第十一章 05
嫌な予感がした。
「すみません、失礼します」
アディリシアが泣きそうだと聞いて急いで様子を見に行こうと扉へ向かう。
「私も行こう」
私に続いてお父さまたちも立ち上がった。
同じことに思い至ったのだろう。
レン兄さまだけが座ったまま驚いた顔をして固まっている。
「叔父上も来てください」
「急にどうしたんだ」
「いいから早く」
アレンが何事かと戸惑うレン兄さまの腕を掴んで強引に後を付いてくる。
廊下に出てもまだ泣き声は聞こえない。
杞憂かもしれないが間に合うようにとはしたなくも走って向かった。
アディリシアが気を失った直前に見たのは襲い掛かる大黒紫蝶の姿だ。
だとしたら目を覚ました瞬間、思い出してパニックになってもおかしくない。
「アディリシア」
扉を開けて室内に飛び込めばリタがアディリシアを抱き上げたところだった。
驚いた顔をするリタとゴシゴシと目元を擦るアディリシア。
本当に起きたばかりのようだ。
ベッドの上でシロが心配そうに妹を見上げている。
「ルディアお嬢様、今ちょうどアディリシアお嬢様が目を覚まされたところですよ」
「おね、さま?」
ぽやんと寝ぼけ眼でこちらを見るアディリシア。
天使の様な愛らしさに“間に合った”と胸を撫で下ろした瞬間。
アディリシアの顔がくしゃりと歪んだ。
「ふぇ……ふええええん」
急にボロボロと泣き出してしまった。
まずいと思った時には徐々に室内に風が吹き荒れ始める。
「アディ寂しかったのね。離れてごめんね」
急いで駆け寄ってリタからアディリシアを抱き受けるとポンポンと背中を叩く。
にっこりと微笑んで寂しいから泣いているのだと誘導するように宥めるも私の言葉は妹の耳にまったく耳に入らなかったようだ。
「ふ、ふぇぇ、ぢょうぢょぉ」
「蝶々?蝶々はいないわ」
やはり蝶々の襲撃が目に焼き付いてしまっているようだ。
極力なんともない顔で答えるもアディリシアの涙を止める事は出来なかった。
「こぁいぃぃぃ、うぁぁぁぁぁぁん」
「ア、アディ!もう大丈夫よ怖くないわ」
「うぎゃぁぁぁっぁぁぁ」
「アディ!」
「アディリシアお嬢様、落ち着いて」
のけぞる様にして泣き叫んでいる姿を少し離れた場所で後から来た皆が様子を伺っている。
お父さまは自分が近寄ると逆効果だと察しているのか近寄るに近寄れず落ち着かなそうだ。
目の前のリタも困り顔でどうしたら良いか戸惑っている。
きっと私も同じ顔をしているに違いない。
だんだんと風も強くなり私の髪を遊ぶように巻き上げていく。
カーテンや家具が踊りだし、小物が宙を舞いはじめてしまった。
アディリシアをなんとか落ち着かせようとしても何故か余計にボロボロと泣き出してしまう。
魔力を使えばまた気を失ってしまうかもしれないと気持ちばかりが焦る。
「い、今鎮静作用のある薬を」
「あなた急いで」
「セドリック早く」
ナターシャ様とマリおば様に急かされながらセドリックおじ様が鞄の中を漁っている。
慌てているせいかなかなか目当ての物が出てこないらしい。
「うぇぇぇぇん、うぁぁぁん」
「なんだこれは」
「叔父上、出番です」
「おい押すな」
レン兄さまがアレンに促されて部屋へと飛び込んできた。
「なんなんだ一体」
暴れるような風に顔をしかめながらレン兄さまが腕をひと振りすると室内の風の勢いが弱まった気がした。
浮いていた家具も少しずつゆっくりと地面へと足を下ろしていく。
「アディリシアお嬢様、お友達をお忘れですよ」
その間にリタが拾い上げたアディリシアのお気に入りのウサギのぬいぐるみを手に持ち気を逸らそうと試みる。
その仕草に誘発されたのかシロがベッドの上から飛び立ち、私の肩に乗った。
長い尻尾がひらひらと揺蕩う姿にアディリシアの視線がウサギからシロへと移る。
シロも宥めようとしてくれているのかもしれない。
「ひっく、とりさん」
「そう、鳥さんよ綺麗ね」
涙で潤んだ大きな瞳がじーっと見上げてくる視線にシロの足にピクリと力が入ったのがわかった。
少し痛いが今は我慢だ。
アディリシアはぬいぐるみをギュッと抱きしめつつもシロから目を逸らさない。
「魔力の使い方を教えてないのか」
一通り室内を落ち着かせてくれたレン兄さまがため息交じりにそう言った。
「今、勉強している最中だったのです」
ゾーイ様に教わる様になってむやみやたらに魔力を放つことは減ったものの泣いたりして感情が高まるとどうにもならない。
