最終講 小説家になる方法
走り疲れた俺は、近くの公園に自転車を停め、ベンチに腰かけた。
冷たい風が、俺の頬をかすめていく。空を見上げたら、この季節特有の憂鬱な曇り空が広がっている。ため息が白い息になり、虚空に消えていく。
結局、颯夏に会う手段が何もない。連絡が取れない以上、あいつ自身からレスポンスがあるのを待つしかない。だが、それも期待できそうにない。
諦めかけた、その時だった。
上着のポケットに入れていたスマホが震えた。まさかと思ってそれを取り出すと、一通のメールが受信されていた。恐る恐る開くと、颯夏からの返信であった。
『師匠。今、学校の屋上にいるよ』
それだけ、記されていた。しかし、俺はすぐさま立ち上がって自転車に乗ると、それを再び走らせた。学校までは一駅だから、わざわざ電車に乗る必要はないと判断し、俺は学校に直行することにした。電車を待つ時間も惜しかったのだ。
二十分ほどで、学校に着いた。俺は颯夏がまだ屋上にいると信じ、走ってそこへ向かった。階段を駆け上がりながら、そういえば前にもこんなことがあったな……などと考えていた。
屋上の扉を開くと、颯夏がベンチに腰掛けて遠くの山々を眺めていた。
背後から近づいて、声をかける。
「新米……」
全力疾走してきたせいか、うまく声が出なかった。それでも、颯夏に俺の存在を気づかせるには十分足りた。
颯夏は顔だけをこちらに向けた。その頬は濡れており、傾いた日によって光っていた。颯夏は涙を拭おうともせず、敢然と立ち上がった。
「帰ろっか、師匠」
俺は何も答えられなかった。ここに来て、何と声をかければいいのかわからなかったのだ。実のところ、俺は颯夏が一つも気にすることなく、いつものように明るく、小憎たらしく振る舞ってくれることを期待していた。
それから俺は一言も発することなく、颯夏についていった。颯夏も終始黙っていた。
気がつけば、颯夏の家まで来ていた。俺の家よりも、一回りくらい大きな家だった。
颯夏は、俺を彼の部屋に案内してくれた。家には、他に誰もいないようだった。
初めて訪れる颯夏の家は、いい匂いがした。
窓からは西日が射し込み、部屋を寂しい色にしている。勉強机と思われる机には、パソコンが三台も置いてあった。これを、自宅用と持ち運び用に使い分けていたのか。
颯夏は床に座り込んだ。俺もそのすぐそばに腰を下ろす。
彼がなかなか口を開かないので、俺は意を決して新人賞について切り出そうと思った。
「新米。一次選考、見たか?」
できるだけ優しい声で、さり気なく尋ねてみる。颯夏は静かに頷いた。やはり、選考の結果を受けて泣いていたらしい。
「悪かったな、期待させちゃって」
「師匠は悪くないよ。俺の、力不足だもん」
今日はやけに素直だった。しかし、次に颯夏の口にした言葉が、俺を絶句させた。
「……師匠。俺、もう、師匠の家には行かないことにする。弟子もやめる。破門にしてよ」
「…………どういうことだ?」
「俺、小説家になる夢、諦める。やっぱり、才能がなかったんだ」
こんなことを言う颯夏を、俺は今まで見たことがなかった。こんな弱気になるなんて、颯夏らしくない。あってはならないことだと思った。
「待て。お前は、あんな程度の小説なら自分にも書けると思ったから、ラノベ作家を志したんじゃないのか?」
「考えが甘かったんだよ。今回、それに気づいた。俺は昔からずっと、色んな空想をしてた。ミュージシャンや俳優、トップの成績でみんなから尊敬される自分……でも、結局どれも叶えられなかった。俺には、何の才能もなかった。所詮、全部妄想だったんだ」
部屋を見回すと、本棚に『楽しい作曲』『役者になるために必要な15のこと』などという本があるのが目についた。生半可な気持ちで妄想していたわけじゃなかったんだ、こいつも。その一群の中から、俺は『ライトノベル新人賞を獲るための指南書』『小説がうまくなる本』といったタイトルの本を見出した。
颯夏が顔を上げるのを感じた俺は、無意識にやつと目を合わせた。颯夏は真剣な視線で、俺の目を見つめている。そして、彼は次にこう言った。
「やっと見つけたんだよ、叶えられそうな夢が。今回は、妄想だけで終わりたくなかったんだ。ちゃんと小説家になる未来を、この目で見たかったんだ」
「じゃあ、なんでやめるなんて……」
「言った通り、やっぱりどんな職業にも才能はいるってわかったんだ。俺にはその資格がないことがわかった」
颯夏が言い切ると、俺は一息おいて、彼ににじり寄った。
「だったら返せ」
「えっ?」
「俺の時間を返せ。俺がこれまでどんなに、お前のために時間を割いてきたと思ってる。その時間、俺だって自分の好きな小説でも何でも書けたはずだろ」
「それは……」
颯夏は言い淀んでいた。
