いたかもしれないお嬢様とメイドさん
関所を抜けしばらくしたところで、とん、と馬車から降りた。
そして日傘を開いて、強い日差しを遮るべく差し出した。
恭しく頭を下げて、主が降りるのを待つ。
「お嬢様、足下にお気を付け下さいませ……」
私は『メイドのデイジー』。
そして『クラリスお嬢様』が馬車から降りる。
何も言わない。お礼の一つも、ねぎらいの言葉も、特にはない。
これはクラリスお嬢様が暴虐だからではなく、ランク王国の貴族はいちいち下々の者にお礼を言ったりしない。
いびる、まですると流石に意地悪お嬢様だが。
とはいえ、簡単な調査で、旅行中はクラリスお嬢様の我が儘は控えめだった事が判明している。
その理由をクラリオンに聞くと「旅先では、さすがにすぐメイドを替えたり補充したり出来ないからじゃないですかね?」との事。
深く納得した。
「ジョゼフ様。馬車をお願いします」
「はい、デイジー。クラリスお嬢様、お気を付けて。デイジーはこう見えて頼りになります」
「ふん……。旅の間ぐらいは、大人しくしろと言うのでしょう?」
『執事のジョゼフ』に対しては、さすがのお嬢様もそこまで強く出られないという設定。
一応彼も実在の人物だ。どれだけお嬢様を制御出来ていたかは定かではないが、執事はメイドよりも遙かに高い技能と重い責任を要求され、ランク王国では、領地を引き継げない貴族の子供がなる事も多い。
執事とは、メイドさんよりもレアな存在なのだ。
私はメイドさんの方が好きだけど。
「――分かりましたわよ。そこまで子供ではありませんわ」
クラリスお嬢様が頷く。
ここまでは、決まっていた事だ。
意地悪なお嬢様が実際に存在し、その立場を隠れ蓑に使っている以上、設定に忠実に演じなければ、万が一知り合いに出くわした際など、作戦に支障が出る可能性がある。
しかし、もしもクラリスお嬢様が、意地悪お嬢様モードを全開にすれば、それこそ作戦に支障が出る。
そのための演技であり、茶番だ。
「それではお気を付けて……」
ジョゼフが馬車で一人、ホテルに先行する。
チェックインから何までやってくれるはずだ。
「それでは行きましょう、お嬢様」
クラリスお嬢様に日傘を差し出す。
これがランク王国ならば後ろから日傘を差して付いていくのも普通だが、ここは旅先。メイドが先導するべきシーンだ。
「……デイジー。あのね」
「お嬢様?」
しかし日傘を受け取る事をしない彼女に、軽く首を傾げる。
「私……普通のお友達とか、知らないの」
「…………」
まあ『クラリスお嬢様』なら、無理もない。
私の基準からすると、一体何が楽しくて生きているのだろうと思うぐらいには、いじめっ子なご令嬢だったようなので。
「だから……ね。あなたが少しぐらい馴れ馴れしくしても、怒らないわ。この旅行中だけでも……わ、私の……お友達に……」
そしてうつむくお嬢様。
これは、『演技』なのか。
それとも、もしかして。
「……なって、くれない?」
顔を上げての、上目遣い。
元から可愛く見えやすい構図だが、険のある表情をしていたから、ギャップで、なおさら可愛く見える。
「それは無理でございますね、お嬢様」
私は恭しく一礼する。
お嬢様の表情が曇り、顔がそらされた。
「……そう。変な事、言ったわね。忘れなさ……」
「旅行中だけ、という事では、寂しいではありませんか」
「じゃ、じゃあ」
「私はクラリスお嬢様のメイドです。それで今からは……メイド兼お友達です。お嬢様が、それを許してくれるならば……ですが」
「許すわ。クラリス・ド・オルトワールの名に誓って」
お嬢様が、花の咲いたような笑顔を浮かべる。
私は――今は――メイドだから。
この笑顔を守るために存在するのだ。
ドッペルゲンガーは、変身相手に多少引きずられる。
俳優さんが、役に入り込むようなものだ。
彼女達の『完全変身能力』は、外見だけの話ではない。
身についた立ち居振る舞いや、変身対象の嗜好など、変身した対象になりきれば、ある程度の情報を得られる。
臓器に刻まれる記憶もあると聞いた事があるから、そういったものが関係しているのかもしれない。
筋肉や魔力量、戦闘経験などはさすがにコピーしきれず戦闘能力は落ちるし、脳の中身をコピー出来るわけでもないから、情報を手に入れる手段としては弱いけど。
