逃げられないゴシップの渦と、甘いリンゴ
消毒水の匂いが立ち込める診察室の中で、セリアは虚ろな瞳で、頭上に広がる眩いほどに白い天井を見つめていた。
あの驚天動地なる夜空の激戦から、すでに丸一ヶ月が経過していた。この一ヶ月間、彼女は高級な特別病室へと隔離され、幾度となく繰り返される精密機器のスキャンと細胞修復の治療プログラムに身を委ねていた。
先端医療技術の力で失われかけていた聴力が徐々に回復していくにつれ、彼女を待ち受けていたのは息もつかせぬほどの巨大な世論の嵐だった。
各大手ニュースチャンネルやネットのトップニュースは、オフィウクスのコックピット内でのカレナとの衝撃的なキスシーンのスクショをこれでもかとばかりに大々的に垂れ流し、「禁忌と毀滅の象徴」とされる伝説の第十三宮機体がいったい何者であるのかを狂ったように暴き立てていた。
退院したのち、再び学校の校門をくぐったときに待ち受けているであろう、周囲の好奇の目やヒソヒソ声、あの喧騒を想像するだけで、セリアはただただ、この病室というわずかばかりの空間に永遠に閉じこもっていたかった。
「まだ現実から目を背けるつもり?」
カレナは病室のベッドの脇に腰掛け、一振りの鋭い果物ナイフを手に、おぼつかない手つきながらも必死に集中してリンゴの皮を剥いていた。
セリアのために完璧なリンゴを食べさせたい一心で、普段は指一本すら汚さないイエラン家の高貴なお嬢様が、その白く滑らかな美しい手で、キッチンにて果物の皮を相手に何度も格闘を繰り広げていたのだ。
最初、老執事のセザールは猛反対した。我がイエラン家の大お嬢様が、そんな粗仕事で大切な手を汚すなどあってはならない。屋敷には腕利きの料理人や使用人が山ほどいるではないかと。
カレナに容赦なく何度か給与を減給され、さらにはクビにするとまで脅されたセザールは、ついに折れるしかなかった。
冷汗を流しながら、かつて自分の妻を口説き落とした際に培ったというリンゴ剥きの秘技を、すべて主人に叩き込む羽目になったのだった。
「どうしてニュースはいつまでも私のことばかり取り上げるの……もう一ヶ月も経ったのに……」
セリアは蚊の鳴くようなか細い抗議の声を漏らすと、すかさず布団を頭からすっぽりとかぶり、この残酷な現実から逃避するかのように首をすくめた。
振り返れば、彼女は元々、人々を惹きつけてやまない絶世の美貌を持ちながらも、普段はどこか抜けていて天然ボケな気質であり、機械兵装の操縦時には珍妙な「酔拳」のような動きを披露しては、周囲からマスコット的存在として愛されていた。
当時は誰もが彼女を「可愛い妹のような存在」として微笑ましく見守り、せいぜい陰でクスリと笑う程度だった。
誰もが予想しなかったはずだ。一瞬にして彼女が、漆黒の女武神を駆り、夜空で膨大な数の知性機械を単機で殲滅した伝説の存在へと祭り上げられてしまうなんて。
セリアの心をここまで激しく乱し、あえてカレナから距離を取らせている真の原因は他でもなかった。他ならぬ、カレナの身に未だに残る、すでに形骸化したイエラン家での「許嫁」の存在だった。
カレナからは以前、「イエラン家という名門の政略結婚なんてお互いに遊び人同士の形だけで、実態などない。親世代の面目を保つためのただの名義にすぎない」と聞かされていた。
心の奥底から湧き上がる酸っぱい嫉妬心と、道徳的な罪悪感に引き裂かれそうになるたび、セリアはどうしてもその現実を素直に飲み込むことができなかった。
自分のなかの譲れない一線を超えてしまい、「第三者」という不本意な立場に落ちぶれることへの恐怖から、このところカレナが歩み寄ってくるたびに無意識のうちに頑なな防壁を築いてしまっていたのだ。
