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前編

ただ君が好きだった01


漣太れんたはまるで宝物を扱う様な優しい手付きで真昼まひるに触れる。セックス中はさすがに余裕が無くなるのか、情欲に従っている様だがそれでも決して乱暴に扱わない。そんな紳士な彼はセックス後は殊更丁重に扱ってくれる。どれもこれも以前の真昼なら嬉しくてたまらなかった行為だ。漣太の広い背中に手を回して甘えていた事を思い出す。幸せだよ。大好きだよ。漣太の体温にくるまれながら啜り泣いたのはいつの頃だったか。


「真昼? 聞いてる?」


セックスの余韻が残るベッドの中で漣太に問われた。聞いていなかった。御免。素直にそう返事した真昼に漣太は困った様な少し悲しそうな表情で苦笑した。真昼はぼんやりと無感情に思う。以前の自分ならこんな漣太の顔を見たら決して放っておけなかっただろう。


「映画見に行かないって言ったんだ。ほら先月からテレビのCMでばんばん流れてるファンタジー映画。タイトル何だったっけ? 真昼好きそうだなぁってチェック入れてたんだよね」

「“エルフの冒険”」


真昼は覚えのあった映画のタイトルを呟いた。漣太の表情がパッと花開く。


「そう! その映画だ」

「御免。その映画なら見たんだ」


平然と嘘を吐いた。本当は見ていない。けれど正直に白状したら漣太と映画を見る流れになってしまう。


「……そっか。残念だな」


言いながら何とか口角を上げた漣太だがあからさまに傷付いた顔をした。止めて欲しいと思う。真昼もう漣太の恋人ではないのだからそんな顔をしないで欲しい。


漣太と真昼は幼なじみだ。真昼はそれこそ物心ついた頃には漣太の事が好きだった。れーちゃん、れーちゃんと舌ったらずな口調で彼の名前を呼びながら漣太の後ろ姿ばかりを追い掛けていた幼少期。そんな真昼を鬱陶しがるでもなく受け入れてくれた漣太。漣太は誰よりも真昼に優しかった。子供ならば無条件に注がれるであろう親からの愛情を真昼は知らない。真昼の両親は仕事第一の人達で家庭は顧みず真昼にも無関心だった。だからその反動もあった様に思う。真昼の世界では漣太以外の人などいないのも同然だった。真昼の全ては漣太だった。だからと言ってでしゃばらずにいる真昼は、自分の立場を弁えていたつもりだ。どこにいてもその他大勢の中に埋もれてしまう真昼と違って非凡な存在の漣太は常に注目の的だった。当然だ。漣太はテレビに映るアイドルなんかよりもずっと格好良いし、成績は優秀でスポーツは万能。さらに優しいとくるのだ。とにかく漣太はモテた。可愛らしい女子に囲まれる漣太を見ながら真昼は自分の恋心を表に出すまいと誓った。そもそも真昼も男で漣太も男だ。真昼は漣太への恋心を諦めるしかないと自分に言い聞かせた。


そんな真昼の捨てきれない想いが実を結んだのは真昼が中学三年の時。漣太からの告白がキッカケだった。思い掛けない漣太からの告白に真昼は今まで生きて来た中で一番泣いた。わんわん泣きながら漣太の愛情を受け取った。そんな真昼に「真昼は泣き虫だな」と笑った漣太のとろけそうに甘い笑顔を見た真昼は益々泣いてしまったのだった。漣太と結ばれてからは本当に幸せだった。元々漣太の事がこれ以上ないくらい大好きだったのに付き合い始めてからもっともっと好きになっていった。しかしその二年後、漣太が浮気した。第六感が働いたというべきか、真昼は漣太の浮気に直ぐに気付いた。しかし知らない振りをした。耳を塞いで、目を瞑って、余計な情報は全部遮断して、漣太の前ではいつも通りに振る舞った。責めて漣太に嫌われるのは嫌だったし、浮気されたとしても最終的に自分の元に戻ってきてくれれば良いと考えていたからだ。浮気は所詮浮気。漣太の本命は自分だ。そんな風に真昼は泣きそうになる自分を慰めた。


