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日曜日。
駅前で犬飼くんと初デートの待ち合わせしていた私だったけれど、時間を過ぎても犬飼くんが来なくていらついていた。
とりあえずLINEで「遅い! 今どこにいるの」とメッセージを入れる。少し経ってから確認すると、既読表示がされていた。
読んだんなら返事寄越せ! と思ったが我慢。こんな些細なことで怒ったって仕方ない。彼の到着を待つしかない。
あー、それにしても暇だ。犬飼くんがいればこんな想いもしなくて済むのに、肝心の彼は遅刻である。
ふと足下に、何か柔らかいものが触れた。ちょっとドキッとしつつ見下ろすと。
真っ黒な目の、茶色い生き物がいた。
「どストラぁぁあああぁイクっっ!!」
思わぬ臑劘に思わず絶叫し抱き上げる。何これ可愛い。
※臑劘……妖怪の一種。人の足や脛に体をこすりつけ、転ばせる。犬とも猫とも言える姿をもつといわれている。
「あっ、すみません!」
そこに、飼い主と思わしき一人の女性がやってきた。適度に化粧っ気のある、あまり頑張りすぎていない、普通のおばさんだ。飾りっ気なんてものはなく、ありのままの自分を表現した地味な色合いの服装。
「ごめんなさいねぇ、うちの子が迷惑かけて」
「いいえ。可愛いわんちゃんですね」
「ありがとう。拾ってきた子なんだけど、まだまだやんちゃ盛りみたいで。困ったものだわ」
私の腕から子犬をそっと抱き上げ、拳よりも小さな頭を指先で撫でた。
「もう、アイリスったら。勝手にいなくなっちゃダメでしょ」
それからは軽く会釈して、その人はどこかへと行ってしまった。
アイリス、っていうのか。明らかに和犬の血が強そうだったけれど。まぁいっか。
「おーい、澄麗ー」
耳を通り抜ける呑気な声。走ってくるでもなく、普通に歩いてる、自分の彼氏。
彼女として情けない限りだ。初デートに遅刻したというのに、全く反省の色すら見せない。
「お・そ・い!! 何してたん!?」
「いやぁごめんごめん。寝坊しちゃって」
軽い。軽すぎる。しかも寝坊したとか抜かしてやがる。こいつは本当に自分が彼氏であるという自覚があるのか。
「初デートに寝坊とか本当あり得ないわ……あんた何様なん?」
「……いや、本当ごめん。普段ガチガチの生活送ってたから、休日ってどうしても緩くなっちゃうんだよ」
「何わけわからんこと言ってんのよ。さ、早くデート行こう」
何でもいいから、この時の私は早くデートに行きたかったんだ。犬飼くんの言葉の意味もちょっとは気になったけれど、それ以上に彼の腰にぶら下がっている装備品も気にはなったけれど。
「…………」
いや、やっぱり気になる。なんでそれ持ってんの?てかそれ何? すごく重そうなんだけど。鈍器?
「あのさ、犬飼くん? それ何? ちょっと大きめの財布?」
「え? ……ああ、これ?」
犬飼くんが指差したのは、腰からぶら下がっている四角いケース。合成皮革でできていると思われる直方体のホルダーは、いかにもジーンズと一体化していそうな感じの紺色である。
カチッとボタンを外し、中から出てきたものは、一冊のハードカバーの本。
というか、うん……。これ、どう見ても六法全書だ。
「犬飼くん……私はまずどこからツッコミを入れたらいいのだろう」
「別に今日に限らず常に持ち歩いてるよ? 今朝遅れたのもこれ持つのに手間取ってたからでもあるし」
「あなたは六法全書依存症か何かですか!?」
ていうか何故よりによって六法全書なんだ。
マイ六法全書をホルダーにしまい込み、はにかみながら頭をぽりぽり掻く。普段ならどストライクだが、今はなんかそんなこと言ってる場合じゃない。
「実は俺の父親が検事で母親が弁護士なんだ」
「おう……それで?」
「そんな夫婦だからさ、日常生活の中でも昔からよく法律用語が飛び交ってて」
「ふむ」
「反抗期になってからはお小遣いはたいて買った六法全書を、ストレス解消のために投げる癖がついて」
「ごめん、意味がわからない」
親に対する反抗がささやかすぎるわ。てことはこないだ五反田くんに投げつけたあれは図書室のじゃなくて犬飼くんのだったのか。
「でもそれ重いでしょ。預かるよ?」
「いや、彼女に荷物持ちさせるほど腐ってないよ俺は」
「その割には遅刻したよなお前」
「そこ言わんといて」
とりあえず私はここで、男という生き物の身勝手さを身を持って知ったのだった。




