第2話 いきなりピンチじゃないですかー!
男の娘がいじめられる話
僕がメイド服姿で化粧室から出ると麗華様は嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「ちゃんと履いたの?」
スパッツのことだろう。もちろん履いた。女性用下着を穿かされることを考えたらスパッツの抵抗感なんて無いも同然だった。
「履きましたよ」
「見せなさい」
はい? 何を言ってるのこの人? 聞き間違いだよね?
「スカートの裾をたくし上げて見せなさい」
聞き間違いじゃなかった! 変態だ! 変態がいる!
「本気ですか……」
分かっている。麗華様は冗談でこんなことを言う人ではない。証拠に全く冗談の目をしていない。
「本気よ。見ないと本当に履いてるか分かんないじゃない。シュレディンガーのパンツを許容するほど私は甘くないわ」
キリッとしたところで言ってることはパンツを見せろですからね? というか何ですかその変な造語は。物理学者に怒られればいいのに。
「はぁ……ちょっとだけですからね」
うぅ……思ったより恥ずかしい。
僕は意を決してスカートの裾を掴むと、それをゆっくりとたくし上げた。
「ふぅん」
麗華様は黒のスパッツがお気に召したようで、じっとりと舐るような視線を僕の下半身に向ける。どんなプレイだこれ。
「あの……もういいですか?」
「えぇ、いいわよ」
よかった。終了のお許しが出なかったらどうしようかと思った。スカートの裾を戻す時に麗華様が残念そうな顔をしていたのは見なかったことにしよう。
「そういえば今日の夕方はバンケットルームで先輩のお姉様方を交えた懇親会だそうよ」
「えっ……」
それはつまりたくさんの人が参加する場所に僕も行けということでしょうか?
……いやいやいやいや流石にそれはまずいよ! 勘のいい人が一人でもいたらゲームオーバーだよ!
「使用人は参加しなくて良いとか……?」
「たしかに使用人は参加しなくていいけどあなたも学生よ」
そうだった……。えっーと確か聖マリア女学院は学年毎に30人くらいだったはずだから……。ってことは少なくとも90人は欺かなきゃいけないのか。
うん、ごめん麗華様。無理な気がする。
「逆に飛鳥は何が心配なの?」
「何が逆なのか良く分からないですけど、全部心配ですよ……」
だって100人だよ? しかも懇親会ってことは10分20分じゃなくて1時間以上はその空間にいないといけないじゃん。
「大丈夫よ。誰もここに男がいるなんて想像すらしていないんだから。先入観がミスディレクションになるから堂々としてればバレないのよ」
な、なるほど……。言われてみると確かにそうかも。間違い探しも先に間違いがあるって先入観が無ければスルーしてしまうかもしれない。
なら疑われる要素はなるべく減らした方がいいのかな?
「僕って一人称で疑われませんか?」
「そうね……いえ、咄嗟にボロが出た時が怖いからそのままでいいわ。最初から僕という一人称を定着させた方が安全よ」
え、なんかそういうマニュアルでもあんの? 凄い頼もしいんだけど、でも原因は麗華様なんだよね。
学生寮内にパーティー会場が併設されてることに「なんで!?」という疑問は遅れてやってきた。やっぱりここホテルじゃん。
懇親会は立食スタイルのようで料理がズラリと並んでいた。
「余裕でてきたじゃない」
「少しでも気を紛らわせてるんですよ」
僕は冷静なフリというタスクをしている最中なので思い出させるのはやめていただきたい。
ちなみに100人中70番目くらいを目指して会場入りした。あんまり早くても、逆に遅くても目立つからだ。
こんな中途半端なタイミングで入ったのに視線が僕に集中した時は焦った。「もうバレた!?」と一瞬ヒヤッとしたが視線の感じからそういう感じでは無いとすぐに分かった。
ちなみにその原因はメイド服だった。麗華様のバカ!