「セリアはそんなに可愛いんだから、みんなずっと前から注目してたのよ。ただ、今回のオフィウクスの件で、一気に表舞台へ引っ張り出されちゃっただけよ」
カレナは綺麗に一口大へと切り分けたリンゴをガラスの皿に並べながら、まるで怯えた小動物をなだめるかのように優しい声をかけた。
その理屈くらい、セリアの頭では十分に分かっていた。昔はそこまで有名にならなかったのは、周囲から「顔だけで基礎的な兵装すら満足に扱えない天然ボケが、最前線に出たらあっさり犬死にするだけだ」と思われていたからに他ならない。
今の状況はまったく違っていた。あらゆる科学者や軍の要人たちが、狂ったようにオフィウクスの機動方式を研究し始めている。
あの既存の空力学の法則を完全に踏み越えた不気味な軌跡がもし解明されれば、人類と知性機械による百年越しの残酷な戦争に終止符を打てるかもしれない。
そうした壮大な命題も、今のセリアの心には一片の響きも持たなかった。
ベッドに横たわる彼女は、白く冷やりとした指先をそっと自分の額に当て、虚ろな目で天井を見つめていた。
療養生活を送るある日の午後、彼女は思いがけない来客を迎え入れていた。その人物は気品にあふれ、風貌も端正な若き紳士、ジュリアン・ノアだった。
他ならぬ、カレナの「名義上の許嫁」その人である。
最初、セリアはこの男に対して本能的な反発と敵意を抱いていた。政略結婚の相手など、どう見たって好きになれるはずがない。
ジュリアンと短い言葉を交わすうちに、彼女は驚くべきことに気づいた。
この男はカレナと同じように、あまりにも純粋で冷徹なまでの理想主義を宿しており、苦しむ民衆のために一筋の道を切り開きたいという熱意を抱いていたのだ。
セリアの直感は、いつだって恐ろしいほど正確だった。彼女は肌で痛いほど感じ取っていた。
ジュリアンが「世界がより良い未来を迎えることだけを望んでいる」と語るその時、彼の奥深い瞳のなかには、どれほどまでに熱く、純粋な光が燃え盛っているのかを。
ジュリアンは間違いなく極めて優秀であり、巨大な大局観を持った男だった。彼は決して良き伴侶にはなれない。なぜなら彼は人類という全体を愛していても、特定の個を偏愛することは決してないからだ。
彼の心の中には自分自身の居場所すらなく、命を燃え上がらせて追い求めているのは、ただの遥かなる烏托邦でしかなかった。
そんな男はあまりにも眩しすぎ、そしてあまりにも冷たかった。
だからこそ、ジュリアンが今回わざわざ足を運んだ本当の目的は、「セリアに、イエラン家の一員であるカレナと仲良くしてやってほしい」と頼むためだった。
ジュリアンにとって、彼の心にあるのはただあの巨大で冷徹な理想だけであり、イエラン家の人間であるカレナの存在は政治的基盤や家門の地歩を固めるための単なる駒にすぎなかったのだ。
彼自身もそれがカレナにとってあまりにも残酷であることは分かっていた。
それならばいっそ、セリアをもこの渦中に巻き込み、全員にとって利益のある「三贏」の形を作り出そうという算段だった。
ジュリアンがイエラン家とノア家の双方から全力のバックアップを得ることができれば、カレナはイエラン家の枷を脱ぎ捨てて自分の望む真実の愛を追い求めることができる。
セリアにとっても、強力な庇護のもとに身を置くことで、あの支配欲に満ちた母親の一族からの執拗な魔の手から完全に逃れることができるというわけだ。
その会話のなかで、ジュリアンは険しい表情を浮かべながらセリアにこう警告した。近い将来、綿密に計画された政治的暗殺が実行に移される。
その最大の標的となるのは、他ならぬエスペル家の現当主であるという。
実際、セリアの母親であるイレーナは、ずっと以前からセリアを強引にエスペル家へと引き戻そうと画策していた。
