蒼黒の流星
夜空を、一筋の光が駆け抜ける。
蒼黒く輝く流星。
あまりにも美しく。
あまりにも力強く。
それはまるで、闇に覆われた世界を貫く希望そのものだった。
けれど。
その光を見上げた人々は、誰一人として願い事を口にしなかった。
願うよりも先に。
理由もなく涙が溢れていたからだ。
⸻
王都セレスティア。
広場には、数え切れない人々が集まっていた。
誰もが空を見上げている。
夜空を覆う巨大な白い法陣。
《世界終了命令》。
《エンド・リライト》。
世界そのものを書き換える終末機構。
その中心へ向かって、一筋の蒼黒い流星が一直線に突き進んでいた。
誰も知らない。
あの光の正体を。
名前も。
姿も。
記憶も。
すべて失われているはずだった。
それなのに。
胸の奥が熱くなる。
どうしようもなく懐かしい。
会いたかった。
ずっと待っていた。
忘れてしまったはずの何かが、今、帰ってこようとしている。
そんな説明のつかない感覚だけが、人々の胸に残っていた。
⸻
「……母さん。」
幼い少女が夜空を指差す。
「あれ……きれい。」
隣にいた母親は、ゆっくりと頬へ手を当てた。
指先に触れたのは、一筋の涙。
「……え?」
自分でも気付いていなかった。
悲しくない。
苦しくもない。
それなのに。
涙だけが止まらない。
震える声で、小さく呟く。
「分からないの……。」
もう一度、夜空を見上げる。
蒼黒い流星が、まっすぐ世界へ降りてくる。
胸の奥が締め付けられる。
「でも……。」
涙が零れる。
「あの人を……知ってる気がする。」
⸻
同じ頃。
王都中央区。
時計塔最上階。
白銀の観測者は静かに夜空を見上げていた。
仮面の奥に隠された瞳へ映る蒼黒い光。
その距離は、もう目視できるほど近い。
確実に。
間違いなく。
世界へ届こうとしている。
「……ようやくだ。」
誰にも聞こえないほど小さな呟き。
その一言には、あまりにも長い歳月が込められていた。
何度世界が滅んでも。
何度歴史が書き換えられても。
何度希望が失われても。
待ち続けてきた。
信じ続けてきた。
そして今。
止まり続けていた運命の歯車が、再び静かに動き始める。
⸻
管理者中枢。
《アーカイヴ・コア》。
純白の空間に、一人佇むアーカイヴ。
銀色の瞳には、無数の演算結果が映し出されていた。
⸻
《世界終了命令》
停止率 41%
⸻
《記憶復元率》
68%
⸻
《黒星王帰還率》
99.8%
⸻
静かな空間に、警告音だけが響き続ける。
演算が乱れていた。
あり得ない。
《エンド・リライト》は絶対だった。
管理者が定めた最終権限。
失敗という概念すら存在しないはずだった。
だが。
現実は演算を裏切っていた。
人々は忘れない。
世界そのものが抵抗している。
そして。
シオン・アルヴィスが帰ってくる。
アーカイヴはゆっくりと目を閉じた。
脳裏に蘇るのは、第七話で交わした一つの言葉。
『好きだからだ。』
シオンの声。
『この世界が。』
『みんなが。』
『生きることが。』
『好きだからだ。』
銀色の瞳が静かに揺れる。
理解できない。
演算できない。
それでも。
もう否定することもできなかった。
⸻
その頃。
記憶の海。
蒼銀色の光に包まれた世界で、ルナリアは静かに空を見上げていた。
もう涙は流れていない。
迷いは消えた。
忘れない。
失わない。
二度と離さない。
胸元の月の紋章が淡く輝き、身体を蒼銀色の光が優しく包み込む。
静かにクロノが隣へ立った。
「……近いな。」
ルナリアは微笑み、小さく頷く。
「うん。」
その声は震えていた。
だが、それは恐怖ではない。
希望だった。
期待だった。
三年間待ち続けた時間。
三年間届かなかった想い。
すべてが、もうすぐ終わる。
そして、新しく始まる。
ルナリアは夜空を見つめたまま、小さく呟く。
「帰ってくる。」
誰へ向けた言葉でもない。
自分自身へ誓うように。
「……絶対に。」
⸻
その瞬間だった。
ドォォォォォォォォォォォォォン――!!
天地を揺るがす轟音。
世界そのものが大きく震えた。
王都上空。
蒼黒い流星が、巨大な白い法陣へ真正面から激突する。
空間が砕け散る。
世界の壁が悲鳴を上げる。
管理者たちの演算が一斉に乱れ始めた。
『異常発生』
『異常発生』
『帰還事象確認』
『黒星王侵入』
警告が連続して響く。
次の瞬間。
バキバキバキィィィィン――!!
白い法陣に無数の亀裂が走った。
終末機構が激しく震える。
《エンド・リライト》が停止する。
王都全域が蒼黒い光に包み込まれていく。
⸻
人々は見た。
砕けた法陣の向こう側。
蒼黒い光の中心に、一人の少年が立っている。
黒髪。
蒼い瞳。
黒い外套。
幾多の戦いを越えて刻まれた無数の傷。
それでも真っ直ぐ前だけを見据える、その姿。
誰も名前を知らない。
知らないはずだった。
なのに。
胸が苦しい。
涙が止まらない。
どうしてこんなにも懐かしいのか。
どうしてこんなにも会いたかったのか。
誰にも分からなかった。
⸻
その時だった。
王都のどこかで。
一人の老人が、小さく呟く。
「……シオン。」
その声は風に溶けるほど小さかった。
けれど。
まるで呼び水だった。
「あれ……。」
「シオン……?」
「シオン・アルヴィス……。」
「英雄……。」
忘れられた名前。
消された記録。
歴史から追放された存在。
その名が、波紋のように世界中へ広がっていく。
人々の記憶が、少しずつ繋がり始める。
⸻
蒼黒い光の中心で。
シオンは静かに目を開いた。
蒼い瞳に映るのは、変わらない王都の景色。
帰るべき世界。
守りたかった空。
失いたくなかった人々。
そして。
何よりも会いたかった人が待つ場所。
シオンは小さく息を吐き、穏やかに微笑んだ。
「……ただいま。」
その声は誰の耳にも届かなかった。
けれど。
世界だけは確かに、その言葉を聞いていた。
忘れられた英雄が、ついに帰還したのだから。