使用人を連れているお嬢様も多少はいたが、その大抵がスーツでメイド服なんて僕だけだったのだ。
ただ、ここにいるお嬢様方はメイド服なんて見慣れたものなので、僕を一瞥だけしてすぐに興味を失ってくれたみたいだった。
「わぁ可愛い……本物のメイドさんだぁ」
ふと、喧騒の中からそんな声が聞こえてくる。声の発生源は分からなかったけど僕に対してのセリフだということは分かった。カクテルパーティ効果ってやつだね。自分のことに過敏になっているというのもあるだろうけど。
とりあえず熱い視線だけは感じたので微笑んでおく。世の中笑っておけば大抵誤魔化せる。
ふいに会場内が仄暗くなる。流石はお嬢様学校というべきかそれだけでみんなが自然と壇上に視線を向けるのが偉い(何故か上から目線)。
「会場にお集まりの皆様、本日はお忙しい中ご参加頂きましてありがとうございます。今年度の生徒会長を務めます滝波栞と申します」
綺麗な声だなぁと思って聞いていると麗華様から「大物演歌歌手の一人娘よ」とタレコミがあった。
なるほど道理で透き通った声をしているわけだ。
「まずは新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。皆様の中には慣れない生活が不安という方も居られるかもしれません。しかし幸いにもここは学生寮。学院生活、寮生活、また私生活のことでも相談できるお姉様はこの建物内の何処にでもいます。まずは信頼出来るお姉様を探してくださいね。あ、相談でなくて世間話も私はいつでも大歓迎ですよ」
先輩のお姉様方から「抜け駆けはズルいですよ生徒会長〜」という声が上がる。どうやらお姉様方にとっては妹分がいるというのがステータスなようだ。
なんともそれはユリノハナサキマシタワーが建設されそうな話だ。
「では、どうぞお食事を楽しみながらご歓談ください」
生徒会長が壇上から降りると照明が元に戻る。色々なところで「お久しぶりですお姉様」という声が聞こえてくる。
「社交会で会ったことがある人も多いわね」
「麗華様は行かなくても良いんですか?」
「私は良いのよ。そういうのに煩くない人としかお付き合いしてないもの」
うわぁ麗華様らしいな。まぁでも確かにこういうしきたりは面倒くさい。こういう時はお嬢様じゃなくて使用人で良かったと思う。
何か食べ物でも取りに行きますかと提案したところ、向こうから誰かがやってくる。麗華様も知らない人だそうだ。
「は、初めまして。新入生の村田光です」
声を聞いて分かった。この人僕のこと熱心に見てた人だ。メイドが珍しいのか麗華様よりも僕のことが気になっているみたいだ。しかしそれではいけないと僕は自然な動作で一歩引きさがる。
「私は東雲麗華、東雲グループと言えば分かるかしら」
「し、しのの、しののめグループってあの東雲グループの東雲グループですか?」
可哀想なくらいパニクってるなぁ……ここにいて麗華様のことを知らないとなると、多分というか絶対この子が特待生の子だ。きっと社交会とかも未経験なんだろう。なんか親近感。
「どの東雲グループかは分からないけどきっと貴女が想像しているその東雲グループよ」
あ、麗華様が新しいおもちゃを見つけたって顔をしてる。ごめんよ。僕には止めることが出来ない。
「し、失礼しました。あ、あの、私なんかがお話してもよろしいのでしょうか!? 身分が……」
「身分?」
麗華様がそんなこと考えてもいなかったと笑いを堪えきれずに吹き出す。ただ笑い方一つでも馬鹿にしたつもりではないと分かる。
「あぁごめんなさいね。ここがかつてのインドやヨーロッパなら私の家はそういう地位を獲得していたでしょうけど、私自体はそんな偉くないわよ。同じクラスメイトとして仲良くしましょう」
麗華様のこういうところは素直に尊敬できるんだよなぁ。それでいて使えるものは使う強かさも持っている。悪戯心さえ無ければ本当に素晴らしいお方だと思う。後半が「私のおもちゃになりなさい」って意味だと邪推してしまうのはきっと僕が歪んでいるからだろう。
「こっちは使用人の飛鳥よ。普通は使用人なんて紹介しないけど、この子は学生でもあるから」
「早乙女飛鳥です。早乙女でも飛鳥でも、お好きなようにお呼びください」
麗華様に話を回されるがなるべく声は出したくない。ただ、普通に話すよりも慇懃な感じを意識したらバレないか。うん、様になった気がする。
しかし麗華様はそれがお気に召さなかったようで不意に無防備な横腹を突つかれる。
「ひゃうん!」
変な声出ちゃった……恥ずかしい。横目で「何するんですか?」と訴えかけたら「こっちのセリフなんだけど?」と視線で怒られた。どうやらキャラを作るなということらしい。
