第九章 02
「お父さま、おはようございます。お戻りだったのですね」
起きて身支度を整えて食堂へと向かうと、お父さまがジャンと話ながらゆったりとお茶を飲んでいた。
ジャンは私たちに挨拶をすると厨房へと戻って行く。
朝食の準備をしてくれるのだろう。
「ああ、おはよう。先程戻ったばかりだ」
「アディもご挨拶して」
私のスカートに隠れるようにしてくっついていたアディリシアの背中を押してお父さまの前へと促した。
もじもじする様子を見守っているとチラリチラリとお父さまを見ながら意を決した様に口を開く。
「お、おはようございます」
こ、声が小さい。
それでもお父さまには届いたようで嬉しそうにほんの少し目尻が下がる、ほんの少しだけどそれは喜んでいる証拠だ。
「おはよう」
穏やかな声で挨拶を返されたアディリシアはキュッと私のスカートを握りながらも照れくさそうに小さく微笑む。
いつの間にかアディリシアの警戒心が少し解けていたらしい、この反応に私もお父さまも少し驚いた。
「っこほん。私は先に朝食を済ませて貰った。今日は大事な話があるので食事が終わったら皆で居間へ来なさい」
「畏まりました、お父さま」
にっこりと微笑むことが苦手なお父さまだけど、緩む口元に嬉しさが隠し切れなかったようで軽く咳払いをすると席を立って行った。
二人の距離が改善していくのは私も嬉しい、キョトンと見上げて来るアディリシアの頭を優しく撫でた。
「少し屋敷の人数を増やすことにした」
お父さまは食事を終えて私が弟妹を連れて居間へ行くと短くそう言った。
突然の事に驚いて私たちは言葉を失う。
「私やハンナで屋敷内が滞りなく回るように努めておりますが皆様も大きくなられましたし、如何せん年ではありますので旦那さまがご配慮下さったのですよ」
あまりにも驚き過ぎたせいかモーリスが穏やかに補足してくれた。
そして一度居間から出ると一組の男女を連れて戻って来る。
「新しく侍女と侍従を雇うことにした。二人とも身元もはっきりしているので安心していい」
「それはまた……」
「随分と……急ですね父上」
まだ驚きの余韻を残しつつ私とライルがなんとか言葉を発する。
二人とも二十歳前後くらいだろうか。
侍従はロイ、茶褐色のサラリとした髪に真面目そうな面立ちをしていた。
侍女はリタ、赤毛でキリリとした印象的の少し背の高い女性だ。
二人とも礼儀正しく名乗り、良く教育された事を思わせる佇まいだった。
お父さまが二人に私たちを順番に紹介する中でリタは私と目が合うと相好を崩し柔らかい笑顔が浮べる。
その人好きするような笑顔に遅ればせながら気付いた、彼女は新緑の宴に出ていたマリおば様の侍女の一人だという事に。
「二人にはモーリスとハンナの補佐をしながらリタはルディアに、ロイはライルに主に付いて貰う」
「「宜しくお願い致します」」
お父さまが話を締めくくり二人が丁寧に挨拶をしたところで私たちは部屋へと戻る様に言われた。
ライルにアディリシアを預けて私はお父さまの側へと向かう。
「お父さま」
「ルディアも成人したのだし付添人が必要な場もこれから多くなるだろう、ライルも今後は後継者としていろいろと出歩く事も増えるだろうから補佐は必要だ。モーリスは私と共に屋敷を離れる時間が長い上、ハンナは家人を取りまとめているしレナはアディリシアがやっと懐いたところだろう。どうせなら新しく雇う事にした」
私が何か言うよりも早くお父さまが勢い良くつらつらと理由を述べる。
続く言葉を失った私は「わかりました」とコクリと頷いて居間を後にした。
後でハンナに聞いたことだが私が成人したのに専属の侍女を付けてない事をお父さまは大層気にしていたらしい。
出かける時だいたいはハンナが付いてくれていたし、手の空いている侍女が交代で付き添ってくれている事に何の不満もなかったけれど私の事を考えてくれていたのだと思うと不器用な愛がありがたかった。
「リタはマリおば様の侍女でいらしたでしょう?」
その後、私の部屋へと来て改めて挨拶をしたリタに気になっていた事を尋ねると彼女は胸の間で両手を組んで顔を綻ばせた。
リタは笑うと澄ましている時と印象がガラリと変わる、きっとこちらの方が素なのだろう。
「ルディアお嬢様はわたしの事を覚えておいでですか?」
「ええ、もちろん。新緑の宴では私の事を気遣って下さり、その後も手を引いて庇って下さいましたね」
「とんでもございません、当然の事をしただけです!……ですが覚えていていただけて嬉しいです」
