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その館は、町はずれの山奥にあった。
絵に描いたような西洋館。庭はフランス風にしっかり整理されていて、左右にシンメトリーに設置されてある花壇には色とりどりの花が一色ずつ一列になって綺麗に咲いていて、まるで地上の虹のよう。
「ここは、この空間の中で唯一時間が動いている場所なの。ここが彼らの集合場所」
「彼らって、まさか」
「ええ。『時計屋』よ」
地上の虹の間を通り、真っ白な扉の前に立つ。この扉も、縦3メートルはありそうだ。
小野寺さんはインターホンを探すこともノックすることもせず、何の躊躇いもなくその扉を開けた。
「え、勝手に!?」
「平気よ。一応ここお店だし」
「お店って……」
勝手に開けた扉の向こうから、コーヒーの香りが漂った。コーヒーがあるならクッキーも欲しいなぁ、と勝手なことを考えていると。
「いらっしゃいませ」
中学生くらいの男の子が、クッキーの乗った皿を前に、カウンターからお出迎えしてくれた。読心術でも使ったんか。
店内はアンティーク調になっていて、ダーツやらミニクラシックカーやらが雑多に飾られている。これらの「価値」は私には理解できないけれど、多分売ったら高価な値がつくのだろう。カウンター席にはコーヒーカップが2つ用意されていた。
「ようこそ、『時計屋』へ。ごゆっくりおくつろぎ下さい」
五反田くんの従妹が会ったっていう『時計屋』の中学生って、もしかしてこの子?
彼の顔をちらちら見ながらも、小野寺さんが手を引くのでそのまま席に座る。カップを近づけると、コーヒー独特の心地良い香りが鼻を通り抜けた。
「聞きたいことがあったんじゃないのか?」
「……へ?」
顔を上げると、先程の物腰の低さが嘘みたいに、さっきの中坊が腕を組んで私を見下ろしていた。
クッキー皿を私の前に置き、食い気味に顔を近づける。こんな至近距離で中坊にガン飛ばされたのは生まれて初めてだ。
「まさかただコーヒー飲みに来たとか言うんじゃねぇだろうな?」
「ああ……いやぁ……その」
「イトくん、彼女はお客様よ。失礼のないようにしなさい」
小野寺さんの助け舟のおかげで、イトと呼ばれた彼はようやく顔を離してくれた。盛大な舌打ちがあったけれど。
「それで、何の用? 俺たちも暇じゃねーんだけど」
その言葉を聞いて、たまらなく嬉しくなる。私の予想は当たっていたみたいだ。
「“たち”ってことは、他にもいるんだね? 『時計屋』と呼ばれる人間が」
「ああ、そうだよ。世の中には色んな奴がいるからな。困ったもんさ」
腰に手を当て、頭をぽりぽりと掻く。イラついているのだろうか。それとも、単に緊張しているだけ?
「時計屋は全部で何人いるの?」
「さぁ? この町は俺とアイとユキが担当してんだけど、他んとこにも『時計屋』は結構いるらしいしなぁ。東京とかその辺はひと区画で5〜6人体制らしいし、海外ではひと地域10人でやってるとこもあるって話だ」
「そんなに!?」
結構いた。しかも世界単位で。こりゃあとうに100は超えていそうだな。
「じゃあさ、じゃあさ。あなたたちに会える条件って? 『価値』の話だけじゃないんでしょ?」
「その話か……面倒くせぇ」
このクソガキが。さっき小野寺さんに注意されたばっかだろうが。
ちょっと腹立てていると、小野寺さんがちょんちょんと肩を叩き、そっと耳打ちしてきた。
「大きな声で『アイちゃん』を呼べば、すぐ言うこと聞くわよ」
「……アイちゃん?」
「いいから。まずは呼んでみて」
言っちゃあ悪いが、小野寺さんも十分怪しい人間である。その怪しい人間の言うことを素直に聞く人間など存在するのだろうか。
言うまでもない。ここにいる。だって百聞は一見に如かずっていうし。
何もしないことには何も起こらない。好奇心に素直な私は、とりあえず腹から声を出して呼んでみることにした。
「アイちゃーーーー」
「待ってお願いそれだけは勘弁して」
切り替え早くね?
一人優雅にコーヒーを啜っていた小野寺さんは、きれいなきつね色のクッキーに手を延ばし、サクッと一口かじっていた。
「イトくん、アイちゃんには頭が上がらないからね。物理的な意味で」
「物理!? この子頭に何乗せられてんの!? 足!?」
とりあえず頭の中で「アイ>イト」という不等式が成り立った。
「イトくん。ちゃんとこの子の言うことを聞いてくれるなら、アイちゃんを呼ばないって約束するわ」
「聞く! 聞きますっ!! だからお願いあいつだけは呼ばないでっ!!」
一体どういう関係なのだろう。気になるところだが時間がないようだし、ここはぐっと堪えよう。
「ええっと……何の話だったっけ」
「必要のない『もの』に『価値』を見出す以外に、俺たちを呼び出す条件があるんじゃないか……って話か?」
だから切り替え早すぎだろあんた。五反田くん以上にころころ変わってんじゃん。
「そう、それ。さっき面倒くさいって言ってたから、もしかして本当にあるの?」
「まあな。この世界にも限界ってのがあるし」
「……限界?」
「簡単に言えば定員さ。この世界は規模が小さいから、こっちに来れる人間なんてもんは限られている。
あれこれ説明すんの面倒くさいからお前ら人間が世界の時間を止めてるって言ってるけど実際は違う。この世界は、もともと時間が止まっているんだ」
「もともと時間が止まっている? でもちょっと待って、私たち人間はちゃんと時間が動く世界で生きてるよ?」
「お前らの世界はな。だがここは違う。ここはお前らの世界とは異なる世界。“異界”なんだ」
コーヒーカップをソーサーに置いた小野寺さんが、こちらを流し目で見る。
「要するに『時計屋』に会う人間は皆、時間を止めているのではなくて、“異界”に足を踏み入れてしまっただけなの。この、時間が全く動かない、小さなモノクロームの世界に」
「そういうこと。“異界”への入り口はお前たちの世界に無限に散りばめられているから、知らず知らずのうちに迷い込む奴が結構いるんだ。
そしてその“異界”に呑み込まれた人間は、その世界に順応するために自らの時間を止めてしまう。
……結果、未来を生きることも過去を思い返すこともできず、廃人同然の存在となってしまうわけだ」
「世界を超えた迷子になること……それが、『時計屋』に出会う最終条件よ」
つまり、『時計屋』に会うこと自体が大きな事故であり、不幸なことというわけか。ということは私、実は結構危なかった?
「じゃあ小野寺さんはしょっちゅう意図的に迷子になってるってことなん?」
「そうなるわね。まぁもっとも、私はどうすることもできないのだけれど」
「そんなに手離せないものなの? その、小野寺さんの必要のない『もの』って」
「そうね。生きてる限りはどうしようもないわ」
生きてる限り……?
「私の話はいいでしょう? ほら、早く帰りましょ」
「ああ、そうだ! 最後にもう一つだけ」
私はもう一度イトくんを見て、最後の質問を口にした。
「イトくんは……『時計屋』は、自分が何者なのか知っているの?」
イトくんは、答えた。