盤上のちゃぶ台返し――令嬢の公開処刑
微細な砂塵が、閉鎖式シミュレーション訓練場の冷徹なスポットライトを浴びて緩やかに浮沈し、空気中には高圧回路の過負荷による焦げた匂いと、隠すことすらない凍てつく殺意が充満していた。
漆黒の禁忌機体【オフィウクス】は、カタパルトのレールを一切使用しなかった。
油圧アクチュエータが重厚かつ極めて安定した低鳴を響かせ、鋼鉄の足先が一歩、また一歩と地表の砕石を噛み砕く。
それはまるで、宵闇のドレスを纏った貴婦人が静寂の庭園を優雅に散策するかのような佇まいを見せていた。過度な威嚇動作など何一つない。
あまりにも静まり返り、見守る者の息の根を止めるかのような重苦しい重圧を全身から放ちながら、黒い機影は訓練場の中央へと悠然と歩みを進め、対面に座す歴戦の機体と完全に相対して峙した。
『この一手合わせ、セリアお嬢様におかれましては、何卒手加減なきよう願いたいものですな』
正面、ラグナーは【ハングドマン】の経年劣化した濃色の本革シートに深く身を沈め、無骨でタコに覆われた指先を操縦桿へと軽やかに添えていた。
光学メインスクリーンのロックオンフレームは、すでに前方に佇む流麗極まりない漆黒の機躯を逃さず捉えている。
あれこそは歴史の暗部に深く埋もれた禁忌の遺産。いかなるパイロットであれ、あの機体と刃を交える栄誉を得たならば、軍歴に永遠に刻むに値する。
だが、真にトリガーを引く前に、ラグナーが確かめたかったのは他でもない――あの冷徹で堅牢な装甲の向こう側に、一体いかなる魂が座しているのか、その一点であった。
しかし、オフィウクスの幽玄な紫藍の光幕に包まれたコックピットの深奥において、セリアは目の前の敵を視界に収めてすらいなかった。
計器盤の冷ややかな反射光が、陶器のように白い横顔を照らし出す。ジュリアンが先ほど残した、一見すれば温和でありながら髄まで切り裂くような言葉の数々が、氷の楔となって彼女の思考を激しく穿ち続けていた。
彼女は伏し目がちに睫毛を落とし、眼下に静かな影を落としながら、主操縦桿を固く握りしめた自らの両手を見つめていた。黒の特化タクティカルグローブの奥で、指の節々が力強く白く浮き上がっている。
この狭小で致死的な空間に身を投じたあの日から、「普通の少女として陽光の下で平穏に生きる」というささやかな未来は、完全に粉々に砕け散ってしまったのだ。
さらに彼女の背筋を凍らせたのは、記憶の底に眠る無数の破片が、あまりにも残酷な真実の絵画へと急速に組み上がっていく感覚であった。
あの日、避難所からの撤退に際し、普段は温厚でだらしなくすらあった父エルウィンが、なぜ狂気じみた執念でオフィウクスが眠る地下シェルターの最深部へと自分を連れて向かったのか。
あれは決して追い詰められた末の偶然などではない。父はずっと、ずっと昔から、涙と覚悟を呑み込んで、彼女のためにこのレールを敷き詰めていたのだ。
最初の一歩を踏み出したその瞬間から、彼女には「選ぶ権利」など初めから与えられていなかった。
起動キーを押し込んだが最後、オフィウクスの覚醒が放つ深緋の光芒は、瞬く間に彼女を連邦全土の世論と政治の嵐のド真ん中へと押し上げる。
そして、彼女が万民の注視を浴びる焦点となった以上、イレーナの背後に控える巨大で冷酷な一族の怪物が座視し続けるはずなどあり得ないのだ。
イレーナの強権的で一切の妥協を許さぬ支配欲からすれば、彼女をエスペル家の権力の渦中へ力ずくで引きずり戻すことなど、もはや時間の問題に過ぎなかった。
深く愛し、唯一の拠り所と信じて疑わなかった父ですら、この見えざる政治闘争の断崖絶壁へと追い詰められ、退路を断たれた末に、宿命と呪いを象徴するこの凶刃を愛娘の手へと委ねるしかなかったのだろう。
