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差し伸べられた手は死神か、それとも救いか

『黙れ、(ニえ)ガ』

「っ!? それはこっちの台詞(セリフ)ですから!」


 (ひづめ)で豪快に地面を蹴り上げ、牡牛の魔獣はエマに向かって突進する。

 猛牛のような勢いに加え、あまりの跳躍力と速さはさながら天馬のようにも見えた。


 一方で、エマは巨大なメイスを構えて迎え撃つ。

 第二軍団長のコンラッドですら足元にも及ばない膂力(りょりょく)を持つエマなら、ひょっとしたら。


 気づけばカイラは、じっとりと汗を滲ませた手を握りしめていた。


「っ! ぎぎ……ぎぎぎ……っ!」


 全ての歯を噛み砕いてしまうのではないかというほど食いしばり、エマは牡牛の魔獣の突進を受け止める。

 使い物にならないはずの、骨折した左腕すらも総動員して。


『あリ得なイ……おマえ、本当ニにンげンか?』

「し……つれい、ですね……っ!」


 抑揚のない声で告げる牡牛の魔獣とは対照的に、一切余裕のないエマ。

 案の定、均衡は一瞬にして崩れ去った。


「っ!? がは……っ」


 逞しく伸びる二本の角で、牡牛の魔獣はエマを上空へと突き上げる。

 あまりの衝撃に受け身を取ることすらできず、エマはなす術もなく地面に叩きつけられた。


「ぐ……う……まだ……ま、だ……」


 それでもなお立ち上がろうと身体を起こすエマ。

 闘志はいささかも衰えている様子はない。


『シつコい』

「あうっ!?」

『まダ来るカ』

「ぎゃうっ!?」

『愚か者ガ』

「ぎ……っ!?」


 何度弾かれ、叩きつけられ、踏み潰されても、それでもエマは立ち上がる。

 既に傷だらけで身体中から血を流し、左腕だけでなく右脚の骨も折れてしまっていた。


 なのに、エマは立ち上がろうと、地面に転がるメイスに手を伸ばす。

 何が彼女をそこまで駆り立てるのか。カイラには見当もつかない。


『……我はモう飽キた。コれデ終わラせル』

「や……れる、ものな……ら……やって、みなさい……よ……」


 なおも気迫をみなぎらせ、エマは牡牛の魔獣を睨みつける。


(分からない……分からない……)


 その異様な光景に、カイラは左右に何度も首を振る。

 先程までは牡牛の魔獣への恐怖で一杯のカイラだったが、今はそれ以上にエマの執念に釘付けになっていた。


「わた、し……は……もう、逃げ……ない……逃げ、たり……する……もん、か……っ」


 エマの心にいつまでもあり続ける、八年前のあの日(・・・)