もしも、貴族令嬢という生まれに恵まれ、歪に愛され、友達の一人もいなかったお嬢様がいたとしたら。
その境遇が、ドッペルゲンガーとして生まれ、時に理不尽な迫害を受けてきたクラリオンに重なるものがあったとしたら――
この思考にきっと、大した意味はない。
たとえこれが、作戦上お嬢様になりきるためのごっこ遊びでも。
ドッペルゲンガーとして過ごしてきたクラリオンの、本音でも。
どちらでも、いいのだ。
「それで……デイジー、温泉とは、どのように楽しめばいいものかしら」
日傘を受け取り、ちょっと距離を詰めて隣に並んだクラリスお嬢様に、私は微笑んだ。
「まずは旅館……じゃなかった、ホテルへ行きましょう。手続きはジョゼフ様がしてくれていますが、場所を確認するのは大事ですからね。ホテルの湯も楽しそうですが、それは夜に取っておいて、まずは宿泊施設のない温泉へ浸かりに行きましょう。合間に名物とか気になったお店で小腹を満たしながら、でもディナーに備えて胃袋は空けておく。お風呂に入るから、お酒は控えめに。出来れば飲まない。――分かりました? お嬢様」
「わ、分かりましたわ」
「よし、行こう!」
「……マスター。本当に、ただの観光ではないのでありますね……?」
「クラリオン。口調戻ってる」
「あ。……でも、マスターも戻ってるでありますよ」
「それは申し訳ございませんでした、お嬢様。さ、このデイジーに万事お任せを!」
「あ、はい……」
気圧されたように頷くクラリスお嬢様。
これ素かな。演技かな。どっちかな。
まあどっちでもいいか!
私とクラリオンはお互いに、旅先で少し浮かれたお嬢様と、その友人でもあるメイドを完璧に演じた。
どこからどこまでが演技なのか分からなくなるほどに。
思ったよりも私達の恰好は目立たなかった。
貴族とメイドの組み合わせは少々目を引くが、砂漠の国だから欧州風の洋服が目立つかと思っていたのに、意外とそうでもなかったのだ。
だから私達は、『観光』を楽しんだ。
ランク王国にまで輸出されている、簡単なガイドブックを頼りに街を隅々まで歩きながら、少し庶民向けのお店に入ってみたり、建国を語る演劇を楽しんだり。
――こんな未来も、あったかもしれない。
私は、特別な力を持たない人間だから。
もしも、この世界に来たのが召喚由来ではなく、もっと偶発的な要因で。
この世界が、魔族と戦争をしていなくて。
落ちた先が、ランク王国で。
私に手を差し伸べたのが、ランク王国の貴族令嬢だったら。
私がただのメイドとして働いて……そんな風に生きていく未来も、あったかもしれない。
その場合「あたしゃ奥様が子供の頃からお仕えしてるんだよ」が口癖の料理番辺りが目標だったのではないだろうか。
メイドさんはこの世界でも普通、若い女の子……から、妙齢の女性までがなるお仕事だ。
勤める家の格式にもよるが、特に技術を持たない女の子も、下っ端メイドとしてなら働ける。
貴族家だと、技術と容姿の基準が厳しくなるというだけ。
リストレアだとあまり容姿が重視されないが、それはダークエルフも獣人も、人間基準――地球でもこの世界でも――で、美人揃いなのもあると思う。
それはもしかして、ハムスターが平等に可愛いように、他種族を見分ける目が甘いせいかもしれない、と密かに思っている。
容姿が限定されるお仕事に思う所がないではないが、例えば店員さんが可愛い女の子だと、ちょっと得した気分になる私が言えた義理ではない。
そもそもメイドさんとは普通、一生するようなお仕事では、ないのだ。
人生のキャリアの、一過程。
いずれ「お世話になりました」と言って職場を去るのが、当たり前のお仕事。
結婚なら玉の輿、お仕事ならデザイナー辺りを夢見ながら、ほどほどの相手と結ばれて結婚退職したり、もう少し肉体労働じゃないお仕事に転職していく。
そんな未来は、私にはないだろう。
そもそも本当はメイドじゃなくて、魔王軍最高幹部だし。
明日の夜には、私はもうメイドじゃない。
今、私とクラリオンが過ごしているのは、あるかもしれなかった未来が、ほんの一時だけ現実になった……幻のような時間だ。
普通の友達がいなかったと告白するお嬢様は、本当はいない。
不器用なお嬢様を笑って受け入れるメイドも、本当はいない。
そんな優しい世界は、なかった。
それでも、私は、私の戦いをするだけだ。
私の時間が、終わるまで。




