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第二十二話 銀の蛇と魔法の香辛料

 舞台は重畳、視界は良好。

 此処は正しく、絢爛世界――闘士の闘士による闘士のための屠殺場。

 特設ステージとも言えようこの場所にそれ以上の意味は無く、断罪を待つ十三つの階段の先さえもさもあらん。

 爛漫な日輪の下、降り注ぐ陽光は透過した七色の防壁を難無く通り過ぎて、地表へと辿り着いていた。

 それは、果たして祝福か――それとも、如何にもな焦燥の具現か。

 酷暑(こくしょ)の如き苛烈さは、(さなが)ら闘士と観客の織り成す熱気が生み出しているのであろうか。

 秋気(しゅうき)の様の寂しさは、(あたか)も今日この時この場所こそが、近い未来の埋葬風景なぞを無意識化において感じ取ってしまっているとすれば――。

 兎にも角にも、此処まで脚を運んだ者たちに、最早退路は存在しない。

 それは、挑戦者である第九階級の男たちであろうと。

 当然、玉座に(おわ)最高の(・・・)彼女たちであろうと。

 ――この特設会場である、通常よりも遥かに巨大な闘技場の観客席でいきり立つ大衆ですら。

 本日の選別されしとも言えようこの空間に存在している時点で、逃れることは出来ないのであった。

 それは紛れも無いほどに、強大な運命の奔流のようで。

 それは紛うこと無き、直視せざるを得ないほどの愉悦にも等しかろう。

 会場は未だ青天井な沸騰の如く、開始前にも拘らずあらゆる感情の上昇を続けている。


「――失礼、少々宜しいかな?」


 穏やかな声色、柔らかな物腰。

 そのようなことを思考の端で回転させながら、遮るものも無く会場を優に一望できる特等席(・・・)の一角に腰を下ろし、闘技の場である地表へと視線を落としていた陽向へと――掛けられる声が、一つ。

 恐らくであるが、今のは陽向へと掛けられたものであろう、と。

 ふと、軽微なれど没頭仕掛けていた思案より頭を上げて声の方向――隣の席へと陽向が視線を向けると、其処には一人の紳士が穏やかな笑みを浮かべていた。どうやら、間違いなかったらしい。

 この場は特等(VIP)席と言う名に相応しく、観客席の一部とは言えすし詰めの如く暑苦しい空間では無い。一つ一つの席が上質な革張りのソファとなっており、脇には物を置くための小さなテーブルまで一人一つ備えられている。

 そして極めつけは、部屋の後方壁際で待機する給仕の姿であろうか――気を抜けば、此処が一流どころのサロンやレストランと見紛うほどに。地べたは毛足もそこそこな黒い絨毯。

 当然の如く、頭上が開かれたドーム型の会場の周囲を取り囲むの階段状の観客席は、碧虚(へききょ)の下に吹き曝しとなっているなどは今更であろう。

 しかしながら此処は展望は最高にも拘らず、前面は分厚いながらも微塵の曇りも存在していない完全に透き通ったガラスが嵌め込まれており、空間自体も部屋と言うには大き過ぎるほどの余裕を持たせながらも確立されている。この特等席の存在する部屋の出入口である各扉の前には、身形も体格も申し分の無い警備係が(いわお)のように存在しているほどなのだから。

 加えて魔法的な機能、処置に依るものか――室内は一定の温度で保たれており、外部(・・)とは異なり無駄な暑さも何も存在し得ない。

 正にVIP席――その名に恥じることの無い、特別のための特別であった。

 となれば、当たり前のように其処に存在している人間も、相応の者であるというということは自明の理であろう。

 陽向へと声を掛けてきた紳士の姿は、この世界(・・・・)において自身の目を通してみても、間違いなく紳士(・・)のそれであった。

 上品なアイボリーで統一されたその姿は、一目で上質な服飾であると理解することが出来る。

 膝裏ほどまで背の布が伸びた燕尾服のようなそれは、襟付きのフロック。首周りには華美なレースなどは無いものの、タイの代わりにスカーフが巻かれ――品のあるクラヴァット。