すべてを悟ったその刹那、セリアの澄み渡るサファイアの双眸から、学生としての最後の迷いと脆さが跡形もなく消え去った。代わりに満ちたのは、底知れぬ冷徹さと研ぎ澄まされた覚醒の光であった。
彼女は金属と冷却液の匂いが混じる人工酸素を深く吸い込み、細くしなやかな指先を上げて通信パネルを毅然と操作した。暗号化された私設回線ではなく、信号帯域を全域オープンチャンネルへと直接切り替える。
「ララおじさん、一つお聞きしたいことがあるのだけれど……構わないかしら?」
山泉のせせらぎのように澄み切った少女の声が、幾重もの重装甲を突き破り、訓練場の巨大な拡声マトリクスと全観客席のホログラム端末を通じて、静かに、だが恐ろしいほど明瞭に響き渡った。
運命が彼女に退路を与えず、この残酷な盤上へと無理やり引きずり出すというのなら、もう隠れるつもりなど毛頭ない。自らの声を極限まで響き渡らせ、この暗闘を冷笑で見つめるすべての目と耳に、己の意志を刻みつけてやるまでだ。
「いわゆる政治というものは、大抵メディア にその手を伸ばすものよね? もし権力を握る者たちが大衆に見せたくない事があるのなら、一般市民は永遠に巧妙に編み上げられた嘘の中で生きるしかない……そういうことかしら?」
ハングドマンのコックピット内で、ラグナーの白髪混じりの眉が跳ね上がり、猛禽の如き瞳に隠しきれぬ動揺が走った。
彼は目の前の少女を、ただ天賦の才に恵まれた小器用な子供であり、根底ではイレーナの契約の罠すら見抜けない無垢な小鳥に過ぎないと思い込んでいた。
だが彼女は口を開くや否や、最も鋭利なメスを構え、学園全体、ひいては数多の勢力の眼前で、最も薄汚れた政治の帳を躊躇なく引き裂いてみせたのだ。
老兵は通信機の前でわずかに沈黙した。やがて、極めて低い声音で苦笑を漏らす。
『……理屈の上では、概ねその通りでございますな。何につけ、人として生きる以上、身動きの取れぬ立場というものは幾らでも転がっておりますから』
その曖昧な返答は、事情を知らぬ一般生徒たちには単なる無力感の吐露に聞こえたかもしれない。だがセリアの耳には、推論を決定づける重い確証として響いていた。
幾多の修羅場を潜り抜け、とっくに生への執着など捨て去ったはずの精鋭の老将が、オープンチャンネルでこの問いに正面から答えられない――それこそが、背後の主がどれほど苛烈な緘口令を敷いているかの証明であり、エスペル家が社会の情報網を絶対的かつ横暴に掌握している動かぬ証拠であった。
セリアの眼前に立ち込めていた霧は完全に晴れ渡り、思考はかつてないほど透明に澄み切っていた。
「つまり、真に盤面を読み解くためには、権力者たちが『何を語ったか』に耳を傾けるだけでなく……それ以上に、彼らが『何を語らなかったか』を見極めることが肝要だということね?」
『……これほどまでに感じ入る言葉を聞かされるとは思いもよりませんでした』
通信の向こうで、ラグナーは心の底から深い息を吐き出し、操縦桿を握る掌に力を込めた。
『流石は、あのお方の血を引くお嬢様であられる』
政治という名の泥沼は、世間知らずの若輩者が容易に足を踏み入れてよい領域ではない。半歩足を踏み外せば、崩壊するのは個人の名誉に留まらず、何千何万もの命と生活である。
世間は往々にして支配者層の下した決断を愚劣だと嘲笑するが、その一見して愚行に見える選択が、個人の強欲ゆえなのか、あるいは暗闇で刃を交え妥協を重ねた末に残された唯一の活路であったのかなど、知る由もないのだ。
セリアがその「語られざる影」を直視することを覚えた瞬間、彼女は最後の幼さを脱ぎ捨て、この過酷な遊戯へと足を踏み入れる正式な切符を手に入れたことを意味していた。
光学メインモニターに映る孤高で冷徹なオフィウクスを見つめ、ラグナーの胸中には驚嘆と共に、言葉に尽くせぬ疼きと憐憫が湧き上がっていた。
