第九章 05
泣いてしまった恥ずかしさに居心地の悪さを感じてしまったけれどそれはどうやら私だけらしくナターシャ様もアレンも気にしてないと和やかに当たり障りのない会話を続けてくれた。
幼い頃から変わらない暖かい人たち。
「セドリックも朝の仕事を片付けたらこちらへ来ると言っていたのでもうそろそろ来ると思うわ」
「セドリックおじ様もお忙しいのに申し訳ありません。王宮は今大変なのでしょう?」
「黄昏の魔獣が出てからバタバタしているけど薬術院は主にサポート中心だからね、時間を作ることは出来るよ」
「黄昏の魔獣?あの城下町などに出る魔獣の事よね?」
「そう、夕暮れ時に多く出没して影を纏うような黒い獣らしくていつの間にかそう呼ばれるようになったんだって」
アレンは現場に行くことは無いからまだ見たことは無いらしいけれどオズワルドは騎士見習いとは言え見回り編成に組み込まれているそうで何度か遭遇していて話を聞いたそうだ。
ゾーイ様が小物だと言っていたように弱い魔獣らしいが成犬くらいの大きさでそれなりに素早い動きをするので危険には変わりないらしい。
今のところ被害も少く怪我人がわずかに出たくらいで済んでいるとは言え安心できない。
「まだ現れる条件もわからないし退治するのに騎士団と魔術院が剣呑な雰囲気になっていて王宮内はいろいろ大変だよ」
「どういうこと?騎士団と魔術院は協力体制にあったのではなかったかしら」
確か見回りの騎士団に魔術師が同行して魔獣退治にあたっていたはずだ。
人々が魔術師を支持する声があるのは聞いていたけれど。
「初めはそうだったけれど魔獣が魔術でしか倒せないとなると一部の魔術師たちが優位に立とうと不遜な態度を取り始めて……つまり騎士団の“下”に付くというのが我慢ならないと言う事らしいよ」
「協力し合わなければ倒せるものも倒せないでしょうに……さ、物騒なお話はここまでにしましょう」
ナターシャ様は私を気遣ってか物騒な話を打ち切ろうとした。
しかしアレンはそれに気付かないふりをして言葉を続ける。
「しかも魔術院は魔術師として戦力になる程の魔力を持つ者が少ないから所属の違う者や若年者、未成年であっても魔力持ちを誘致したいと言い出している」
「アレン、不安を煽るようなお話は控えた方が良いでしょう」
「その話、詳しく教えてくださいませ」
ナターシャ様がアレンを窘めるように視線で訴えているがそれに負けないくらい私も知りたいとアレンを見つめた。
我が家には魔力持ちが充実し過ぎているので気になる話だ。
「……母上だってご存知でしょう?魔術院が勝手な事を言い始めてその影響で王宮内も混乱して物事が上手く立ち行かなくなってしまってアートおじ様やマックスおじ様が対応に追われているじゃないですか」
お父さまが忙しい原因は魔獣対策だけでなく王宮内のゴタゴタもあるらしい。
それに加えてアディリシアの事もありお父さまの苦悩が窺える。
「お父さまはきっと私に心配かけないように私たちに何も知らないでいて欲しいのでしょうけれど弟妹は魔力持ちですし、きっと無関係ではいられないと思います」
「……魔術院のごく一部の魔術師が勝手に発している事ですからね」
ナターシャ様はそう前置きしてアレンが話すことを許可してくれた。
その言い出しているごく一部の魔術師と言うのがデニス・ニコロディ様のお父さま率いる一派らしい。
魔獣の出現を国難とし、国民を守るために貴族が一丸となって立ち上が上がるべきだと主張しているらしい。
だが現状なんとか対応は出来ており、まだ手に余るほどでも無い。それに地方では魔獣の出現が確認されていないため時期尚早ではないかという意見で抑えているらしい。
「未成年者を組み込むなどそのような事がまかり通るはずがありません」
ナターシャ様は憤りを見せながらそう言った。
ひっ迫している訳でも無いのになぜその様な提案をするのか解せないらしい。
「それはこれから魔獣の出現が顕著になる可能性を見越しているのでしょうか」
「もしかしたらそうかもしれないけど、アートおじ様たちの見解は異なるみたいだね」
「アレン、そのお話はまだ憶測を出ません」
今度こそ口を噤むようにとナターシャ様がピシリと言った。
これ以上いろいろお尋ねするのは今はやめておこう。
「……私は新緑の宴で魔獣の恐ろしさを感じました。城下町には大切な人たちがいますし被害がこれ以上広がらなければ良いのですけど」
「ルディ……」
「教えてくれてありがとうアレン。お父さまはお仕事の話をなさらないから聞けて良かったわ。ナターシャ様もどうかアレンをお叱りにならないでくださいね」
「何も知らないというのも不安になるものね、何にせよ今アートやあなたのお父さまたちが対応に努めていますから大丈夫ですよ」