セリアのように純真無垢な「白うさぎ」のような娘を、何の背景も持たぬまま今連れ帰ったところで、結局は家門の権力闘争や政略結婚の道具にされて終わるのがオチだった。
そのためイレーナは「まずは名乗り出ない」という道を選び、自らが完全に実権を掌握し、絶対的な権力をその手に握りしめたその時を見計らって、エルウェンの手からセリアを力づくで奪い取ろうと企んでいたのだ。
セリアがその真相を知ってしまった瞬間、母の愛に対する最後の一縷の幻想すら、音を立てて崩れ去った。
そう、イレーナの所有するあの美しくも妖しい温室花園は、誰もがうすうす感づいていた通り、最初からセリアのために設計されたものだった。
その隠された真の目的は、その温室にこの弱く脆い小鳥を一生閉じ込め、二度と外の世界に出さないようにすることだった。
あの温室の大きなベッドの上に置かれていた銀の足枷でさえ、イレーナがわざわざセリアのために特注した禁断の道具だった。
まだ幼かった頃のセリアが眠っている隙に、イレーナがルネにこっそりと指示してメジャーで足首のサイズを測らせたのだという。
その愚行とも言える一幕が、偶然にも別の人物に写真に収められ、動かぬ証拠として残されていたのだ。
当初、周囲の人間は「またルネがセリアをからかう悪戯でも始めたのだろう」と軽く受け流し、誰もその細部に気を留めなかった。
最近になって大手メディアに、イレーナが過去にエルウェンと親密に寄り添っていた大量の写真がリークされ、さらにはエルウェンが昔、妊娠中のイレーナに付き添って病院の産婦人科を訪れていたときの医療カルテまでが次々と発掘されたことで。
すべての証拠と世論の風向きは、セリアがまぎれもなくイレーナの一人娘であるという真実を完全に裏付けるものとなった。
さらに衝撃的だったのは、イレーナの現在の夫であるアーサーが、かつて体外受精技術を用いてイレーナにルネを懐妊させたことがゴシップ誌によって暴かれたことだった。イレーナとアーサーの間には最初から本当の夫婦の契りなど存在しなかったのだ。
この暴露によって、世間の人々はイレーナをこう見るようになった。冷徹な政略結婚という泥沼に身を置きながらも、旧愛であるエルウェンとの純愛を密かに貫き通した悲劇のヒロインとして。
これほどまでの爆弾ニュースが連日飛び交っているにもかかわらず、政府や巨大財閥からの圧力や隠蔽工作が一切入らないのには明快な理由があった。
これらの情報そのものが、他ならぬエスペル家自らが主導して仕掛けた周到な世論工作だったからだ。
ジュリアンは厳重なトーンでセリアに忠告した。彼女の置かれた状況は、いまや一刻の猶予もないほど危険なものになっていた。
かつてのセリアであれば、ただ顔立ちの整った「お飾り」にすぎず、誰も真剣に気にかけてすらいなかった。今の彼女は違う。
黄道第十三宮「オフィウクス」の専属パイロットなのだ。この恐るべき戦闘力を持つ存在を手放す気など、エスペル家には毛頭なかった。
世界中にばらまかれた一連の暴露ニュースは、世界全体に対する強烈な警告にほかならなかった。「セリアはエスペル家の血を引く者であり、部外者が勝手に手を出せばどうなるか分かっている」という意思表示である。
この周到な情報戦を裏で操っていた黒幕こそが、誰もが予想もしなかった人物だった。
アーサーの長年の愛人であり、イレーナとも奇妙な和平を保ち、まるで実の姉妹のように親しい関係を築いていた軍師の女性だった。
ずっと昔から、イレーナとアーサーの愛人は暗黙の了解のもとで共闘関係にあった。
彼女がイレーナの一人娘奪取や権力奪取を水面下で支える代わりとして、アーサーと彼女はエスペル家の屋敷内で堂々と愛を育むことが許されていた。
そのため、本来なら泥沼の争いになるはず的正妻と伴侶の関係が、奇妙なことに親密な姉妹のようになっていたのだ。