一方、俺には不思議に思うことがあった。颯夏の目指していたのは、どれも有名人になる可能性のあるものばかりだ。そこまでして世間に自分の名を知らしめたかったのには、何か特別な理由があると俺は踏んだ。
「なあ、新米。なんで、お前は小説家になりたかったんだ? 他に、理由があるんだろ?」
鎌をかけるみたいで少し嫌だったが、ただ純粋に知りたかったのだ。こいつが何故、有名になりたかったのかを。
颯夏は目を伏せてしばらく黙り込んだが、やがて重いものを持ち上げるように、ようやく口を動かした。
「小学生の時、『僕』は大人しい性格でね、友達と呼べる友達がいなかったんだよね。クラスでいつも孤立して、遊ぶ人も全然いなかった。でも、小学校五年のクラス替えで席が隣になった子と、初めて仲良くなったんだ。
きっかけは取るに足らないくらい、小さなことだった。僕が消しゴムを落として、それを隣の子が拾ってくれたんだ。『友太』っていって、とても優しそうな子だと思った。それからも、友太は何度も僕に話しかけてきて、次第に休み時間とかにも一緒に遊ぶようになった。僕は、それがすごく嬉しかった。夢のようだと思った。
でもある日、その友太がクラスの人からいじめられてるって僕に訴えてきたんだ。僕は友達を助けたい、その一心で、いじめの主犯格にいじめをやめるように言ってやったんだ。今後、自分がどうなるかも考えずに。
結果、今度は僕が被害に遭う番になった。それによって、友太に矛先が向かなくなるなら、僕は潔くその報いを受けようと思った。けど、そうじゃなかった。友太は、僕のいじめに加担した。ううん、僕と友太の間には、もともと友情なんて存在しなかったんだ。僕が嫌いだったんだ。だから、最初から僕をハメるために、わざとその気にさせて、弄んでたんだ。僕はそれに気がつかなかった。
信じた『僕』が馬鹿だったよ。その時の友太は虫けらでも見るみたいに、僕を見てた。自分が見下されるのが怖いから、それよりも弱い僕を見下して、快楽に浸ってたんだよ。
そんなことがあって、『俺』は誰も信じなくなった。初めて会った人でも、優しそうな印象を受けても『この人は実は性格が悪いかもしれない』って疑うようになった。何の罪もない人を見下すようにもなった。見下していないと、またあの時みたいに、自分が見下されるような気がして。
だから、俺は世界に名を刻んで、あいつらを見下そうと考えた。有名な作家になって、友太たちを見下してやるんだって。それしか、復讐の方法が思いつかなかったからね」
何だよ……それ。そんな理由で小説を書いていても、楽しいわけないじゃないか。
俺はその話を聞いている最中、腸が煮えくり返りそうだった。心底、ムカついていた。颯夏にではない。もちろん、その友太とかいうクズ人間にだ。その腐った心情は塵芥に値する。
人の無垢な心を弄んで、何がそんなに楽しいんだ? そいつがこの場にいたら、俺は間違いなく殴っていただろう。誰に制止されても、俺はその手を止めなかっただろう。
俺が怒り心頭でいるにもかかわらず、当人である颯夏は冷静な語調を保ったまま、話を続ける。
「初めは、師匠のことも疑ってたよ。弟子入りはしたいけど、性格までは信用してなかった。それどころか、わざと嫌われるようなことまで言って、本性を探ろうとしてた」
「それで……あの時、俺を散々罵倒したのか」
「そうだよ。人の本性を刺激するには、怒らせてみるのが一番手っ取り早いからね」
「俺は、そんなやつとは違う」
颯夏を睨みながら、俺はそう言った。もしも俺が友太と同じだと思われていたのなら、心外以外の何物でもない。だが、颯夏は物怖じしないばかりか、優しげな表情になった。
「そうだよ。師匠は優しかった。あんなにディスられまくったのに、俺を見放さなかった」
颯夏の目には、また涙が浮かんできた。彼はそれを右腕でギュッと拭い去ると、真面目な顔つきになって俺を見つめ、話した。
「師匠はすごく優しい。だからこそ、これ以上、師匠の邪魔は極力したくないんだ。今日は、そのことを伝えたくて。さよなら。もう俺とは関わらなくていい。これまで迷惑かけたこと、申し訳なく思ってるよ。でも師匠のおかげで、小説に対する姿勢が変わった。ありがとう」
「新米……」
「今後どうするかはまだわからないけど、また気が向いたら何か書いてみる。師匠も頑張ってね、応援してるから」
颯夏は最後に、にっこりと微笑んだ。
「もう帰っていいよ。師匠の時間を、邪魔したくないからね」
何の邪気も見せず、颯夏は淡々と話す。
しかし、もちろん俺は納得がいかない。
こんなの……俺の知ってる颯夏じゃない! 俺の知っている新米颯夏は、もっと厚かましく、傲岸な態度をとる子なのだ。
それに。
「その言い方は、俺がまるでお前の友達じゃないみたいな言い方だな」
俺が言うと、颯夏は目をぱちくりとさせた。
