捕まえられる幸せ
私は、ちょっと手を伸ばしてブリジットのポニーテールに触れた。
そしてしばらく、銀髪の間に手を差し込んだり、軽く揺らしてその動きを見たりして、もてあそぶ。
「どうした?」
ブリジットが微笑みながら聞く。
「つい。せっかく長くて綺麗な銀髪だから、色々な髪型を試してみて欲しい気もするんだけど」
髪を下ろした姿は入浴時や就寝時など、今までもよく見ているし、旅行中は首の後ろでまとめた姿も見ている。
けれど、あまり凝ったアレンジをしているのを見た事はなかった。
「……やっぱり、ポニーテールが一番ブリジットらしいかも」
「もう、随分と長いからな」
ブリジットが、なおも髪で遊ぶ私の手を軽く掴んで止めた。
「で、この動きとその発言にどんな関係が?」
「特にない。そう言えばポニテを思うさま触らせて貰った事なかったなって」
「……そうか」
諦めたように手を離すブリジット。
しばし無心で、自分の手の動きに合わせて揺れる髪とたわむれる。
背後のリズが、ぽつりと呟いた。
「……私も、髪伸ばすべきですかね」
「私は長いのも好きだから、リズがそうしたいなら歓迎するけど――初めて会った時からそれぐらいの長さだから、私は今の長さが馴染みがあって、好きかな」
多少は時期によって前後はするけれど、彼女はこまめにカットして、今の長さを維持している。
しかし、さすがにいつもの黒い大型ナイフではないとは言え、割と大きなナイフで無造作にそんな事をする。
あまりに事故が怖いので、拝み倒して散髪の道具はハサミにしてもらった。
「……そうですか?」
リズの口元が緩むと、知らず知らずのうちに、私の口元も緩んでいた。
「うん――リズぐらいの長さだと、ね。こんな風に、髪に下から手を差し込みながら、頭を抱えられるの」
有言実行しつつ、私はリズの艶やかな銀髪に指先を差し込むようにして、後頭部に手を回した。
「ま、待って下さいマスター。この体勢って――んっ」
もちろん、この体勢から普通に抱きしめる事も出来る。
この体勢のまま、彼女の金色の瞳を見つめ続ける事も出来る。
けれど。
人の欲望に限りはない。
だから、私は自分の欲望に身を委ねて、リズの頭を引き寄せるようにしてくちづけた。
枷を掛けねば、人の欲望は、時に人を傷付ける。
けれど、それを受け入れてくれる人もいる。
私は、これでも自分に枷を掛けている。
傷付けたいわけでは、ないから。
それでも、私の枷を外し、鎖をほどいてくれたのは――リズなのだ。
私はリズを信じていて、リズは私を信じている。そういう確信がある。
不安な訳ではない。でも、こんな風にすると――安心する。
安心して、胸が満たされる。
だから、こうしていない時間に、ふと寂しさを覚える。
こんな風にしてばかりはいられない事ぐらい、分かっている。
それは、リズが望む私ではないし……私が望む私でもない。
もしリズがそんな風だったら……嬉しい事は嬉しいと思うのだが、爛れすぎているので、多分どこかで破綻するだろう。
それでも、今は旅行中で――休暇中だ。
やっぱり、ずっと、というのはやりすぎにしても。
少しぐらいは。
『少し』と言うには、ちょっとばかり長かったような気もするが、リズも抵抗らしい抵抗はしてこなかったので、存分に夫婦のコミュニケーションした。
長期休暇でゆっくり出来るとは言え、無駄に過ごせる時間は一秒たりとも存在しない。濃い時間を過ごすのは、大事な事。
「……マスター。朝から、飛ばしすぎではありませんか?」
しかし、解放したリズにはジト目で見られた。
された事自体は嬉しく思いつつ、時と場所を選ばない私の『愛情表現』には多少思うところもある――といったところか。