今回、アーサーの愛人であるテレサ・ウィントンはあえて一つの大きな賭けに出た。イレーナの過去の情史を思い切って世間に公開したのだ。
世間から多少の批判や物言いはつくだろうが、それと引き換えに家門の長老たちから「血縁の正統性」に対する黙認と承認を取り付けることに成功したのだった。
法律的にも血統的にもセリアがエスペル家の血を引いているという事実が固まれば、エスペル家は一挙に二機の「黄道シリーズ」の伝説的機体を傘下に収めることになる。
この圧倒的なカードは、今後の商業的・政治的駆け引きにおいて絶大な抑止力となる。
仮に交渉が決裂したとしても、相手は背後に控える二尊の怪物を想像しただけで、迂闊に武力行使に出ることはできなくなる。
そこへ加えて、セリアが単身で大規模な知性機械の暴動を沈静化させたという輝かしい功績が加わった。
このまばゆいばかりの栄誉は、エスペル家の長老たちに「何があってもこの娘を手放してはならない」という執念をさらに深く植え付ける結果となった。
ちなみに、都市を文字通り焦土の一歩手前まで追い込んだあの恐るべき知性機械の反乱は、なぜか民間では皮肉を込めて「プリンの乱」という不条理な名で呼ばれるようになっていた。
その原因はすべて、イエラン家のカレナとルネが実戦の最中に交わした通信のライブ配信データが、うっかり外部へ流出してしまったことにあった。
この世の終わりを思わせる大災害の引き金が「ルネがイエラン家のカレナのプリンを勝手に食べたこと」にあったと知った大衆は、絶望的な現実から目を背けるように、この名前を面白おかしく口にするようになった。
大惨事がもたらした深い傷跡と向き合うための、これもまた人間なりの特殊な心理的防衛メカニズムなのかもしれなかった。
この壮絶な権謀術数の渦中で、最も悲惨な形で割を食うことになったのは、意外にもルネだった。
彼女は「黄道五宮」であるレオン(ししざ)を駆りながらも、衆人環視の中でイエラン家のカレナに二度までも敗北を喫したため、各界からは「本当に黄道十二宮のトップ機体を所有する資格があるのか」という厳しい疑念の目が向けられ始めていた。
それに加え、「プリン泥棒」の馬鹿げた事件が明るみに出たことで、ネットの世論は彼女を「プリン泥棒の常習犯」と面白半分に冷かすようになっていた。
当のルネ本人はどこ吹く風といった様子で、大勢の聴衆の前で「これからもイエラン家のカレナのプリンを堂々と盗み食いしてやるわよ」と豪語してはばからなかった。
そうした挑発的な発言に加え、過去の二人の親密なやり取りを収めた写真や数々のエピソードがネットの探偵たちによって次々と掘り起こされると、単なる野次馬にすぎなかった人々も次第にその関係のなかにただならぬ「異変」を感じ取り始めた。
いつもはあの手この手で自慢の可愛い姉を散々いじめておきながら、いざという時には猛烈に庇い立てする。
イエラン家の姉に好きな人ができたと知るやいなや、激昂してその人のプリンを食い荒らして憂さ晴らしをする。
模擬戦の最中に**「セリアが誰かとキスをした」**という噂を耳にしただけで、機体の同調率が目に見えて乱れ狂う。
「名門の狂気」、「禁忌の恋」、「姉妹の愛憎」といった刺激的な言葉が、瞬く間にネットのコミュニティを駆け巡った。
その炎上の熱量の半分ほどは、隠し通せなくなった現実を逆手に取り、ルネ自身が裏で工作員を使ってわざと火に油を注ぎ、世間の目をそらすために買い煽ったものだったのだが。
彼女がそんな派手な立ち回りをすればするほど、一番割を食って不幸になるのは他ならぬセリアだった。
彼女はただ静かに穏やかな日常を過ごしたいと願っているだけの、ちょっと容姿が人並み以上に整っているだけの普通の少女にすぎないというのに、なぜ目を覚ましたらこんなにも街中の好奇の目に晒されるゴシップのヒロインに仕立て上げられているのだろうか。