「あの時はちゃんとお礼を言えなかったけれど本当にありがとう、助かりました」
「お嬢様にそう思っていただけて光栄です。ですがお嬢様、わたしにその様なお言葉使いは必要ありませんわ。楽に話してくださいませ」
マリおば様の侍女という事を踏まえて丁寧に接していたけれどリタにそう言われて普通の言葉遣いへと改める事にした。
「リタは王宮で勤めていたのに私の元へ来る事に納得しているの?」
侯爵令嬢に仕えるのと王妃殿下に仕えるのでは随分と差があるだろう。
お父さまが無理を言ってマリおば様にお願いしたのではないかと私は考えていた。
「もちろんです。そもそもわたしがお願いしたのです。アスターフォード侯爵が侍女をお探しと聞いて王妃殿下にお口添えをお願いしたのですわ。姉には大層怒られましたけれど」
「そうだったの、あなたが納得しているのなら良かったわ」
「精一杯お仕えさせていただきます」
「ええ、宜しく」
うぁぁぁぁん
そして近づいてくる泣き声。
程なくして部屋の扉が叩かれ、アディリシアを抱えたレナが姿を現した。
「私の側に仕えると漏れなく泣き虫な妹も付いてくるけれど」
「お任せください、子供は得意です」
そうは言っても人見知りのアディリシアが大人しくリタに抱っこされるまでにはしばらく時間を費やしたのだった。
*******
「カイト、ベル良かったらお茶でもしない?」
ある日、午後の授業が終わったところで弟たちに声をかける。
寄宿学校への入学を控えているライルは別に授業を受けているので終わるまでもう少し時間がかかりそうだ。
ロイはその間カイトたちに付いてくれるらしい、手際よくリタや侍女たちとお茶の準備をしてくれる。
無口なこの侍従はそれなりに弟たちと上手くやっているらしい。
家人とも打ち解けてきたようでジャンが先日一緒に飲んだと楽しそうに語っていた。
「お姉さま、アディはどうしたの?」
「アディは今お昼寝中よ」
ベルグラントはまだ少しアディリシアを気にしているようだったからゆっくり話をするにはこのタイミングが良いと思ってお茶に誘ったのだ。
この頃ベルグラントを気にかけて様子を見るようにして気付いたけれど以前纏っていたフワフワとした空気が薄れいつの間にかしっかりとした雰囲気を身につけている。
話し方や仕草まで少し大人びて来てゾーイ様の影響力の高さを物語っていた。
「ベルはゾーイ先生の授業楽しい?」
「はい!新しい事を覚えたりするのが楽しいです。最近はお忙しいみたいでなかなかお会い出来なくて残念ですけど」
ベルグラントは貸して貰っている魔術書の表紙を撫でて寂しそうにそう言った。
最近はいつも持ち歩いて暇さえあれば読んでいる。
「掛け金は出来る様になったの?」
「はい、気を抜いたりビックリしたりすると外れてしまうのでまだまだ練習が必要ですけど。お姉さまも訓練なされているのですか?」
「ええ、なんとか出来る様になったけれど長時間はまだ難しいわね。それにアディにこの方法を理解する様に説明するのは骨が折れそうだわ」
「アディには難しいと思います」
「そうね、何か良い方法があれば良いけど」
「ベルも姉さまも良いよなー掛け金を掛けるほど魔力があって」
「あらカイトだってポップコーンフラワーを咲かせられる様になったじゃない?」
「咲かせるって言ったってまだ八分咲きくらいだしさー」
カイトがポケットから取り出したポップコーンフラワーの種に魔力を込めてポンッと咲かせた。
初めは種が蕾になっただけだった事からすると八分咲きと言っても随分成長している。
目に見えて結果を出しているということは毎日毎日ちゃんと訓練しているのだろう。
それにしてもアレンの作ったポップコーンフラワーは本当に優秀だ。
アディリシアにとっては力を抑えて咲かせる訓練になり、カイトには魔力を使って咲かせる訓練になっている。
いつも直ぐに作れるからと気安く種を貰っているけれどそろそろお父様にも相談してきちんとお礼をしなくてはならないだろう。
「あともう少しで咲かせそうだし、頑張るんでしょう?」
「もちろん!ゾーイ先生が武術向けの魔道具作ってくれるっていうから使いこなせるくらいには魔力を鍛えなくちゃ」
カイトくらいの魔力なら多少鍛えたとしても割と一般的だ。
ベルグラントも掛け金をかけていれば魔力を抑えられるから目立つことなく過ごせるだろうし、そのまま寄宿学校に行く年にさえなれば魔術が多少多くても大丈夫だろう。
まだまだ先は長いけれど、どうかこのまま健やかに育って欲しい。




