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76話 遠のく平穏と、勘違いハッピーエンド(いつもの騒がしい日常へ)

遠のく平穏と、勘違いハッピーエンド(いつもの騒がしい日常へ)


 父親の豪快な爆笑が壁を突き抜け、去り際の足音が遠ざかっていく。執務室に残された重苦しい沈黙を背負い、ヒビキは額に浮いた冷や汗を拭いながら、重厚な扉に手をかけた。


(あれ……? なんだか、俺がのんびりと辺境の屋敷でサボるためについたはずの嘘が、いつの間にか国家規模の婚約話という、とんでもない地雷へと肥大化していないか……?)


 嫌な予感が全身の産毛を逆立てる。意を決して扉を押し開けた瞬間、ヒビキは喉の奥で息を呑んだ。

 そこには、扉の隙間で一部始終を盗み聞きしていたらしいリサーナが、呆然とした面持ちで立ち尽くしていたからだ。彼女の美しい金髪は小刻みに震え、透き通るような瞳からは、大粒の涙が宝石のようにこぼれ落ちている。頬は、これ以上ないほどに真っ赤に染まっていた。


「ヒ、ヒビキぃぃ……っ!!」


 廊下に、リサーナの悲痛とも歓喜ともつかない絶叫が突き刺さる。


「あんた、わたしの、わたしのために……っ! 王女様との結婚も、この国の最高峰の権力も、全部、全部断ってくれたのね……っ! そこまでわたしのことを、深く、一途に想ってくれていたなんて……っ!」


 感動と、ヒビキの「高潔な愛」という激しい勘違いで胸がいっぱいになったリサーナは、普段のツンとした気高さも、お嬢様としての矜持も、すべてを放り投げた。彼女はヒビキの胸元へと勢いよく飛び込み、そのシャツをギュッと掴んで、顔を埋めてワンワンと大声をあげて泣きじゃくる。ヒビキの胸板に、彼女の温かな涙がじわじわと染み込んでいく。


「いや、リサーナ、落ち着け。違うんだ。俺はただ、安全にサボりたかっただけで――」


 ヒビキが必死に弁明の言葉を紡ごうとした、その時だった。

 部屋の影から、あるいは天井の梁から、まるで示し合わせたかのように、いつもの賑やかな面々が遮るように乱入してくる。


「お待ちくださいリサーナ様! ヒビキ様、シアも、シアもヒビキ様の隣を絶対に諦めませんわ! 婚約者が一人だなんて、魔界でも人間界でも、一体誰が決めたのですかー!」


 魔王女としての威厳もプライドもどこかへ忘れてきたのか、嫉妬に顔を真っ赤に膨らませたシアが、ヒビキの空いているもう片方の腕に、その豊かな胸を押し付けるようにして「むぎゅっ」と割り込んできた。


「さすがは我が主。王女という凡俗な権力を退け、その裏で自らの盤石な基盤を築き、魔界と人間界の双方にその支配の手を広げられるとは。王家すら恐れぬその不敵な深謀遠慮、神速の縁談拒否、このアゼル、改めて畏敬の念を禁じ得ません」


 執事服の裾を美しく翻し、アゼルが完璧な角度で恭しく最敬礼を決める。彼は何一つ疑うことなく、ヒビキの行動を壮大な世界征服の一環として一人で完全に納得し、崇拝の眼差しを向けていた。


 両腕に美少女を抱え、狂信的な最強悪魔の執事に見守られながら、ヒビキは内心で激しく頭を抱える。


(はあ……。平穏にサボるために縁談を断ったはずなのに、なんで前より100倍くらい騒がしくなってんだよ……。どこで間違えたんだ、俺の人生設計……)


 溜め息をつき、天井を仰ぐ。しかし、胸の中で熱い涙を流しながら嬉しそうに震えているリサーナの温もりと、隣で必死に食らいついてくるシアの存在を感じると、張り詰めていたポーカーフェイスが少しだけ崩れた。


「まあ、これも……悪くないか……」


 彼は小さく独り言をこぼすと、諦めの境地に達したような柔らかい表情を浮かべ、腕の中のリサーナを優しく、包み込むように抱きとめるのだった。辺境伯領の、騒がしくも温かな日常が、今日もまたいつも通りに幕を開けていた。


《おわり》


♢ ♢ ♢



本作を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


ヒビキの「ただ全力でサボりたいだけ」という究極のマイペースさと、周囲が勝手に深読みして震撼していく勘違いの連鎖を楽しんでいただけたなら、これ以上に嬉しいことはありません。


最初は、ただ平穏にゴロゴロしたいだけだったヒビキですが、気付けば可愛い幼馴染の涙を誘い、最上位悪魔の王女様をむぎゅっとしがみつかせ、狂信的な執事に深謀遠慮と崇拝されるという、以前よりも遥かに騒がしく(けれどちょっぴり羨ましい?)日常へと着地してしまいました。これからも彼は、平穏を勝ち取るために規格外の力を無自覚に振るい、周囲を振り回し(あるいは勝手に振り回され)続けていくことでしょう。


ここまでお付き合いくださり、作品をお気に入り登録してくださった方、そして日々の応援や温かいコメントを寄せてくださった皆様には、心からの感謝を申し上げます。皆様の声援が、執筆の何よりの原動力であり、大きな支えとなりました。


またどこかで、ヒビキたちの騒がしくも愉快なサボりライフをお届けできる日を楽しみにしています。

本当に、ありがとうございました!


あるふぁ

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