 彼が下部に纏うのは、上部のフロックと共布を用いられたパンタロン。そのズボンの裾は陽向の既知の物よりも些か短く、(くるぶし)すらも丸見えとなっていようか。

 足下を飾るのは、朽葉色(ラセットブラウン)の硬質な革靴。隅々まで磨き上げられ、塵の一つすらも見当たらない。

 ソファの脇には彼の物であろう灰緑のステッキに、革靴と同系色のトップハットが置かれている。よく観察すると、毛皮製では無くシルク造りのこれまた上等な逸品であることが見て取れた。

 この闘技場において、陽向が今までに遭遇した男たちとは明らかに一線を画す存在にと感じられた。

 年の頃は六十は優に超えていようか、されど男としても人としてもまだまだ衰えの感じられない背格好に、平穏な水面の如き穏やか且つ凛々しく精悍な顔付き。静かながらも眼の中には、確固たる力強さが感じられる男であった。

 そんな何処からどう見ても高級(・・)な紳士である男へと、陽向も丁重に返答する。初対面であれど――初対面であればこそ、礼には礼を、と。


「構いませんよ――私に何か?」

「突然の質問を許して欲しいのだが……君は、ヒナタ君で間違いないかな。確か、先日の闘技にて第六階級へと昇格した――」

「えぇ、相違ありません。昇級の件もご存知でしたか」

「勿論、君は中々に有名だからね。圧倒的なデビュー戦の後、怒涛の連勝に次ぐ連勝。そうして毎度ながら、そのどれもが派手且つ快勝なんて素晴らしいの一言に尽きるじゃないか。私も君を応援していてね、いつも楽しませて貰っているよ。いやはや……私の一番下の息子とそう変わらぬ歳であろうに、君は本当に凄まじい」

「それはそれは、ありがとうございます。えー、ムッシュ……?」

「あぁ、済まない……申し遅れてしまったな。私は、バレンタイン――バレンタイン・スパイサだ。呼称するならば、バレンタインと呼んでくれ。私はちょっとした商いなんぞを営んでいてね。家名の方で呼ばれても、どうも商売っ気しか感じられなくて困る」

「承知致しました、バレンタイン殿。しかし……」


 陽向は其処で一度言葉を区切り、小さく首を捻った。

 頭の隅に、何らかの小骨が引っ掛かっているかのような感覚――このバレンタインという紳士を前にしたときから、自己の内部で渦巻いている不可思議なそれであろうか。

 既視感と言うか、不思議な感触。

 そうこうと陽向が一人頭を捻っていると、それを見抜いたかのようにバレンタインは微笑と共に、その解を容易く提示したのであった。


「エルネスト――エルネスト・スパイサ。私の末の息子が、世話になっているね」

「成程……エルの御父上でしたか。やっと引っ掛かりが解消されました」


 初の対面時、エルネストは自身をそれなりの規模を持つ商家の四男坊であると言っていたことを陽向は思い出す。

 その当主であれば、それなり以上(・・・・・・)の余裕もあることで、この席に着くことも可能なのであろう。文字通り、特等席は伊達では無い。


「息子からの手紙には、君のことも掛かれていてね。気の合う友人に出会えた、と」

「いえ、此方こそ――御子息には、いつも良くして頂いておりますので。此処に来るまで、私は魔法の魔の字も知らなかったほどでしたからね」

「それでは君は、闘士となってから魔法を覚えたと言うことか。ならばあれほどの武闘を演じられるのことも、ますます凄まじく感じられるな」

「えぇ、何せ教師が良かったですからね。魔法やスキルの鞭を取ってくれたエルのことは、ある意味で良き師であり――何より現在も、良き友人とさせて頂いておりますので」

「はははっ、そう言って貰えると私も鼻が高いね。やはり息子は、良い友人に恵まれたようだ――と、そろそろ始まりそうだ」


 陽向の言葉に満足そうに微笑んだバレンタインは、琥珀色の液体で喉を潤すためにテーブルに置かれたグラスを手に取り傾け――闘技場が見渡すことの出来る前方のガラス張りの先へと視線を向けた。

