1話 プロローグ
この物語はフィクションです。福山に実在する団体や商品が出てきますが、実在のものとは一切関係ありません。
私が福山に戻ってきて、二年が経った。
小学生の頃、私はこの町で神隠しにあった。
今日は親友のユノと一緒にお出かけ。ユノのお兄さんが運転する車で、公園へピクニックだ。
国道三一三号から脇道に入り、備後国分寺の横を過ぎて、車は山道を上がっていく。
「ねぇマキ、見て」
助手席に座るユノが窓の外を指差す。
後部座席の私が振り返ると、神辺平野が一望できた。
窓を開けると、最近やっと涼しくなってきた秋の空気が入ってくる。
「大学見えるかな?」
「ちょっと難しいね」
私、豊田麻姫は、福山にある大学のこども学科の二年生。中学の時に父の転勤で福山を離れ、大学で再び戻ってきた。
幼馴染のユノも同じ学科の二年生。彼女自慢のゆるふわな髪は、今、窓からの風でぐちゃぐちゃになり、奥の方が薄く黒みがかっている。
五分ほど走って、「着いたよ」とお兄さんが車を駐車場に停めた。
ユノが車を降りようとして、転ぶ。
「ちょっと、ユノ。大丈夫?」
私が手を差し伸べると、ユノは「ありがとう」と言って手を取る。
ここは堂々公園。
御領山の中腹にある親水公園で、開けた草原には彼岸花が赤く連なっている。
ユノは伸びをしながら「うわー、久し振りぃ」と叫ぶ。
一方の私は、辺りを見回して首を傾げる。
「こんなトコだったっけ?」
何か、普通とは違う感覚。
この公園に対して違和感なのか、それとも……
「小学生の時、ここでマキが迷子になったの覚えてるわ」
ユノの言葉に私は我に返る。
お兄さんも「あれは大事件じゃったけぇ」と言って頷く。
お母さんから何度も聞いた。
私がこの公園で行方不明となり、見つかったのは二日後。この山のもっと上の方にある「八丈岩」という奇岩の陰に座っていたらしい。
「ほとんど覚えてないんだよね」
十年前とはいえ、もう小学校三年生だったのだから、そんな印象的なことがあれば、忘れるはずがないのに。
「あの時は、ユノが泣き続けて大変じゃったな」
お兄さんがからかうので、ユノは恥ずかしそうにする。
「だって、ぶち心配じゃったもん」
「ごめんね、ユノ」
彼女は感情的になると、方言が強くなる。私は笑いながら謝った。
「マキ。あの時は、どうしてたん?」
ユノの質問に、私は答えられない。
その時の記憶を思い出そうとしても、頭にモヤがかかったようになる。
ただ、唯一思い出せるのは、私の手を力強く引っ張る大きな手。
「思い出せないのよ」
私の答えに、ユノは「そっかー」とだけ呟く。
「怖かったから、無意識に記憶に蓋してるのかもしれんな」
お兄さんはそう分析する。
でも、私は少し違う気がしていた。違いを表現する言葉が思い浮かばないけれど、怖かっただけじゃないはず。
「お腹空いたし、お昼にしようよ!」
私は雰囲気を変えるために、大きな声で叫ぶ。
お兄さんが「こっちに良いところがあるけぇ」と、公園の真ん中を流れる小川に沿って進んでいき、みんなで公園の端へ荷物を運んだ。
公園の端は砂防ダムだった。私たちは切り立ったダムの上から五、六メートル下を覗き込む。
「まるで崖だね」
私の感想に、お兄さんがすかさず「砂留って言うんよ」と解説を入れる。
呼び方なんてどうでも良いんだけど。
「ここに座って食べよう」
切り立ったダムの縁に三人で腰掛ける。宙に投げ出した足をバタつかせながら、昼食の準備をする。
まだ紅葉は始まったばかりで、ほとんどの木々は青々としていた。山の空気は穏やかで、街とは違う爽やかさに包まれる。
「いただきます」
みんなでサンドイッチを頬張る。
素敵な景色を眺めながら、みんなで食事するのは楽しい。
なのに。
「……」
気配……というか、視線を感じて、私は振り返る。
その先は彼岸花の列の向こう。
「マキ、どうしたん?」
ユノの視線が私の見つめる先を追いかける。
静かすぎる山の中。
足が地についていないだけで、こんなにも不安になるなんて。
でも、下手にユノを怖がらせても仕方がない。
私は気にしないことにした。
「ううん、彼岸花の赤が綺麗だなって」
「そうだね」
ユノも私の笑顔を見てホッとしたようだ。
食後はバドミントンで腹ごなし。
意外とユノの運動神経が良くて、圧倒されてしまう。
「やばっ」
「てぇい!」
ユノの気合いに、私はビクッと固まってしまう。
だが、彼女のラケットはシャトルを捉えられず空を切った。
そして。
「いったーい」
ユノはすっころんだ。
「おっかしいなぁ。バド部だったのに」
足を痛めたユノが休んでいる間に、私とお兄さんで片付ける。
車に戻る途中、観光案内の看板が目に入った。その中には、もちろんあの「八丈岩」も書かれていた。
私は思わず息を呑む。思い出せないのに、思い出したくない。
「へえ、八丈岩って鬼の足跡があるんだ」
ユノは説明文を読みながら呟く。
「この辺りには、鬼の伝説があってね。この山と……」
「はいはい、お兄ちゃんのウンチクは、また今度」
話が長くなりそうだったので、ユノが打ち切る。
そして、私を見て提案する。
「行ってみる?」
「どこへ?」
「八丈岩」
私の背中から嫌な汗が吹き出す。
心臓の鼓動が早まる。
「何で?」
「ほら、思い出せるかもしれんし」
私は、自分の手を見つめる。
この手を握った誰かのこと、思い出して良いんだろうか。
このまま忘れてしまった方が良いんじゃないか?
でも、知りたい気もする。
「そうね。行ってみよっか」
私は一瞬迷って、そう答えた。
「何言うとるん、ダメじゃろ」
それをお兄さんが止める。
「秋はすぐに暗くなるけぇ。また迷子になるつもり? 何より、ユノは足をくじいてるじゃろ。さあ帰るよ!」
私たちは、促されるまま車に乗り込んだ。
彼岸花の向こう。人にあらざるモノが、ゆらりと揺らめいた。
その山吹色の瞳は、ゆっくりと瞼の向こうに消えていく。