けれど、私は間違った事をしているとは一ミリも思っていないので、リストレアのアンデッドのたしなみとして、わざとらしく首を傾げてとぼけて見せた。
「……お嫁さんにキスをするのに、時間を選ぶ必要があるの?」
リズが口元に手を当てて隠し、ちょっと目をそらす。
「……私は二人きりの時だと嬉しいです」
「三姉妹で旅行中だと、ちょっと難しいね」
「それ、まさか『無理です』って言い回しの方の『ちょっと難しい』じゃないでしょうね?」
私は曖昧に微笑んだ。
代わりにブリジットが口を挟む。
「私はあんまり気にするな。慣れたから」
「姉様が慣れるぐらいって、どうかと思うんですよ」
ブリジットが聞いた。
「……何か、問題が?」
「え?」
「何か問題が?」
ブリジットは澄んだ瞳で、もう一度繰り返した。
「え、それは、その」
リズが、思わぬ方向からの質問に面食らった様子を見せた。
「お前達は、夫婦だよな」
「もちろんです」
「夫婦の間でのキスは、普通だよな」
「……はい」
「ここにいるのは私達だけだな。安全も確認済み」
「はい」
ブリジットの質問に、リズは順番に答えていく。
理論に、穴はない。
「じゃあ、何か問題が?」
彼女の言葉に、嘘はない。
自分の発言を心の底から正しいと信じている者だけが出来る、少しも揺らがないまっすぐな視線を受けて、リズの方が揺らいだ。
「……問題ない……のかな?」
そう呟くリズ。
まだ、彼女は迷っているようだが。
「もちろん、往来とかでしようとしたら、ちょっと怒るぞ。妹達のそういう姿を、他人に見られるのは嫌だ」
「気を付けるよ」
それは私だって嫌だ。
多少見せつけたいという気持ちがなくもないが。
赤の他人に見せてやるものでもない。
私は、目の前の魅力に心を奪われると、たまに他人の存在を忘れかけるので、気を付ける事にする。
改めて、ワンピースを着た二人を眺めた。
「二人共、よく似合ってるよ」
褒めると、二人が少し照れたように笑う。
でもお世辞ではなく、本当によく似合っていた。
白襟のノースリーブのワンピース。
生地は白地のチェックで、ブリジットが濃い赤、リズが淡い水色、私が薄い緑と、エリシャさんなりに私達をイメージして選んでくれたそうだ。
腰の辺りで、同じ色の細布で絞り、サイドに蝶結びにして垂らしてアクセントにしている。
その結果、ワンピースのふんわり感を生かしつつもシルエットにメリハリが利いている――のだが、私はそれが控えめだ。
「マスターも似合ってますよ」
「……うん、ありがと」
エリシャさんに『全て任せた』のは私だ。
しかし最初は、旅行のために、ブリジットとリズに似合う姉妹コーデをお願いしたのだ。
……確かに私も、義理とは言え姉妹で、旅行にも参加するし、人数は明確に指定していないし、予算は相変わらず無制限同然だし。
確かに『お任せ』した。
そこでさらりと三着仕上げて渡してくるあたり、エリシャさんは腰が強い。
二人とお揃いは嬉しいが、お揃いだと胸のあたりがお揃いでないのが寂しい。
私だって実の妹と同じ体型だった訳でもなし、二人がそれを気にしないのも、分かっている。
……彼女達のように褐色の肌でも、ピンと尖った耳でない事も。
二人が、もう慣れて、気にしていない事も――分かっているのだ。
リズが、昨夜お風呂に入る前に外していたマフラーを手にした。
軽く畳んでいたのをほどいて、首元に当ててみたりしている。
そして、私に聞いた。
「マスターは……マフラー、ある方が好きですか? それとも、ない方が?」
「え? ……んー……見慣れてるからある方が好きと言えば好きだけど……」
