終了
完結
「二度とだ! 決して!」
家に着く頃には、姉さんの話す言葉のうち半分はそんな調子だった。警察の聴取で長く拘束された事が余程気分を害したらしい。
「真人、もう私を旅行になんて連れて行くなよ! 約束しろ! 絶対にだ!」
「悪かったよ。そんなに怒らないで」
僕は安物のノートパソコンから目を離さずに返事をする。
「公務員ってのは! どいつも! こいつも! お役所仕事で偉そうに! すでに解決された事件なんかにいつまで時間を潰すんだ! 無能の極みだ!」
「その事は道中でも聞いたよ。彼らとしても、調書は正確に取らなくちゃならないわけだからさ。大目に見ても良いじゃあ無いか」
「大目にだって!? 私は今までお前の事を弟だとばかり思っていたけれど、実はマザー・テレサだったんだね。驚いたよ」
「それは確かに驚きだ。僕は男ですら無いんだね」
コーヒーを一口飲み、ひとまず手を休める。作業は多く、ひと段落にはまだかかるが、一息つくくらいは構わないだろう。
コンビニで買ってきたインスタントコーヒーは、コクもなくあまり美味しいものでは無いが、姉さんがわざわざ砂糖とミルクをしこたま入れてカフェオレのようになっている。姉さんがコーヒーを淹れてくれる事は滅多と無いので、少しゆっくり目に味わわせてもらっている。
「なんだい、仕事は終わったのかい?」
「まだだよ。でも、キリがいいから休憩しようかなと思ってさ」
普段は自分の部屋から出てくることすら珍しい姉さんが、今日は僕の部屋に入り浸っている。それは愚痴を聞く相手が欲しいためでもあるし、嫌な思いをしたために人恋しくなったせいでもある。
何かあるたびにそんななので、仕事の邪魔をしない限りは邪険には扱わないようになった。姉さんも心得たもので、例えば体に触れたりとか何かを要求したりとかは絶対にしない。なんなら返答をしなくても一方的に語り続けるくらいだが、僕も慣れているのである程度言葉を返すようにしている。
「順調なんだね」
姉さんが僕の仕事について話を振るのは珍しい事だ。
「そこそこね」
姉さんは僕のパソコンを覗き込む。画面には所狭しと文字が並んでおり、それが何ページも続いている。そして、最初の行に記載されているその文章の題名は「雪山の殺人事件(仮)」。僕が実際に体験した、不可解な事件のことである。
「よくもまあ、あんな不愉快な事を飯の種にしようって思うね」
「その気持ちは分からないでもないけど、一応仕事だからね。僕だって楽しい事ばかりを書けたらそんなに嬉しい事はないけど、やっぱりそうはいかないのが現実さ」
ふん、と鼻を鳴らす姉さんに、僕は肩を竦める。
ジャーナリスト
それが僕の仕事だ。
「それにしても、随分と筆が乗っているようじゃあないか。大きな特集を任されたんだね」
パソコンの画面の覗き込んで姉さんが言う。その画面の右下には文字数を示す数字が表示されており、その桁数はすでに五桁目に達していた。
「いや、これから削るんだよ。あぁ……具体的には、十分の一くらいに……」
「はぁ?」
姉さんは首をかしげる。
実を言うと、僕が任されたのは、月刊誌の後ろの方にたった一ページだけ載る小さな記事だ。とてもではないが、数万字にもなる大特集ではない。
「私が順調なんだねと言うと、君はそこそこねと答えた訳だけれど、それは全くの嘘っぱちという事で良いね?」
「んん? いや……まあ、どれだけでも書けると言えば間違いはないし? 順調ではあるんじゃあないかな? と……」
「いやいや」
僕が自分の体験を記事に書こうと思ったのは、自らが感じた不思議を多くの人に共感して欲しいからではない。単純に取材の必要がないからだ。
話の裏どりは必要ない。知っているから。
事実確認の必要はない。知っているから。
当事者への設問も必要ない。知っているから。
仕事のうちの多くを占めるその時間がかからないとすれば、単純に楽な仕事になるだろうと考えたのだ。実際、記憶の新しいうちに始めたことも功を奏して見る見るうちに文字は連ねられていったのだが、むしろそれが裏目となってしまったのだ。
結局、僕がその記事を完成させることができたのは締め切りの当日、と言うよりも、一時間前といった塩梅であった。
お目汚し失礼致しました