「他に好きな奴が出来た」


真昼が漣太の浮気に気付いてから一ヶ月後。漣太から別れを切り出された。真昼の願いも虚しく、漣太の浮気は本気になった様だ。真昼は泣いた。漣太を困らせたくなかったから縋る事はしなかったが涙が枯れ果ててしまうくらい泣いた。そんな真昼を漣太は慰めてはくれなかった。もう恋人同士ではないのだという、漣太からの無言の決別だった。それから悪夢の様な日々が始まった。真昼の全ては漣太だったのでまるで世界中から裏切られた様な絶望感を味わう羽目となった。さすがに自殺する勇気はなかったがその代わりに生きていく気力も湧かなかった。食事もせず、睡眠もろくにとれず、惰性から学校だけは行く日々。これじゃあ、生きた屍だなと真昼は他人ごとの様に思う。ならばこのまま死んでも良いのかも知れない。そんな風にまた他人ごとの様に思う。


「死ななくて良かったわ。全くいい年して何考えてるの? 迷惑掛けないで頂戴」


これが母親の第一声だった。父親はおらず、母親も一方的に言いたい事だけを告げるとさっさと姿を消してしまう。気付いたら真昼は病院のベッドにいた。気遣ってやらなかった身体にとうとう限界がきたらしい。けれど死に至る程ではなくて三日もせずに退院出来た。人間失恋をしたくらいでは死ねないらしい。漣太と別れてあんなに辛かったのに。あんなに心は悲鳴を上げていたのに。


(“生きてて良かった”じゃなく“死ななくて良かった”か)


自分に無関心な両親の顔が浮かんで真昼は静かに笑った。あれが一番楽な生き方も知れない。ひたすらに漣太に恋をしたのはきっと間違いだったのだ。そう結論付けた真昼はまた笑った。もう涙は出ない。あの日、漣太と別れた日にきっと一生分泣いたのだと振り返る。丁度良かったと思った。真昼にはもう慰めてくれる人はいないのだから。


漣太と別れてから半年後。漣太から復縁を迫られた。ひたすら謝られ、やはり真昼が良いのだと熱く請われた。漣太の懺悔を淡々と聞いていた真昼は静かに審判を下した。


「恋人には戻れない」


「傍にいれるだけでいいから」真昼に断られる事は予想の範囲内だったのだろう。力強くそう返した漣太は真昼を諦めなかった。真昼は漣太自身を拒絶しなかった。漣太との関係は幼なじみのままだが、恋人の様に一緒にいるし、身体だって繋げる。表面上は恋人だった頃と変わらないが、決定的に違う事が一つ。真昼はもう漣太に甘えなくなった。




「漣太くん、御免ね」


不意に真昼の口から漏れたのは謝罪のそれだ。


「それは何の御免?」

「謝らなくちゃって思ったから」


漣太を見ていると謝らずにはいられなかった。真昼の脳裏に遠い日の記憶が蘇る。


『れーちゃん!』


何がそんなに嬉しいのか。世界中の全ての幸せを噛みしめる様に漣太の名前を呼んでいた少年はもう真昼の中にはいないのだ。 




「ねーねー佐藤さとうくん! 漣太くんがモデルデビューするってほんと!?」


教室の真ん中で、いつも以上に騒がしくしていた女子達が窓際の席にいる真昼の元へと近付いてきた。やや興奮気味に詰め寄ってくる彼女達とは碌に会話した記憶がない。彼女達の中で真昼の価値は“漣太と幼なじみである”というただ一点のみだ。だから「僕は知らない」と不案内を口にすると彼女達はあっさりと引き下がった。


(格好良いもんね)