痛い思いや怖い思いをした場合は特に。
「まぁ、まだチビだし仕方ないか。だがこれは想像よりも先が思いやられるな」
「レン兄さま、面倒をかけてごめんなさい」
「……お前が謝ることじゃない。だが魔力を抑える魔道具の作成は急務だな」
「はい……」
くたりと私に体を預けるアディリシアはもう泣き止んだらしい。
視線はまだシロを見ている。
熱が出始めてからは体が弱っていたからか泣いても魔力が暴走する事などなかったけれど私ですらあの蝶の襲撃は思い出すだけで身震いがするくらい恐ろしかったのだから小さなアディリシアにとってはとても怖かったはずだ。
しばらくは気を付けてあげなければと心に留め置く。
「ピ!」
シロが小さな声を上げた。
ハッと尻尾を見るとアディリシアがその一部を口に入れていた。
長い尻尾がちょうど届く所へあったらしい。
「アディリシアお嬢様、ダメですよ!ペッてしてくださいペッって」
リタが必死になって尻尾を引き離すとそこは唾液でベトベトになっていた。
「ピュ……」
シロが悲し気な鳴き声をあげてまたベッドの上へと離れて行った。
首を下げてどこか項垂れているようにも見える。
「ご、ごめんなさいシロ。あとでちゃんと綺麗にしてあげるからね」
「ピュィ」
「一先ず私が」
ミレアはシロの側に寄るとタオルで濡れている尻尾を拭いてあげた。
そしてこちらはリタがアディリシアの口元を拭いながら羽根を食べていないか心配している。
当人はすかり疲れてしまったのかまた眠そうにウトウトし始めていた。
「リタ、僕が変わろう。ルディまだアディをベッドに寝かせてあげてくれるかな」
「はい、セドリックおじ様」
ベッドの上の花を少し避けてアディリシアをまたゆっくりと横たわらせる。
「ああ、もうこれは必要ないだろう」
そう言ってレン兄さまは自分のマントを回収し、ミレアとリタが咲いたポップコーンフラワーを片付け始めた。
大量の花は回収するのも大変だ。
「うん、羽根は食べてないから安心して。また熱が出そうだから眠る前に薬を飲ませておこう。根本的な解決にはならないだろうけれど」
セドリックおじ様が用意してくれたシロップの薬を半分眠りかけているアディリシアの口へ匙で運ぶ。
嫌がらない所を見ると苦みはないらしい。
最後に少し水を飲むともうスヤスヤと寝息を立てていた。
ホッとして肩の力が抜ける。
「魔道具を用意して、従魔契約を結ばせる」
言葉にするのは簡単だけれどとても容易ではないだろう。
レン兄さまもずっとこの国に居られるわけではないだろうし。
「こんな小さな子どもに魔力を抑える魔道具を付けらければならないのね」
マリおば様がアディリシアの額をそっと撫でて言った。
悲しげに呟かれたその言葉にマリおば様へと視線を向ける。
マリおば様はもう反対の意思を見せていなかったがその表情はとても暗い。
「姉上、マリ殿。アディリシアの魔道具は彼女にとって必ず身を守る善きものに致します」
レン兄さまがマリおば様とナターシャ様に向けて片手を胸に当てて決意する様に言った。
その眼差しはとても真剣に見えた。
「その言葉、信じますよ」
「はい、マリ殿」
「レンフェウス、頼みます」
「はい、姉上」
二人の言葉にレン兄さまは力強く頷く。
その後、マリおば様の表情が少しだけ和らいだ気がした。
「コホン、保護者はその二人だけじゃないんだが」
アートおじ様がお父さまの肩に手を乗せて除け者にされたみたいな顔でそう言った。
お父さまは眉間に皺を寄せて迷惑そうにアートおじ様を見ている。
「私を巻き込むな」
「いやいや、むしろお前が父親じゃないか」
「まずご婦人方の憂いを払うのが紳士というものでしょう」
したり顔でレン兄さまにそう返されてアートおじ様は苦い顔をする。
お父さまはレン兄さまに近付くと静かに頭を下げた。
「レン殿、娘の為にすまない。力を貸していただくことに感謝する」
「やめてください。同じ様に女神の口付けを受けた者として同胞を救う為にするのですから」
「それでも……」
「滞在中はいろいろとお世話になると思うので宜しくお願いします」
「ああ、なんでも言ってくれれば対応する」
「ありがとうございます。それと滞在中は魔道具作成に取り掛かると同時にこの国で起きている“問題”についても手を貸しましょう」
最後に付け足された思わぬ言葉に、皆が一瞬ピシリと固まるのを感じた。




