間章|遅れた残響(ラクリマの記憶)
[忘れたくなかったから、私は沈黙した。でもその声は——まだ終わっていなかった。]
[I chose silence because I didn’t want to forget. But the voice—it was not over.]
それは、最後まで朗読されなかった記憶。
ラクリマは、焦詩の荒原に静かに横たわりおり。
焼け焦げた詩頁が風に溶けて灰となり、
彼女の鱗から語素が剥がれ落ちる。
翼は折れ、声帯は封印され、
周囲には、泣くような残響だけが漂っていた。
その傍らに、ひとつの人影。
声の残響すら希薄な、
かつての彼女の契約者。
——彼こそが、ラクリマを「詩」で呼び起こした者。
命令ではなく、詩として彼女の名を呼んだ最初の人間だった。
「命令しないよ、ラクリマ。」
「ただ……君に、僕の声を聴いてほしかっただけだ。」
その声は、穏やかだった。
微笑んだまま、彼は言葉を綴った。
二人は詩律戦争の中、瓦礫と禁詩の壁を越えて歩いた。
命令ではなく、詩で語り合い、夜ごと彼は彼女の名を低く詠んだ。
それは、詩の「始まり」としての名だった。
そして最後の戦い。
彼は、未完の詩を守るため、その声帯を「封律印」として変えた。
崩壊する語律の渦中で、
彼の手は震えながらも、語りかけた最後の一行を口にすることなく——
「……もう、言いきれない。なら……この詩は、永遠に未完でいい……」
彼は微笑んだまま、彼女の腕の中で、沈黙していった。
ラクリマは、叫ばなかった。
泣きもしなかった。
ただ静かに、
彼の語律の欠片を一つずつ、自らの鱗に封じていった。
——それが、彼女が千年、声を封じた理由。
彼女は、怖れていた。
名前を口にしたら、またその声が離れていくのではないかと。
殞詩のように、風に散ってしまうのではないかと。
そして、あの日——
一人の少年が、彼女にこう語った。
「名前はない。君が僕の声を聴いたとき、ようやく——僕は存在する。」
その時、彼女の声帯が震えた。
返答ではなかった。
それは、あまりにも似ていて、
あまりにも違っていた声に、彼女の心が揺れたからだった。
彼女は、最初それを「過去の残響」だと思った。
だが、のちに知る。
それは彼女自身の——
まだ終わっていなかった詩だった。
【間章 完】