この少女があの鋼鉄の檻に乗り込んだ動機は、胸が締め付けられるほどに純粋なものだった――ただ、自らの大切な人々を守りたかった、それだけなのだ。
だが、その決断こそが、彼女に巨大な門閥の冷たい焼き印を押し付け、身に覚えのない嵐の中へと容赦なく巻き込んでしまった。
彼女には深謀遠慮を巡らせる父という後ろ盾があり、生涯その庇護に事欠くことはないかもしれない。
だが今この瞬間、その華奢な体から迸る凄烈な覚悟を目にしたラグナーの胸の底から、抗いがたい衝動が突き上げていた――自らの硝煙と血に塗れた老腕を以て、この薄暗い戦場の中で、彼女の得難い才気と切っ先を守り抜く水先案内人となりたい、と。
セリアの放った凛とした問いかけは、全域オープンチャンネルと高解像度の実況中継を通じて、訓練場の隅々まで余すところなく拡散されていた。
そして、プライベート観覧室の重厚なマジックミラーの向こう側で、ジュリアンは上質な本革ソファに優雅に身を預け、ホログラムスクリーンに黒曜石の如く佇むオフィウクスを眺めながら、その唇の端を満足げに吊り上げていた。
その種子は、ついに彼女の胸中で芽吹いたのだ。
彼は誰よりもセリアの思考の軌跡を把握していた――オフィウクスが人類の軍工産物などではなく「主和派」の知能機械の手によるものだと知った時、この聡明な少女は必ずや最も致命的な論理の破綻に突き当たる。
共存を望む機械生命が存在するというのなら、なぜ連邦全体のメディアや歴史教育は、その事実を完全に黙殺しているのか、と。
なぜなら、権力の天秤において、「恐怖」こそが最も莫大な利益を生み出し、決して廃れることのない硬貨だからだ。
残虐で、血に飢え、善悪が完全に二分された「共通の敵」の存在こそが、支配者層が大衆を結束させ、あらゆる異論を圧殺するための最も安上がりで効果的な道具なのだ。
もし知能機械の中に和解の手を差し伸べる者がいると知れ渡れば、民衆は現体制が掲げる戦争の正当性に疑念を抱き、戦時統制の名の下に奪われた自由と権利の返還を求め始めるだろう。
ゆえに、鏡は意図的に破壊され、選別されねばならない。
すべての知能機械を理不尽な虐殺者として仕立て上げてこそ、高みに立つ支配者たちは道徳の頂点から声を枯らして扇動し、大衆の恐怖と狂乱の中から尽きることのない政治的資本、軍需の暴利、そして異を唱える者を「完全に蒸発」させる絶対的な特権を貪り続けることができるのだ。
ジュリアンは手にしたクリスタルグラスを微かに揺らした。琥珀色の液体が微光を浴びて波打ち、光幕の中に映る少女の清麗で研ぎ澄まされた横顔を、彼は底知れぬ興の乗った眼差しで見つめていた。
彼の一手目は、予想を遥かに超えて正確かつ完璧に機能していた。
セリアに意図的に接近し、他愛のない会話の中で計算された綻びを提示し、世界の違和感に気づかせ、流れに乗せて主和派の存在を仄めかす……彼が仕掛けたすべての布石は、セリアをあの終着点へと押し出すためのものだった――万民の視線が集まるスポットライトの下で、彼女自身の口から「知能機械にも善意が存在する」という禁忌の真実を全世界に暴露させるために。
ジュリアンは痛いほど理解していた。これが徹頭徹尾、冷酷極まりない利用であるということを。
だが、彼にとってはどうでもいいことだった。
ノア家の御曹司である彼が表舞台で平和を叫んだところで、政敵からは売国奴あるいは幼稚な理想主義者として片付けられるのが関の山だ。しかしセリアは違う――彼女は種族の壁を真に超越共鳴し、オフィウクスを完全に従える「奇跡」そのものなのだから。
彼女の純粋にして圧倒的な声でなければ、大衆が数百年間にわたって刷り込まれてきた固定観念の殻を粉々に叩き割ることはできない。
仮にこの大博打が破綻したとしても?