 瞬間――陽向にとっても聴きに聞き慣れた轟音が、鼓膜を振動させるのだ。

 陽向は給仕が入れてくれた紅茶のカップへと口を付けながら、会場を見渡すと――。


『――マイクテステスマイクテス。あー本日は晴天なり本日は青天なり、少年老い易く学成り難し、生麦生米ブチ敗けろォオオオオオオ! あっ、コレ前にも言ったような気がするけどマァいいや! 良いな!? 聞こえてるな!? オマエら観客貧乏人から特別席の賓客の皆々様までバッチリキッチリ聞こえてるよな! 聞こえない奴はしっかり手ェ挙げて言えよ! てんてー聞こえませーん、って! ……そんな意見は聞こえませーん!

 んじゃ早速第一戦目だァ! 種目はタイマンッ! イイネェ、さっそく勇者サマの紹介だァ! 

 初戦はコイツ……ドス黒く染まる奈落の門より現れたのは、こんな地獄に似合わぬ優男! 純白の鎧に身を包んだ【聖貴志(フィエリオネット)】アガットだァアアアアアアアア!

 甘いマスクにスマートな体躯、クールな振る舞いでありながらファンサーヴィスも忘れない! クリーンな死合内容で女性やお子様にも安心ですッ! 第九階級闘士の中はおろかッ! 闘士の中でもブッチぎりで爆発的なほどに女性人気を誇る双璧の片割れ野郎だぜェエエエエエエエエクソッタレぇええええええええ! くやしいですッ!

 ……えっ? 双璧って、もう一人は誰かって? 分かり切ったことを聞いてんじゃねェよ! アレか!? アレなのか!? オマエらはそんなにイケメンの話を振ってオレの精神を摩耗させたいってのかオイ!

 だーかーらーァ! アイツだよアイツ! すんなりと第六階級になっちまったアイツしかいねぇだろォ! オマエだよオマエ! 今も特等席の一角で茶啜りながら踏ん反り返ってるオマエに決まってんだろォオオオオオオオオ! あ、皆判ってると思うけど、コイツの方はクリーンさの欠片も無い死合なんで悪しからずざまぁ!

 ちくしょぉおおおおお! 特等席のチケットってバカ高いんだぞ! 判ってんのかァ!? オレも冷房訊いた所で実況がしたいですぅうううう!

 兎に角ッ! ハイもう男前の話は止め止め! はいさい止め止め! 朝、鏡を見る度に憂鬱になりそうだからなァ!』


 いつもながらのマイクパフォーマンスに、地響きの如く湧き上がる場内。一部、熱いとばっちりが生じていたが、陽向は無言で茶で喉を潤す。隣ではバレンタインが、愉快そうにくつくつと笑っていた。

 そうして漆黒の門より現れたアガット本人は、観客連中へと軽く手を振り――一層熱狂に包まれる会場であった。黄色い声が、大多数。成程、確かに女性票が凄まじいようである。

 頭部以外を騎士鎧で纏われた全身に加え、左腕のタワーシールドに右手のバスタードソードより、恐らくシュウのような戦い方をするのではないかと予測される。ただし、階級的に考えても、その内容は比較し得るものでは無かろうが。

