと、貝の入ったブリキのバケツを持ってやって来た。
どこか懐かしい光景だ。
「カニ、処理してきますね」
「ありがとう。大丈夫?」
「任せて下さい」
頼もしい返事だ。
木箱を持って厨房の方へ戻る店員さん。
「――"炎耐性付与"」
私は、一応、炎と熱への耐性を付与しておく。
以前とは違い、全ての耐性を引き上げる事も出来る身ではあるが、口の中の熱耐性を上げると熱々を楽しむ事さえ出来ない。
上位死霊の身も、魔法も、万能ではないのだ。
火バサミも用意されているが、バケツに入った二枚貝を素手で、炭火が熾った焼き網の上に並べていく。
「ところでリズ。毒味って」
「あらゆる意味で要りませんよ」
もっともだ。
私はもう最高幹部ではないし、毒で死ぬとも思えない。
「イチャイチャって」
「食べてる時ぐらい自重して下さい」
正論だ。
調子に乗りすぎたかとうなだれる私に、リズが微笑んだ。
「そういうのは、また後で」
リズがくれるご褒美がストレートになったと思う今日この頃だ。