「師匠は友達じゃないけど……?」
正直、ショックだった。こんなにいつも一緒にいるのに、友達じゃないとは何事か。
「師匠は師匠であって、友達とはなにか違うと思うんだ。それに、俺は友達なんかいない方がいい。だって、すぐ傷つけちゃうかもしれないから」
と、颯夏は付け加えた。
俺は迷った。
言わないと。俺が友達になってやるって、言わないと。
そうしないと、こいつがどんどん遠くへ行ってしまうような気がする。
何だろう、この気持ち。どうして、こんなに苦しいんだ。いつも振り回されて、貴重な時間も奪われて、内心辟易してるはずなのに。こいつが離れてしまうと思うと、急に苦しくなる。
俺が言うんだ。言ってやるんだ。
俺は手を伸ばし、颯夏の膝の上の手をぎゅっと握った。颯夏は驚いたように見開いた目を、こちらに向けてくる。
「師匠、どうしたの……?」
「颯夏よ、いいこと教えてやろう」
俺は声を絞り出すようにして言った。颯夏は無言で俺を見つめ続ける。俺は意を決して、心持ち大きく息を吸い込み、そして語るような口調で言葉を継いだ。
「俺が、友達になってやるよ。だから、一緒にまた小説家を目指そう」
「でも師匠……」
「俺は、好きで言ってんだ。じゃないと、さっさとお前となんか縁を切ってやるよ。つまりだな……お前といたいんだよ!」
「俺と……?」
颯夏は、瞳の中の光をゆらゆら揺らしながら、声を震わせた。
言ってしまった、という後悔がなかったわけじゃないけど、俺は別段取り消す必要もないと思った。あの煮え切らない、複雑な心境の正体がわかったから。
「俺は絶対にお前を裏切らない。いや、俺だけじゃない。真奈夫も、古代も、お前と十分仲がいいじゃないか。それから山田も、田中も、御代も、白根さんだって、お前を馬鹿にしたことなんか一度もないだろ?」
颯夏はまた黙って頷いた。次いで、畳みかけるようにして俺はこう続ける。
「ちょっとの挫折で諦めんな! 俺なんか、何十回一次で落ちてると思ってんだよ!」
これが、俺の言える精一杯の励ましの言葉だった。颯夏の頬を、いくつもの涙が堰を切ったように伝った。
「俺……一人じゃないんだ……」
颯夏は、むせび泣きながら呟いた。
俺はやつの両肩をつかみ、言葉を加える。
「頑張った分だけ、結果はついてくるんだから。俺だって、そうやって夢を叶えたんだ」
何度も、何度も、涙を流しながら颯夏は頷いていた。それが、俺には可愛く映った。
この先、どんな困難が待っていても、俺はこいつを小説家にするまでは、諦めない。兄貴に誓ったんだ。新しい目標として、こいつと歩いていく。
少し落ち着きを取り戻した颯夏は涙を拭き、やや紅潮した顔を伏せると、声を絞り出すようにして言った。
「師匠がそう言ってくれて、俺、嬉しいよ」
「待った」
颯夏は顔を上げた。
俺は彼を見つめながら、ふと思ったことを口にしてみた。
「これからは、俺の前でも本当のお前を見せてほしい」
今日まで俺が見てきた颯夏は、本来の颯夏とは違う。それはもはや、確信に変わっていた。純真無垢な新米颯夏こそ、本当の彼の姿なのだと。
再び颯夏は俯き、十数秒間黙考した後、顔を上げた。そして、決然と言い放った。
「そうだね。そうするよ、師匠。改めて、これからも僕に小説のこと、色々教えてください」
俺は嬉しくなった。言葉で言い表せないくらい、心が喜びに満ちていた。
颯夏の言葉に、俺は応えた。
「ああ。よろしくな、颯夏!」
「颯夏……?」
「友達になった証だ」
颯夏も初めは驚いていたものの、徐々に照れくさそうな微笑をした。
俺ももう嘘はつかない。こいつとゼロからてっぺんを目指す! これが、その決意表明たる証だった。
小説家になる上で必要なこと。それはごく当たり前のことだが、「諦めないこと」だ。選考の結果がどうあれ、落ち込むことなかれ。「審査員の見る目がなかった」と思うのもいい、「自分には才能がないから諦める」と思うよりは幾分ましだと思う。
結果をバネにして、決して諦めることなく、「自分にはできる」と強く信じることこそ、作品の向上、はたまたメンタルの強さへとつながっていくのだ。多くの作品を読み、色々な物語を構築していくことが、夢への第一歩に他ならない。
*
数ヶ月後のある日、颯夏から、ネット小説を対象にした新人賞の一次選考を通過したという内容のメールが届いた。俺は思わず椅子から立ち上がり、ガッツポーズをした。
ほら、頑張ればその分だけ、結果はついてくるのだ。そんな感じの返信を送った。
このように、颯夏と俺の作家デビューへの再スタートは、好調な滑り出しであった。
【用語解説】
・小説家になる方法:個人差はあると思いますが、諦めないことが大切だと思います。この作品を通して、それがよりわかった気がします。