 彼の年の頃も恐らく二十代中盤であろうか、まだまだ若々しく煌めいて見える。

 しかしながらそれよりも気になることは、彼――アガットがどのような闘法を用いて、第十階級という至高に挑むのであろうかということであった。

 そのように陽向が目を皿のようにして観察していると、此方の内面を見透かしたかのようにバレンタインが口を開いた。


「【聖貴志】アガット――元月魄帝国騎士団第十二部隊長として務めていた彼は、闘士としては珍しいほどに真っ当(・・・)な男だよ」

「真っ当……ですか」

「あぁ、失礼。闘士を馬鹿にしているわけじゃないのだよ」

「いえ、それは判りますが……私が気になったのは、其処では無く――」

「帝国騎士団部隊長というキャリア(・・・・)組の彼が、どうして闘士に成ったのかと言うことだろうが――それは、彼にしか判らぬことであろうよ。何せアガット氏は、ある日突然騎士団を辞め、その脚で闘士登録に行ったと云うのだからね。そうして、まぁ……話題(・・)の君には些か劣るものの、かなりの速さで次々に階級を上り詰めて往ったのだよ」


 しかし――と。

 バレンタインは、先の瞬間紡いだ自身の言葉を切り落とした。


「重要なことは、彼が現在第九階級で更なる高みに挑戦する様を見ることが出来るという点ではないかね」

「そうですね――経歴よりも家の出よりも、今目の前で何を見せてくれるかのほうが、当然私としても興味があります」

「ただ、結局――それ以前の問題なのだというところが悲しいかな。第十階級だけは、別次元の生命体と言っても過言では無いのだから――」

「それは……」


 すっと目を細めて再び会場へと視線を戻すバレンタインへと陽向が追及する前に、もう一方――正しくそれは、天啓の如き様であったのだ。


『ヒャッハー! オマエら覚悟はいいか!? いいよな! いいだろ! 肝の小せぇヤツは気ィ付けなァ! ブルってチビって口から魂飛び出しちまうぜェエエエエエ! そんじゃ逝くぜ呼ぶぜ彼女を称えろォオオオオオオオオ!

 至高なる天に(おわ)す四人の女王よりィ――エントリーナンバー一番!

 冷酷のように、不動のように! 例え天地が潰えてもォ、噴き出す凶氣は止まらないッ! 括目して狂喜して慟哭しろォオオオ!

 悦楽の真虐(まぎゃく)、抗えぬ害意、不文律の凶爛(きょうらん)――【死凶悠禍(ミュルミュルモヴィエ)】ベアトリス・ディミトゥラ・カサヴィディスだァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 白き門が開く、天の門が解放される。

 ――ただ、一歩。

 そう……其方より、彼女(・・)が一歩ステージへと足を踏み入れた途端――文字通り世界が変わった(・・・・・・・)

 陽向も、隣に座るバレンタインも。

 この部屋で観戦前の談笑をしていた上客たちも、外部の観客席に座る者も。

 静まり返る、鎮まり換える、沈まり還る。

 いっそ痛みを感じるほどにあらゆる音を排除したのではないかと思われるほどに不自然な静寂は、小さな小さなベアトリスの足音のみが世界に存在しているのではないかとの錯覚を催す。

 その足音は幼き頃に感じた屋根を打つ夕立のようで、はたまたこれは在りし日の寂しさをも彷彿させられる。もしくは斑雪(はだれ)の如き、消え去ることが確約された終焉の足音。

 彼女の姿は、以前に陽向がサロンに赴いたときのそれ(・・)と何ら変わり無いものであった。

 全身を最大限に渾身を掛け合せたほどの全てで纏っているアガットとは対照的に――武器も、防具も、道具も、目に見える大掛かりな装備品は全くと言って良いほど見当たらない。

 それでも、何より以上の警告が離れて観戦しているだけの此方側ですら、魂の端まで警告を叩き込まれているような感覚に苛まれていた。

 何より舞台の中、陽向の視線の先で佇んでいた純白の騎士さえも――遠目で見ても嫌でも解らされてしまうほどに、その端正な顔を緊張により強張らせている姿が見て取れる。

 ――是は、もう駄目だろう。

 理由の欠片も解らぬが、この時陽向は漠然とそう思ってしまっていた。

 そうして、会場の空気が不穏に緊縮したところで……始まりを告げるのである。

 終わりの――始まりを。

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