公的な姿の彼女しか知らない人にとっては、リズは赤いマフラーとセットになっている事だろう。
ブリジットのポニーテールのように。
でも私はマフラーのないリズもよく見ているから、必ずしもリズのイメージがマフラーに縛られてはいない。
「……じゃあ、していきましょうか」
リズが、くるくると首元にマフラーを巻いて、後ろに軽く払って流す。
その仕草は、どことなくポニーテールを整えるブリジットに似ていた。
「首元が、すーすーしそうですからね」
にこっとするリズ。
心が温かくなり、口も軽くなる。
「代わりに私が首に腕を回してあっためるというのはどうだろう」
「マスターの頭は、すーすーしてそうですね」
そして二人共靴をはき、私も出かける準備をする。
普段はローブの裏のポケットに財布を入れたり、いっそ同行者に任せて手ぶらだったりする事もあるぐらいだが、今は旅先。トートバッグに色々放り込んだ。
ついでにブリジットもお財布だけなので、私が預かっている。
公的な時は手配をきちんとしていれば後は周りに任せれば良く、財布と着替え、それに剣ぐらいでいいという潔さ。
……困った事は金で解決するか、剣で解決するかという二択なあたり、旅慣れすぎているブリジット。
もちろん今回は、剣は持ってきていない。あくまでも休暇だから。
しかし、困った時のために、という事で使い慣れたナイフは持ってきている。
何があるか分からないし、ブリジットもリズも、いざという時はナイフと日常生活用魔法があれば、しばらくは生き延びられそうなたくましさがある。
リズと揃って、そのナイフをふとももに仕込んでいた。
私もお揃いで何か仕込むべきだったろうか、と思うが、私はバーゲストを仕込んでいた。
一匹だけ出して、連れていく事にする。
一匹ぐらいなら、私からの魔力をまとって、あえて魔力反応を持たせる擬態機能もばっちりだ。
王都ではまだ、バレた事がない。
フィニスさんちでは、黒い大型犬を飼っている、ぐらいの認識。
妙な嘘をついてバレた方が面倒なので、リタル温泉でメイドとして働いていて家を留守にしがち……と、オープンにしている。
もちろん私達が、支配人と『総支配人』だという事は言いふらす事でもないので黙っている。
嘘は言ってない。
バーゲストの頭を軽く撫でて、耳に触れる。
鼻面を、私の腕にこすりつけるように身を寄せる黒犬さんの、頬あたりのふさふさした毛の感触を、素肌が剥き出しの腕を滑らせて味わった。
そのまま滑らせた指先を首元の毛に差し込んで、絡み合った毛をすくように手を抜く。
袖無しの服を着るのは久しぶりだけど、この感触を味わえるのがいいところだ。
「そろそろ行きましょう、マスター」
「ああ。――ほら」
内開きのドアを開けたリズとブリジットが、それぞれ右手と左手を差し出して、私を呼んだ。
「……うん」
最後に首筋を軽く叩いて歩き出すと、隣を完璧に歩幅を合わせて付いてくるバーゲスト。
私は二人の手に自分の手を重ねて、真ん中になった。
部屋を出るとリズが片手で鍵を掛け、肘に掛けたハンドバッグにしまった。
財布以外の大事な物は、リズの担当だ。
財布に入っている額が、リズの方が多いあたり、微妙に信用がない。
三人で手を繋いだまま歩き出し――幸せさに頬が緩んだ。
リズが、ちょっと茶化す。
「マスター。両手に花ですね」
「うん……贅沢者だよ」
「全く。こんな事で、そんな嬉しそうにして」
三人で笑みを交わした。
ふと、頭をよぎる言葉があった。
三人で手を繋いで、と言えば。
「捕まった宇宙人……」
二人が、揃って軽く首を傾げる。
「なんですかそれ?」
「ウチュウ人……?」
「私の故郷の、異種族間交流の事例の一種だよ」
嘘は言ってない。