「ごほん……まぁ僕に対してもこんな感じの人ですから、あんまり肩肘張らなくても大丈夫ですよ」
突然僕のキリッとした(当社比)雰囲気が無くなったからか村田さんは「えーっと」と対応に困っていた。しかし、彼女からすると僕の普段のスタイルの方が接しやすいみたいですぐに打ち解けにきた。
「飛鳥さんって僕っ娘なんですね。すっごく可愛いです」
「まぁ、そうですね……ありがとうございます」
微妙な反応に疑問符を浮かべる村田さん。
その隣で笑いを堪えている麗華様が恨めしかった。
そのあと、村田さんは他の人とも交流をしてくると言って旅に出た。
一部の生徒には選民思考があるかもしれないと注意したが、それは村田さんが1番理解しているのかも知れない。
生徒会長の言葉ではないが、彼女は本当の意味で信頼できる仲間を探しているのだろう。
「麗華様、何かお食事を取りに行きますか」
先程は村田さんに阻まれたために取りに行けなかった。いや、村田さんが悪いわけではないけど。
「私も行くわ。どうせ暇だもの」
麗華様も少しは村田さんのアクティブさを見習うべきだと思う。麗華様の場合は顔見知りはいるけど友達はいないパティーンだ。敵を作りやすい人だからなぁ。
まぁ僕としては麗華様が近くにいてくれた方が心強いからいいんだけどね。悔しいから絶対口には、いや表情にも出さないけど。
「あら、あらあらあら麗華さんじゃありませんの」
僕たちが今度こそ食事を取りに行こうとしたところ、今度は目の前に金髪ロングの派手な服を着たジ・お嬢様が立ち塞がった。
その人は僕も昔からよく知っている人だった。
「梅……」
麗華様が露骨に嫌そうな顔で対応する。
この方は白鳥梅お嬢様だ。ホテルや旅館、全国チェーンのレストランなど幅広く経営している白鳥グループのお嬢様で、麗華様の数少ないお友達の1人だ。ちなみに麗華様はお友達と言うと否定する。
「流石にあの冴えない男は一緒じゃないですのね。あら、そちらのメイドは新顔ですの? 麗華さんのお屋敷でもお会いしたことがありませんわね」
あれ? もしかしてこれやばいやつじゃない? その冴えない男とはひょっとしなくても僕のことですよね? どうしよう顔見知りきちゃったよ! とりあえずここは何も喋らないで麗華様に合わせよう。
「えぇ、あの冴えない男も流石にここには連れてこられないもの。それと、この子はメイドだけど学院ではクラスメイトよ」
「付き人を入学させましたの? 相変わらず貴女は突拍子もないことしますわね」
普通ならば使用人を学院に通わせるなんてことはしない。安くない入学金や学費を払って使用人にそこまでする必要が無いからだ。
そんなことでも平気で出来てしまうのが東雲グループの財力だ。
…………。
え!? 麗華様それで話終わり!? ほら、何とかしなさいって視線が痛い、僕に丸投げすんの? 嘘でしょ麗華様! どうなっても知りませんからね!?
「飛鳥です。いつも麗華様がお世話になっております」
「………!?」
はい詰んだーーー!!! だって偽名を言ったところですぐバレる嘘だし本名名乗るしかないじゃん!!!
特に梅お嬢様のお付きのお姉さん、恵さんが驚いた顔をしていた。この人も顔馴染みの人だった。
「えぇ、お世話してあげてますわ! あなた見所ありますのね」
………あれぇ!? もしかしてバレてない!?? それどころか微塵も疑われてない!? 思わず恵さんが吹き出している。
「そう、わたくしは麗華さんの良き理解者。大親友ですもの。お世話くらいいくらでもして差し上げますわ」
「言ってなさい」
ここで親友じゃないわよと否定したところで無駄だと知っているからこういう返事をする、というのが麗華様と梅お嬢様の恒例のやりとりなのだが、梅お嬢様が気付いていないことに驚いているのか麗華様のキレがいつもより悪い。
「飛鳥さん、麗華さんのところが嫌になりましたらわたくしのところに来ればよろしくてよ」
梅お嬢様は僕を引き抜こうとすると「では、ごきげんよう」と嵐のように去っていく。
去り際に恵さんからメールで「メイド服、似合ってますよ。飛鳥くん」とはっきり伝えられた。完全にバレてる。胸の内に秘めてる辺り協力者になってくれるみたいだ。なんとか耐えたぁぁぁぁ!!!
交換条件として指定されたポーズでの自撮りを数枚要求されたが背に腹は変えられない。
「梅がバカで助かったわ……恵にはバレてたけど、あれはあれで楽しんでるわね」
何もしていないのに最大のピンチを乗り越えた。
けど麗華様、僕を見殺しにしようとしたのは忘れてないですからね。