●38
僕は今日も今日とてエバンズ男爵令嬢を観察している。
とはいえクライン子爵に頼まれた任務を遂行しているわけではない。どうやらエバンズ男爵令嬢はお見合いを諦めたらしく、クライン子爵からの監視依頼は無くなったのだ。
しかし僕は今日もエバンズ男爵令嬢を観察している。なぜなら、楽しいから。
「あら、あなたはまだメイジーのことを監視しているのですか?」
「へっ!?」
ふいに後ろから声をかけられて飛び上がる。声の主は、優しそうな令嬢だった。
彼女の名前は何だっただろうか。名前は思い出せないものの、姿は覚えている。彼女がエバンズ男爵令嬢と一緒にいるところを何度も目撃したことがあるから。
「あなたは、いつもメイジーのことを監視している方ですよね?」
「そ、そんなことはー、してませんよー?」
通用しないとは思いつつも、悪あがきとしてしらばっくれてみる。万が一通用したら儲けものだからだ。
すると令嬢は僕の態度にくすりと笑った。
「警戒しなくても良いですよ。別にあなたを咎めるつもりはありませんから」
「本当ですか?」
「もしもメイジーを害するつもりなら動こうと思っていましたが、あなたは観察しているだけのようですから。まあ、隠れて観察をするのも褒められた行為ではありませんが。でも主人に命じられてやったことなのでしょう?」
「主人って……」
「あなたはクライン子爵の従者の方、ですよね?」
依頼主までバレているとは。しかしここだけは訂正をしておきたい。
「従者ではなく、部下です。クライン子爵の従者になんて、死んでもなるつもりはありません」
「まあ。わたくしとしたことが調査不足でしたね」
「あとこれはクライン子爵の名誉のために言っておきます。最初は依頼されてエバンズ男爵令嬢を観察してましたけど、その依頼はもう終わりました。今はゴシップの匂いを嗅ぎつけた僕が個人的に観察してるだけです」
「そうでしたのね。では、わたくしと同じですね」
こともなげにそう言うと、令嬢は離れた位置にいるクライン子爵とエバンズ男爵令嬢に視線を向けた。
「あなたはあの二人、どうなると思います?」
「どうなるもこうなるも、くっ付く以外の選択肢がありますかね?」
クライン子爵とエバンズ男爵令嬢は、やいのやいの言いながらも仲良く通りを歩いている。
あれでくっ付かないと思う方が不自然だ。
「ふふっ。本当に嫌なら、メイジーは全力で子爵とのお出掛けを拒否しているはずですもの。一緒に出掛けている時点で『まんざらでもない』というやつですね」
「ですよねー」
「まんざらでもない……どころではないかもしれませんが。ほら。今メイジーがクライン子爵に渡したもの、あれはメイジーの手作りクッキーですよ。リンゴジャム入りです。昨日、わたくしと一緒に作ったんですの」
二人を見ると、クライン子爵が小さな包みを自身の懐に仕舞うところだった。
「クライン子爵は甘い物が好きですからねー。見た目に似合わず」
「それにリンゴも好きなのだと、メイジーから聞きました」
「あはは。クライン子爵の好みを把握してるなんて、本当にまんざらではないどころじゃなさそうですねー」
「やっぱりそう思いますよね?」
「はい。それにクライン子爵の方は確実に……そういえば。クライン子爵、安っぽい紐飾りを大事そうに執務室に置いてるんですよ。アレは絶対、エバンズ男爵令嬢絡みの品ですねー」
前に執務室に置かれた紐飾りに気付きそれは何かと尋ねた際には、クライン子爵は上機嫌な様子で紐飾りを眺めつつ自分の世界に入ってしまった。だから明確な答えは聞けなかったものの、態度で分かる。絶対にエバンズ男爵令嬢から貰ったか、エバンズ男爵令嬢と一緒に買った品だ。
「メイジーの部屋にも紐飾りがありました。きっとクライン子爵との思い出の品なのでしょうね」
やっぱり……って、あれ。
「毎日行く執務室のものを記憶してるならまだしも、たまたまお邪魔した部屋にあった紐飾りのことを覚えてるなんて、あなたは何者なんですか? もしかして本職の密偵とか?」
「あら。わたくしのことは調べられていないようですね。メイジーの男性関係を調べろ、とだけ言われていたのでしょうか。メイジーの活動を調べたのなら、わたくしの話も出てきているでしょうに」
「あー、実はあなたのことも調べた記憶があるんですけど、すっかり忘れてしまいまして。ええと、お名前は……」
「わたくし、カーリーと申します。どこの家門の者かは、ご自分でお調べになってくださいね」
令嬢はそう言って、優雅なカテーシーを披露した。
「カーリー嬢ですね。もう忘れません。バッチリ記憶しましたよー」
「そうですか? では以後お見知りおきを、ブライアンさん?」
自身の名前を言い当てられて、背中に冷たいものが走る。
カーリー嬢はいつの間に僕の名前を調べていたのだろう。
エバンズ男爵令嬢の周りでは、あまり変なことはしない方が良いかもしれない。何かを仕出かそうものなら、すぐにカーリー嬢の耳に入ってしまう。
情報収集の得意な相手を敵に回すと厄介だ。きっと情報操作も得意だろうから。
カーリー嬢本人は優しそうな雰囲気なのになあ。
「それにしても。まんざらでもないなら、早くくっ付いてくれないですかねー。じれったいったらないですよ」
「大丈夫です。そう遠くない未来に、二人から結婚式の案内状が届くはずですので」
そう言って、カーリー嬢は眩しいものでも見るかのように目を細めた。
了