 絶望的な状況で死を迎えるだけだった自分を、傷だらけになりながら救ってくれた、かけがえのない人。


 裏切られ、(なぶ)られ、(けが)された自分を、ただ一人裏切らないでいてくれた人。


 その人のために……その人の隣にいるために、逃げないと誓った。立ち向かうと誓った。

 そのためだけに、強くなると誓ったのだ。


「ああああああああああああああああああああ!?」


 そんなエマの覚悟も、決意も、想いすらも蹂躙(じゅうりん)するように、牡牛の魔獣は地面に平伏す彼女の両腕を踏みつけ、馬乗りになる。

 エマは悲鳴を上げてもがくが、既に満身創痍の彼女には振り払うことができない。


『……同胞(はラかラ)()ヲ作っタ。なラ我も、オまエと作ロうデはナいカ』

「っ!?」


 赤い眼を爛々(らんらん)と輝かせた牡牛の魔獣が、長くざらざらした黒い舌でエマの顔をべろり、と舐めると、その美しい顔が唾液でべとべとになる。

 カイラには、牡牛の魔獣が何をしようとしているのか理解した。


 あの魔獣は、あろうことかエマを(はら)ませようとしているのだ。


「あ……あああ……ああああああああ……っ」


 再び恐怖が押し寄せ、カイラは声を震わせて後退(あとずさ)る。

 魔獣の中には、人間の女を苗床にする種族がいる。牡牛の魔獣も、その類なのだろう。


「いや……いや、あ……」


 エマのような目に遭いたくない。

 牡牛の魔獣に犯されるなんて、死よりも耐えられない。だから、エマに夢中になっている今のうちに逃げ出すべき。


 それなのに。


『……ン?』

「は……離れろ……っ」


 気づけばカイラは、魔法によって生み出した拳大の火球を、牡牛の魔獣に向けて放っていた。

 ただし、魔獣には一切効いている様子はない。


「離れなさいよッッッ! あんたみたいなバケモノに、屈してたまるかあああああッッッ!」


 続けざまに、カイラは火球を何度も放つ。

 たとえ効かなくても、意味がなくても、それでもお構いなしに。


 恐怖に圧し潰されていたカイラだったが、そんなものは牡牛の魔獣に魔法を……牙を向けた時点で、とうに消え去った。

 あるのは、牡牛の魔獣への怒りだけ。


 それは、エマが見せてくれたから。

 敵わないと分かっているのに、それでも、自分を救うために何度も立ち上がり挑んだ、その背中を。


 エマの想いが、カイラを奮い立たせたのだ。


 すると。


『つギは、オまエの番ダ』

「ひっ!?」


 カイラの魔法など意に介さず、にたあ、と下卑た笑みを浮かべ牡牛の魔獣は舌舐めずりをした。

 思わず軽く悲鳴を上げ、(おのの)くカイラ。それでもすぐに気を取り直し、腰を抜かしていたはずなのに力強く立ち上がった。


「はあ……はあ……っ」


 父が遺してくれたレイピアを抜き、カイラはその一歩を踏み出す。

 たとえ、相手にならないと分かっていても。


「離れろ! 離れろ! 離れろおおおおおおおおおッッッ!」

『邪魔』

「が……ふ……っ」


 大鷲(おおわし)の翼で腹に強烈な一撃を見舞われ、カイラは吹き飛び地面に倒れる。

 あまりの痛みに、カイラは全身が砕けてしまったのではないかと錯覚した。


 起き上がろうにも、痛みで身動きができない。

 いよいよ悲鳴も、(うめ)き声すらも上げることができず、ただ呼吸を荒くさせるカイラは、馬乗りになったままの牡牛の魔獣と、踏みつけられるエマを見つめる。


『ム゛う゛ウ゛う゛ウ゛う゛ウ゛……』

「…………………………」


 牡牛の魔獣はエマを見つめ、醜悪な顔を近づけてゆっくりと腰を落とす。

 エマは仲間に裏切られ、仄暗(ほのぐら)い迷宮の中で魔獣達に(けが)された時の恐怖が蘇り、身体を震わせた。


 それでも。


『ッっ!?』

「オ……マエ……みたい、な……畜、生……おことわ、り……なん、です……よ……」


 唾を吐きかけ、エマは不敵に笑ってみせた。

 絶対に屈しないと。諦めたりはしないと。


 八年前のあの日(・・・)が、この胸にあり続けるかぎり。


「お願い……誰か……誰か助けてえ……っ」


 涙を(こぼ)し、消え入りそうな声で訴えるカイラ。

 どれだけ願おうとも、どれだけ祈ろうとも、あの牡牛の魔獣を倒せるような者などいないことは、理解しているのに。


 それでもカイラは、そう叫ばずにはいられなかった。


 いよいよ牡牛の魔獣が、エマを欲望のままに(なぶ)ろうと、そそり立つ肉棒を当てがおうとした。


 その時。


『ッっ!? ぶエ゛え゛ル゛る゛ル゛る゛ル゛ぅ゛エ゛え゛エ゛ぇ゛エ゛ぇ゛エ゛え゛ッ゛っ゛ッ゛!?』


 牡牛の魔獣の悲鳴とともに、エマの顔が鮮血に(まみ)れた。

 それは魔獣の赤い眼とは比べ物にならないほどどす黒く、強烈な臭いを放つ。


 でも、これが何なのかを幾度となく叩き伏せてきたエマは知っている。

 これは……魔獣の血だ。


「その薄汚いものを、今すぐどけろ」


 牡牛の魔獣への恐怖すら一瞬にしてかき消してしまうほどの、低く、冷たい声。

 まるで闇の中から魂を奪おうと、死神が手を差し伸べるのように。


 カイラは身体を震わせることすらできないが、エマは……エマだけは違う。

 それはどこまでも優しく、どこまでも温かい、八年前と同じく差し伸べられた救いの手。


「エマ、無事か!」


 もんどりうって倒れた牡牛の魔獣に変わってエマの視界に飛び込んできたのは、世界中の誰よりも尊く大切な人、ジェフリー=アリンガムだった。

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