実の母親に冷酷に捨てられた悲劇のエースパイロット、姉妹の間で渦巻く禁忌の恋、そして政財界の大物が全世界の生放送の前で一般人の少女に強烈な口づけを交わしたスキャンダル。
こうした眩暈がするほどのゴシップの山を目にしたセリアは、頭がクラクラして気絶しかけ、いっそこの病院から一生出たくない、二度と学校の顔など見たくないと本気で思い詰めていた。
一方、父親であるエルウェンの受難も、決してそれに劣るものではなかった。
ここ最近、彼が職場に顔を出すと、同僚たちはまるで化け物でも見るかのようなおびえた目を向け、視線すら合わせようとせずに遠くからコソコソと迂回していくのだった。
この平穏を木端微塵に打ち砕いた生活の激変は、すべてあの連日流れるスキャンダルのせいだった。
自身の社会的プレッシャー以上に彼を怯えさせていたのは、こうした嵐がセリアの心身に修復不可能な傷を残してしまうのではないかという恐怖だった。
エルウェンにとって何よりも耐えがたい悪夢であり、夜も眠れなくなるほど恐れていたのは、水面下ですでに爆発寸前になっていたもう一つの危険な噂だった。
黄道第十三宮「オフィウクス」が「禁忌」の烙印を押されている根本的な理由は、過去にその機体を起動させようとしたすべてのパイロットたちが、例外なく破滅的な死を迎えていたからにほかならない。
流出した極秘の内部資料によれば、過去に百人を超える歴代のトップエースたちが、オフィウクスとの生物神経接続を試みた瞬間、機体から逆流してきた莫大で禍々しい情報量の津波によって脳の神経を文字通り「焼き尽くされ」、その場で精神崩壊を起こして植物状態へと墜ちていったという。
そのような背筋も凍るような裏の歴史が世間に暴露されたいま、現行のパイロットであるセリアは自動的に最前線のさらし者にされ、いつ命を落としてもおかしくない生きた標的となっていた。
公的機関の整備格納庫の中で、エルウェンはぽつんとリフターの前に立ち、複雑な眼差しで目の前の機体を見つめていた。
それは、右側の機械腕の修理がようやく完了し、なぜか二振りの巨大な野太刀だけを強制的かつ頑なに装備させられた漆黒の機体——オフィウクスそのものだった。
彼の胸中は、言いようのない苦渋で満ち満ちていた。
本来なら、父親としての私人的な願いからすれば、彼女にはもう少し中距離からでも敵を牽制できるような、手堅い防衛用武装を色々と持たせてやりたかった。
どれほど手を尽くしても、この自律的な意志を持つかのような気まぐれな機体は一向に人間の意図に従おうとしなかった。
お上品な火器類には一切見向きもせず、冷徹で純粋な「刀」だけに異常なまでの執着を見せたのだ。
その結果として完成した今のオフィウクスは、全武装が「近接用の二振りの刀」だけに特化した、あまりにも極端すぎる仕様となっていた。
遠距離からの支援火器がないということは、今後セリアが戦場に出るたびに、敵の懐へと飛び込み、血肉と鉄の冷徹な塊がぶつかり合う凄惨な白兵戦を強いられることを意味していた。
娘がいつ脳死の恐怖に襲われるか分からない戦場で、しかも丸腰同然の距離で敵と刃を交えなければならない。
その想像が頭をよぎるたび、エルウェンは胸が締め付けられるような激しい痛みに襲われ、いっそすべてを投げ出して、今すぐセリアをあのイレーナの元へと強制的に送り届けてしまいたいという衝動に駆られるのだった。
命の保証すらない残酷な戦場の駒として使い潰されるくらいなら、いっそすべてを奪われたとしても、あの絶対的な権力の庇護下にある「安全な場所」へと娘を隠してしまったほうがいいのではないか——。




