第ニ話「二人のブランコ」
学外オリエンテーションは、群馬県の山の中で、農家とふれ合うというものだった。
近年はグンマー帝国とか呼ばれていて、文明が未発達とか野蛮だと憶測が飛び交うが、ぜんぜんそんな事はなかった。ちゃんと社会的秩序のある普通の国だ。
それで、僕らは二泊三日で農家さんの家に泊まった訳だったが、二日目の昼頃、班の男子たちとタケノコの取れる山の中を散策している間に、なんと僕だけ道をはぐれてしまった。
最初は「おーい!」とか「誰かぁー!」とか叫び声を上げて、本格的な遭難になる前に助けを求めたのだが、辺りは土と緑ばかりで、誰かがくる気配は全くなかった。
そのうち僕は、焦っても仕方ないのでこの状況を楽しむことにした。後で叱られるのは仕方がない。
森の中には木漏れ日の光が差し込んでいて、足元の腐葉土にユラユラとその影を照らしている。
コンクリートとは違い、土は生きているかのように柔らかく、雨が上がった後だったから、森林特有のいい匂いがした。
僕は、大きく深呼吸する。その匂いが好きで、たまに学校帰り近くの中央公園で匂いをかぎに行くほどだった。
伸びをする。筋肉がほぐれる。もしかしたらこのまま一生発見されずに、僕はこの森で仙人として暮らす事になるかもしれない。
まあ、それならそれでいいか。蛇や毒草に気をつけなければ。
僕はしばらく散歩する。どうやら日はだんだんと陰っているようだし、森はどんどん鬱蒼と深くなっているようだ。
しかし怖いとは思わなかった。むしろ人間の起源である自然環境を相手に、何を怖がる必要があるのだろうとすら思っていた。
僕にとっては不合理で理不尽な社会環境のほうがよほど恐ろしいものだと感じていたし、森に対する嫌悪感はこれっぽっちもなかったからである。
僕はそのまま足を進めた。
鳥の鳴き声がすぐ上から聞こえる。何の鳥なのかは分からない。カエルの鳴き声もゲコゲコ聞こえた。踏んじゃわないように気をつけなくては。
僕はそのまま足を進める。一歩、歩く度に、どんどん現実の世界と幻想の世界が曖昧になってくる。
僕自信の、心理的な情況もそうだし、この空間もそうだし、なにより全身を覆うような直感が、僕の事を捕らえて離さなかった。
不気味だとは思うけど、美しいとも思った。
あわよくば、何か非現実的なできごとが起こってくれないかな、という漠然とした期待と、同時に胸の高鳴りも感じた。
やや開けた場所に出た。鬱蒼とした木々たちの間に、太陽の光が差し込んでいて、煌めいている場所。
僕ははっとした。「公園だ」と声に出して呟いた。
遊具がある。砂場も、滑り台も。水のみ場もトイレも。
なんだろう。この空間は。
僕は、滑り台の影にブランコがあることを発見した。
乗ってみよう。そう思った時だった。
先客がいた。
彼女はうつむきながら、木陰が生み出す太陽の木漏れ日をただジッと見つめながら、
小さくブランコを漕いでいた。
僕は息をのんだ。こんな偶然があるのだろうかと状況を疑った。しかしそれは紛れもなく石峰さんで、僕は戸惑いを隠せなかった。
脈拍があがって、全身の血が沸騰するような感覚だった。
機会を手に入れたのだ。と、喜びに足が震えた。
それは一学期から望んでいた絶妙なタイミングというのを軽く凌駕する最高の機会だったから、僕は彼女に近づいた。
彼女はブランコをまだ漕いでいる。僕にはまだ気付いていないようだった。
体が揺れる度に、さらりと黒髪がなびいた。夕陽を受けてなお、鮮やかな烏丸色を保っている彼女の髪は、どこまで深いのかと気になった。
近付くと、彼女ははっと顔を上げて僕の方を見た。