ジュリアンの瞳の奥に、氷のように冷徹な静寂が過った。それはセリア自身の運命であり、吹き荒れる嵐は彼女一人に降り注ぐだけで、背後に潜むノア家の手を汚すことは一切ない。
セリアがオフィウクスに乗ることを余儀なくされ、巨大なエスペル家がその血統と地位を認めざるを得なくなった背景にも、ジュリアンが暗躍した影が存在していた。
最高位の門閥の看板を背負わせてこそ、彼女の声は体制を揺るがす絶対の質量を獲得する。それこそが、彼女がエスペル家へ戻らねばならなかった真の理由なのだから。
以前の会話すらも、精巧に仕組まれた免責の劇に過ぎなかった。彼は決して直接的な答えを与えず、純粋な案内人として振る舞い、致命的な問いのすべてをセリア自身に導き出させた。
後日エスペル家がどれほど調査を尽くそうとも、彼に繋がる尻尾を掴むことなど金輪際不可能なのだ。
「まったく……ずいぶんと大回りをしたものだね」
ジュリアンはわずかに頭を仰ぎ、天井の柔らかな照明を見つめながら、長く濁った息を吐き出した。
胸の最奥において、すべてを計算づくで動かし、無垢な人間すら駒として消費する自らの冷酷な貌に嫌悪を覚えていないわけではない。
だが同時に、複雑怪奇な現実が自らの敷設したレールの上を一分の狂いもなく疾走していく様を眺めるにつれ、魂の深淵から湧き上がる全能感と狂熱は、彼の指先を微かに震わせるほどに本物であった。
だが、最上階の個室で世界のすべてを掌握した気になっていたジュリアンは、千思万考の末にただ一つの決定的な要素を見落としていた――
セリアは、他人の意のままに操られる操り人形などでは決してなく、世間を知らぬ愚かな小娘でも断じてなかったのだ。
ジュリアンが周到に仕組んだ情報がセリアの聡明な頭脳を巡り、すべての違和感を完璧な一本の線へと結びつけた瞬間、少女はその「善意の誘導」の裏にまとわりつく、拭い去れぬ計算と悪意の臭いを瞬時に嗅ぎ取っていた。
事の真相を悟ったセリアの薄紅の唇が微かに引き結ばれ、曇りなきサファイアの瞳の奥に、狡知と抑えきれぬ怒りの光が静かに宿った。
「ララおじさん、もう一つ頼みたいことと……最後に確認したいことがあるの」
セリアの声は依然として全域オープンチャンネルを通じて響いていた。清らかで柔らかでありながら、誰もが無視できない重厚な真剣さを帯びている。
『何なりとお申し付けを、セリアお嬢様。貴女様の疑問にお答えすることは、この身の栄誉でございます』
通信の向こう側、ラグナーの返答には一片の迷いもなく、主君に対する軍人としての無意識の敬意が自然と滲み出ていた。
そして、そのあまりにも滑らかな「この身」と「栄誉」という言葉こそが、セリアの胸中にあった最後のパズルを完璧に完成させた。
「おじさん、さっきから貴方の口調、私を完全に『エスペル家のお嬢様』として扱っているわよね」
セリアは小首を傾げ、柔らかな銀白の長髪を肩から零れ落ちさせながら、穏やかながらも急所を抉る声音で告げた。
「つまり……あの契約には最初から罠が仕掛けられていた、そういうことね? この決闘の勝敗がどうあれ、私にはこの立場から逃れる道なんて残されていなかった……そうでしょう?」
『……左様にございます、セリアお嬢様』
ハングドマンのコックピットの中で、ラグナーは苦笑混じりの溜息を漏らし、内心で少女への評価を再び塗り替えていた。
名利の海に何十年と浸かってきた老獪な古狸たちに比べれば半歩遅く、未熟さが残ることは否めない。
だが、市井で育ち、門閥の帝王学など爪の先ほども教えられたことのない普通の少女が、会話の端々の違和感だけで契約の完全な袋小路を自力で看破してみせたのだ。
その驚異的な直感と地頭の良さは、すでに温室育ちのルネを遥か彼方へと置き去りにしていた。
セリアは小さく息を吐き出した。実の母親に手玉に取られていたという事実は腹立たしくて仕方がなかったが、賽が投げられた以上、彼女はただ愚痴をこぼして塞ぎ込むような柔な性分ではない。
運命がどうしても「エスペル家の令嬢」という重苦しい冠をこの頭に押し戴かせたいというのなら、結構なことだ――ならばその絶大な特権と暴力を、今この場で遠慮なく行使させてもらおうではないか!
