1話 最果ての守護者と、まどろむ影
最果ての守護者と、まどろむ影
吹きすさぶ風が、荒涼とした大地を削るように吹き抜けていく。
王国の最果て。そこは、凶暴な魔物と隣国の脅威が絶え間なく押し寄せる、険しく冷酷な土地だった。
この地を阻む砦として守護し続ける一族がいる。
ヴァルハイト辺境伯家。
彼らの紋章に刻まれた剣は比類なき軍事力を、盾は王族の介入すら許さぬ絶対の自治権を、そしてそれらを抱くドラゴンは、この世の理を超越した圧倒的な武力を象徴していた。
もしもこの一族が防衛を一日でも放棄すれば、王国は瞬く間に外敵に飲み込まれ、滅亡の露と消えるだろう。
ゆえに辺境伯は公爵以上の権勢を誇り、国王ですらその機嫌を損ねぬよう細心の注意を払う「国家の守護神」であった。
だが、その次期当主たるヒビキ・フォン・ヴァルハイトは、家門の栄光とは真逆の評価に甘んじていた。
この日、辺境伯領の訓練場では、近隣の領地から集まった同世代の若者たちによる交流試合が開かれていた。
日頃の剣術や魔法の腕を競い合うその華やかな舞台で、ヒビキは誰の目から見ても最弱だった。
木剣のぶつかり合う乾いた音が響く中、無様に地面に転がるヒビキの姿に、周囲からは冷ややかな視線が突き刺さる。
普段のヒビキは、およそ次期当主とは思えないほど緊張感に欠けていた。
「うちの領地は田舎で魔物も出て物騒だからさ。結界魔法でサボるに限るよ」
そう言っては、ぽかぽかとした平原の草むらに寝転がり、のんびりと空を流れる雲を眺めて一日を過ごすような少年なのだ。
そんなしまりのない幼馴染の姿を、じっと見つめる少女がいた。
「相変わらずね、ヒビキ。ヴァルハイト家の名が泣いているわよ」
ツンと澄ました声の主は、リサーナ。
近隣を治める伯爵家のご令嬢であり、ヒビキの幼馴染だった。
肩のあたりできれいに切り揃えられた淡い金髪と、透き通るように輝く瞳。
泥臭い訓練場には不釣り合いな、仕立ての良い水色のドレスをまとった姿は、誰もが目を奪われるほどの美少女そのものである。
「せっかく会いに来てあげたのに、相変わらず最弱なんだから。あきれて物も言えないわ」
口を開けば容赦のない毒舌が飛び出すが、彼女は同じ年のよしみもあって、こうして度々ヒビキを訪ねてきては、その不甲斐なさをバカにするのがお決まりだった。
無自覚な怪物と、嘲笑の刃
訓練場の土埃が、風に煽られてリサーナの豪奢なドレスの裾をかすめていく。
彼女はきつく腕を組み、不機嫌そうに美しい眉をひそめて、うつむくヒビキを見下ろした。
「あんた、ちゃんと剣術の練習したの? 相変わらず最弱のままじゃない。練習するだけ時間の無駄なんじゃないかしら。それで辺境伯の息子だなんて、ご両親が可哀想ですわよ」
幼馴染、という言葉の響きほど二人の関係は甘いものではなかった。
ただ親同士の仲が良いというだけで、ヒビキにとってリサーナは、顔を合わせれば容赦なく自尊心を削ってくる天敵のような存在だった。
あまりの言い草に、ヒビキの胸にもふつふつと熱い反発心が込み上げる。
「練習は毎日してるっての……! そんなこと言うくらいなら、俺なんて放っておけよ。お前には関係ないだろ! いちいち俺のところに来るなよな……」
「そうですわね、わたしには関係ないわね。見ていて面白いくらいに弱くて、ちょうどいいですけれど。今日は、どのくらいもつのかしら。うふふ、どうせすぐ負けるんでしょ? せいぜい恥をかかないようにしなさいよ!」
冷ややかな嘲笑を浮かべ、リサーナは勝ち誇ったように踵を返した。
その歪んだ笑みと入れ替わるようにして、ずんずんと足音を荒立てて歩み寄ってくる影があった。
対戦相手である伯爵家の嫡男――リサーナ以上にたちの悪い、底意地の悪い笑みを浮かべた少年だった。
「ヒビキ、俺の新技の練習台になってくれるんだろ? 毎回、お前を大怪我させないように手加減するのも骨が折れるんだ。さすがに、そろそろ防御くらい覚えろよな! これじゃ、まるで俺がお前をいじめているみたいに見えるだろ!」
下卑た笑い声をあげるその少年の名は、ザック。
剣術や魔法の才に恵まれた彼は、手合わせの機会があるたびに、自らの圧倒的な力を見せつけるようにヒビキを容赦なく叩きのめし、それを娯楽としていた。
本来であれば、辺境伯家と伯爵家では爵位の差は歴然であり、次期当主たるヒビキに不敬を働くことなど許されない。
しかし、これはあくまで子供同士の純粋な交流試合。
実力至上主義が暗黙の了解として通るこの場において、最弱のヒビキをどれだけいたぶろうとも、表立って問題にされることはなかった。