漣太がモデルデビューするという話は初耳だが、特に驚きはなく素直に納得してしまった。漣太の容姿は“幼なじみ”という贔屓目抜きに見てもかなり整っていると思う。大袈裟ではなく、漣太がいるただそれだけでその場は華やかに際立つのだ。そんな漣太を周りが放っておくはずがない。漣太は昔から人目を引きつけていた。他の誰よりも特別な存在だった。


以前は自分も漣太をーー。


真昼はそこまで考えてふ、と息を吐いた。自分が渇いていくのを実感する度に呼吸するのが気安くなっていく。もう漣太を想って心から笑うことも泣くこともない。幸せを噛みしめられない代わりに心が悲鳴を上げることもない。自分はこれ以上傷付かなくていいのだ。何て楽な生き方なんだろう。最初からこうすれば良かったと真昼は窓の外へと目を向けた。あの日から世界の色が変わった気がする。自分はもう大丈夫。痛まなくなった心に満足を覚えるように笑った。



真昼は自室にあるベッドの足に凭れ掛かりながら、漣太と取り留めのない会話をしていた。漣太とは毎日の様に顔を合わせている。求められれば身体だって合わせた。端から見れば恋人同士だった頃と何も変わらないだろう。


「今度モデルの仕事する事になったんだ。親が世話になっている人からどうしてもって頼まれてさ、断り切れなかった」

「うん」

「知ってたの?」

「女の子達が騒いでた。モデルか……漣太くんにピッタリだね。漣太くん格好良い、」


語尾は漣太の唇に吸い取られてしまった。何度か小鳥が啄むような軽い口付けを繰り返され、次第に熱く激しいそれへと変化していく。真昼は抗う事なく漣太の好きにさせた。


「真昼……そんな顔しないで」


行為中、両頬に漣太の手の感触が落ちる。哀願する漣太の口調は実に弱々しかった。


(そんな顔って?)


真昼は意味を計りかねていた。自分は今どんな表情で漣太と身体を重ねているのだろう。分からないが、少なくとも泣いてはいないのに漣太は何故そんな事を口にするのか。


『れーちゃん!』


漣太しか見ていなかった以前の自分を思い出す。あの頃の真昼はことあるごとに泣いていた気がする。不思議だ。何をあんなに泣くことがあったのだろう。ぼんやりと漣太を見る。漣太の表情は今にも泣き出しそうだった。


「漣太くんは泣きたいの?」


漣太の肩がびくりと震えたのを真昼は見逃さない。それは決まってセックスの後、漣太が真昼に気付かれぬようこっそりと一人で泣いているのを知っていた。漣太の涙を見るのは多分幼稚園以来だ。漣太の涙の理由は分からない。でもきっと自分の所為なんだろう。


「御免ね」

「頼むから謝らないで真昼。悪いのは俺なんだから」


漣太の逞しい腕が伸びてきて、そのまま抱きすくめられた。


「僕もう漣太くんと会わないことにする」

「どうして!? 傍にいてくれるだけでいいんだ!」


力強い腕に抱かれながら真昼は漣太との決別を考えていた。こんなにも近くで漣太の鼓動を感じるのに心はちっとも寄り添わない。一緒にいて熱を分かち合って、果たしてそれにどんな意味がある? 漣太はきっと勘違いしているのだ。真昼の中にはもう泣き虫な真昼も幸せいっぱいに笑う真昼もいない。漣太が恋しがる真昼は、真昼でありながら真昼でなくなってしまったのだ。あの日を境に世界の色は変わってしまった。


「僕、漣太くんのこと好きだったんだ」

「……」

「大好きだったんだ」


淡々と無感情に昔の想いを口にする。刹那、それまで力強かった腕の力が弱まったかと思うと真昼の首筋に漣太の熱い舌が這い、行為が再開された。喘ぎながら快楽を受け入れた真昼は自分に被い被さっている漣太を見上げた。ぽつりぽつりと雨の様な涙が降ってくる。


『真昼は泣き虫だな』


ーー自分はもう大丈夫だから。


「漣太くんこそ泣き虫」


ーーだからさようなら。

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