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迷宮のように広い家をお手伝いさんに案内され、彼の部屋の前まで来たものの。
「……少し後ろについていただけますか?」
「……後ろ? てかなんで小声」
「……いいから」
空港の渡り廊下の如くだだっ広い廊下で、彼女につられてひそひそ声で会話しながら、言われた通りに後ろにつく。
彼女は愉しそうにドアの前に立つと、リズミカルにコンコンとノックした。
「坊っちゃま~。紅茶をお持ちしました~」
「はーい」
タッタッと、軽快に走ってくる足音が聞こえる。
部屋の中で走る?
少し待つと、向こうから扉を開けてくれたのだけれど。
ーーその瞬間の衝撃を、私は一生忘れない。
「お待たせ、雨野さん。今日は何……を……」
私とばっちり目が合った犬飼くんは、メドゥーサにでも睨まれたかと言いたくなるほどに固まっていた。私も彼を見て絶句している。
ぷるぷる震えて笑いを堪えているのは、お互いの目の前にいるお手伝いさんだけだ。
「……犬飼くん……私の彼氏は女装趣味があったん……?」
「待って澄麗、君は何か勘違いしている」
「いやいや……隠さなくていいんだよ……好きな人の全てを受け入れられるようじゃないと、恋人って務まらないからさ……」
ちなみに今の犬飼くんの格好は
・茶髪の縦ロールのウィッグ
・室内なのにニット帽
・室内なのにブーツ
・ウエディングドレスをかなり短くしたようなスカート
・その上に羽織っている黒いコートの下から見えるデニムの上着
・黒のストッキング
である。
「違う……違うんだ……これにはわけが……」
「そうです。坊っちゃんは、奥様の女心を理解しようと思ってこのような醜た……努力をなさっているのですよ」
「雨野さんん!? 今醜態とか言いませんでしたか!?」
いや醜態でしょ。彼女の前で女装姿晒すなんて。
しかも妙に似合ってるのがなんか腹立つ。
なんかむしゃくしゃしてきたので、とりあえず彼の向こう脛を蹴った。
「痛いぃっ!!」
「まさかとは思うけど犬飼くん。こんなことのためにこのお手伝いさんと洋服買いに行ったんじゃ……」
「え……しょうだけど……」
余程痛かったのか、返答がカミカミである。涙目で足を押さえる彼氏を前にして、ちょっとスッキリした。
「俺……鈍いからさ。こないだデート中に澄麗が怒って帰っちゃった時、どうして怒ってたのか理解できなかったのが悔しくて……」
床に正座して、捨てられて雨に濡れた仔犬のようにぷるぷる震えている彼氏の言い訳ともとれる弁解を聞いても、あまり納得できなかった。
「それで女装とかぶっ飛び過ぎでしょ」
「こうすれば、少しは澄麗の気持ち分かるかなぁって……」
六法全書の件でも思ったけれど、犬飼くんの行動が斜め上すぎて彼と共感できるところがあまりない。私がおかしいのか彼がおかしいのかわからんけど。
「ふーん。で、なんかわかった?」
多分わかんないだろうと思いながら聞いてみる。というか、これでわかったらそれはそれで怖い。
そして案の定彼は、苦虫を噛み潰したような顔で少し首を傾げた。
「いやぁ……そもそも澄麗、あの時なんで怒ってたの?」
「はぁ? なんでって……」
あまりにも酷い答えに反論しようとした瞬間、頭が真っ白になる。ふわっと、頭から何かが消えたような気がした。
あの時私は、誰かと話した気がする。犬飼くんがその人を見てた時に、私は何故かイライラしたんだ。
誰かと……誰か……誰?
「あれ……そういえば、なんで私……?」
「……なんだ、澄麗も忘れてるんじゃないか」
「本当だ……もしかしたら、そこまで大したことじゃなかったのかも」
そう言うと、お互い声を上げて笑った。