「それならララおじさん、私は今から『エスペル家の令嬢』としての身分を以て、貴方に正式な命令を下してもよろしくて?」
『無論でございます、お嬢様。貴女様の御意志こそが、私の職務に他なりません』
ラグナーからの躊躇なき忠誠の言質を取り付けるや否や、セリアの陶器のような美貌から、最後の遠慮が完全に消え去った。
彼女は深く息を吸い込み、学園、軍部、果ては連邦全域へと繋がるオープン放送に向かって、一切の躊躇なく言い放った。
「私たちの学園にはね、自分が誰よりも頭が良いと思い込んでいる、政治家一族の御曹司がいるの。名を、ジュリアン・ノアというのだけれど」
少女の澄んだ声が訓練場の上空を震撼させた。そこには少女特有の根に持つような執念深さと、隠そうともしない不機嫌さが露わになっていた。
「そのジュリアン君はね、さっきわざわざ私の所へ来て勿体ぶった能書きを垂れ流し、私を自分の政治闘争の踏み台や都合のいい捨て駒にしようと企んだのよ――私個人を利用しようとしたことも腹立たしいけれど、エスペル家のお嬢様を標的に選んだ以上、相応の落とし前はつけてもらうべきよね?」
セリアは美しい青の双眸をすっと細め、その口元に底知れぬ凄みを孕んだ小悪魔のような笑みを浮かべた。
「この試合が終わったら、貴方の部下で一番腕の立つ戦友たちを全員集めて、あのノアとかいう男をボッコボコに叩きのめしてきなさい!」
――ガシャアンッ!
豪奢なマジックミラーに覆われたプライベート観覧室において、ソファに優雅に腰掛けていたジュリアンは雷撃に打たれたように硬直し、指先が激しく痙攣した。
手元の上等なクリスタルグラスが滑り落ち、高価な絨毯の上で砕け散ると、鮮血のような赤ワインが破片と共に飛び散った!
ジュリアンの白玉のように整った端麗な顔立ちから、普段張り付いていた非の打ち所のない微笑みが一瞬にして消え失せ、紙のように真っ白に染まり上がった。
夢にも思っていなかったのだ。セリアのあの世間知らずで無垢に見える外見の裏に、これほどまでに鋭利で、一切の道理を無視した報復心が潜んでいようとは!
彼女は己の仕掛けた言論の罠を完全に見抜いたばかりか、水面下で詰問する手順すら綺麗にすっ飛ばし、数万人が見守るオープンチャンネルの上で、彼に対して一切の手加減なき「全世界公開処刑」を叩きつけてきたのだ!
これはもはや水面下の政治的牽制などではない。盤面そのものを力任せにひっくり返されたのだ!
さらにジュリアンの背筋を凍りつかせ、冷汗を噴き出させたのは、セリアが振りかざした大義名分――「エスペル家のお嬢様」という看板であった!
ノア家は政界において確かに有力な名門ではある。だが、軍需、エネルギー、そして超常の機体開発を牛耳り、政・財・軍の三界すべてに絶対的な支配力と発言権を持つエスペルという巨頭の前では、比較にすらならない。
ジュリアンがエスペル家の正統後継者を水面下で駒として利用しようとしたなどと公に知れ渡れば、外界の目にはエスペル財団全体の面子を泥靴で踏みにじったとしか映らない。
彼自身が袋叩きに遭うどころの話ではない。事が大きくなれば、政界で権勢を振るう彼の父親ですら、自ら莫大な手土産を携えてイレーナの元へ土下座同然で謝罪に赴く羽目になり、親子揃って軍の秘密部隊から暗殺紛いの警告を受けることすら十分にあり得るのだ!
放送から響く少女の容赦なき制裁命令を聞き、ハングドマンのコックピットにいるラグナーは一瞬呆気にとられた後、目元の深い傷跡を歪め、歴戦の古だぬき特有の獰猛な笑みを浮かべた。
我が家の新しいお嬢様を体よく利用しようとした青二才の政客など、元より腹に据えかねていたところだったのだ。
「聞こえたかしら、ララおじさん?」
セリアは冷ややかに、そして極めて真剣に念を押した。
『しかと承知いたしました、お嬢様』
ラグナーは万力のような無骨な指を鳴らし、パキパキと恐ろしい骨音を響かせながら、隠しきれぬ愉悦と凄絶な気迫を込めて応じた。
『御安心を。この私が直々に精鋭を率い、あの若造を「懇切丁寧」に可愛がってまいります。己の親父の顔すら思い出せぬほどにな』
全場、完全なる死寂。
周囲を取り囲む無数の生徒たち、教授陣、果ては大会運営の審判たちに至るまで、中央に佇む威厳に満ちた漆黒のオフィウクスを前に、ただ口をあんぐりと開けて硬直していた。
誰もが予想だにしなかった。固唾を呑んで見守られていた最高峰の機甲決闘が、開戦の直前において、これほどまでに劇的な展開の転換と、ブラックユーモアと暴力の美学が入り乱れる異様な空気の中で、血塗られた戦端を開くことになろうとは――