安心させるようにそう言って微笑み話を終わらせた。
それから程なくしてお父さまと一緒にセドリックおじ様が来てくれた。
重そうな鞄を抱えて直ぐにアディリシアの所へと向かう。
「ああ、可哀想に幼いのにこんなに憔悴して……熱もさぞ苦しいだろう」
セドリックおじ様はアディリシアの眠るベッドに駆け寄ると表情を歪めた。
寝ているとは言え苦しそうに荒い息を吐くアディリシアの姿は私も胸が痛い。
おじ様の側にナターシャ様とアレンが赴き鞄を開けて準備を手伝い始めた。二人はセドリックおじさまの診察の助手をしてくれるようだ。
「はひゅ……」
人の動く気配にかアディリシアがぼんやりと目を開ける。
視線が私を探しているように思いおじ様たちと反対側からベッドサイドに駆け寄った。
「気分はどう?人がいっぱいでびっくりしたかしら」
熱のせいで潤む瞳を見つめながら出来るだけ優しい声でアディリシアに声をかけ額を撫でた。
アディリシアは何回か瞬きをした後、側にいるセドリックおじ様へ視線を向ける。
セドリックおじ様は膝を付いて横たわるアディリシアに視線を合わせてくれた。
「アディこんにちは。久しぶりだね」
「セドリックおじ様よ、覚えてる?アディの具合を診てくれるんですって」
「まだ眠いだろう?痛いことはしないよ、寝ても大丈夫だからね」
セドリックおじ様が優しくアディリシアの首もとや手足に触れ、口内を調べたり寝衣を少し寛げて触診したりテキパキと診察を進めていく。
「ふむ、熱は全身に広がっている感じだね」
「父上ではユンデルを使いますか」
「うん、少しは気持ちが落ち着くだろう」
既に指示があったのかお湯の入った桶を手にしたハンナが部屋に来るとアレンがそれを受け取った。
ハンナの後ろから様子を見について来た弟たちの姿が見える。
その側でロイが気まずそうにしている所をみると大人しく待っていられなくて無理を言ったのだろう。
邪魔をせず様子を見るだけと言われているのか部屋に入ることはせずに入口静かにこちらを窺っていた。
アレンは薄布をお湯に浸して絞ったあと、鞄から取り出した青い小瓶の液体を垂らす。
すると一瞬で薄布が淡い水色に変わった。
ふわりとリンゴの様な香りが僅かにこちらまで広がる。
「ユンデルの葉のエキスは頭が痛い時とか額に当てると解熱鎮痛効果があるんだ」
対処療法だけど、とそう言ってアレンはその薄布をアディリシアの額を覆うように乗せるとしばらくしてこわばっていた表情が少しだけ緩んだ。
瞼もとろりと落ちていく。
「うーん、脈が速いのは熱のせいだろうし肝心の熱の原因がわからないな。薬も一般的に使われるものだし……効果が出ないって事は何か原因があるはずだけど」
事前に話を聞いていた医術師の見立てと同じらしくセドリックおじ様は首を傾げた。
やはりこのまま様子を見て熱が下がるのを待つしかないのだろうか。
「あなた、ここを見て」
アディリシアの手を握っていたナターシャ様が何かに気付きおじ様に声をかけた。
セドリックおじ様はナターシャ様が視線を促すアディリシアの小さな手をまじまじと覗き込む。
私も視線を向ければナターシャ様が指さす先は小さな小さな爪。
その爪は淡い桃色に見えるがナターシャ様が動かすと光の加減で虹色にも輝いた。
自分の爪と見比べてもそんな風には輝かない。
「レナ、アディの爪に付け色などしてないわよね」
「も、もちろんです。そのような事はしておりません」
だとすれば、これがアディリシアの身に起きた異変の一つと言う事かもしれない。
セドリックおじ様も困惑している。
「これは……いったい」
「わたくしアディリシアの病状に心当たりがあるかもしれないわ」
「本当ですかナターシャ様!」
「確証はありませんがわたくしの末の弟がかかった症状に似ている気がします。確認に少し時間をいただければ情報を得られると思います」
難しい顔でそう言うナターシャ様の背をセドリックおじ様が支えた。
「ナターシャ、それは……」
「ええ、あの子に聞いてみるわ」
「今は少しでも手がかりが欲しい、頼む」
「私からもお願いします」
私たち父娘の懇願にナターシャ様は出来るだけ急いで確認すると約束してくれた。
「氷結石をいくつか持ってきたから体を冷やすのに使うと良い」
鞄から取り出した白い箱の中には淡い水色のその名の通り氷のような結晶石がいくつか並んでいた。
布にくるんで首のそばや脇の下などに当てていく。
「温くなったら使ってないものに交換して、使ったものはまたこの箱に入れて置けば冷たくなるから繰り返して使うようにね」
セドリックおじ様は氷結石の他にユンデルの葉のエキスや熱を下げる為の貴重な素材を提供してくれて、その夜は久しぶりにアディリシアはゆっくりと眠る事が出来た。




