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女芸人

ヴィンセント王国の王都――ドリトル。


石畳の裏路地では、今日も大道芸人たちが火を吹き、歌い、笑われ、時には石を投げられていた。


その中に、一人の女芸人がいた。


千葉優利恵。


東方の島国から流れ着いた異邦人だった。


彼女は笑わせるのが上手かった。

だがその笑いは、どこか泣いていた。


子供の頃、借金の形として旅芸人一座へ売られた。

「食わせてやる」という言葉で始まった人生は、

酒場で踊り、

殴られ、

客に媚び、

笑顔を強要される日々だった。


芸は、人を楽しませるものではなかった。


生き延びるための技術だった。


やがて優利恵は気づく。


人は、悲しいほど、

笑っている者の悲鳴を見ない。


だから彼女は信仰へ向かった。


王都ドリトルの外れにある、

宇宙法則を神とする小さな礼拝堂。


「善因善果」

「他者にすることは、自分に返る」

「人を道具として扱えば、国もまた人を失う」


そう説く静かな宗派だった。


優利恵は、そこでだけ眠れた。


「私は人間だったんですね」


彼女は老神官の前で、

初めてそう言って泣いた。


――その年。


ヴィンセント王国では、

クラーク・デ・トーマス王が

“身分を隠した現地視察”を行っていた。


本来なら王が近づく区域は、

役人が徹底的に整える。


だがドリトル西区の腐敗役人たちは、

近年あまりに視察が形式化していたため、

完全に手を抜いていた。


「どうせ王なんか来ない」


そう高を括っていた。


結果、

王は本物の西区を見た。


汚水。

病人。

痩せた子供。

そして、

酒場で酔客に頭を叩かれながら芸をする女。


その女が、千葉優利恵だった。


彼女は転んだ。


客が笑う。


酒瓶が飛ぶ。


だが彼女は、

笑顔を崩さず言った。


「はいはい!

 本日も人生という名の地獄をご覧いただきありがとうございます!」


観客は爆笑した。


だが一人だけ笑わなかった。


王だった。


クラークは気づいた。


この女は、

笑いで人間を壊さないよう、

必死に現場を支えている。


酔客同士の喧嘩を芸で逸らし、

孤児にパンを回し、

新人芸人が客に潰されないよう庇っている。


誰より疲れているのに。


その夜。


王は護衛を離れ、

礼拝堂へ向かった。


そこに優利恵がいた。


蝋燭の前で祈っていた。


「明日も誰も死にませんように」


王は思わず聞いた。


「自分の願いではないのか」


優利恵は笑った。


「昔はありましたよ。

 助けてって。

 でも、誰も助けなかった」


静かな声だった。


「だから今は、

 せめて私の見える範囲だけでも

 地獄を軽くしたいんです」


王は長く黙った。


そして初めて、

王冠の重さを理解した。


数日後。


ドリトル西区の役人たちは全員拘束された。


裏帳簿、

芸人売買、

借金奴隷契約、

未成年の違法興行。


大量に発覚した。


王国中が震えた。


さらにクラーク王は新法を出した。


「芸能・芸人保護法」


・一座への人身売買禁止

・芸人への最低報酬保証

・興行主への登録義務

・未成年保護

・暴力契約の無効化

・芸人用診療所の設置

・老後年金制度


貴族たちは反発した。


「たかが芸人に」


すると王は言った。


「国が苦しい時、

 最後まで民衆を笑わせ続ける者を

 “たかが”と言う国は滅びる」


その言葉は広まった。


優利恵は有名になった。


だが彼女は宮廷芸人にならなかった。


代わりに、

王都に小さな劇場を作った。


殴られない劇場。


怯えなくていい舞台。


失敗しても殺されない場所。


入口には、

奇妙な木札が掲げられていた。


『少し笑えたなら、それで今日は十分』


そこには、

行き場を失った芸人たちが集まり始めた。


泣きながら芸をする者。

震えながら歌う者。

初めて報酬を貰って泣く者。


クラーク王は時々、

身分を隠してそこへ来た。


一番後ろの席で静かに笑った。


優利恵は知っていたが、

気づかないふりをした。


ある冬の日。


若い芸人が優利恵へ聞いた。


「なんで、そこまで芸人を助けるんですか?」


優利恵は少し考え、

暖炉を見ながら答えた。


「昔ね。

 私は売り物だったの」


静かな声。


「でも、

 あの日あの王様だけは、

 私を“人間”として見た」


窓の外では、

雪の王都ドリトルに

子供たちの笑い声が響いていた。


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