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或る社会人の取るに足らない話  作者: 佐奈田
SS集
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誕生日プレゼントの話・2

 仕方なく一尚は、彼の言う通り自分がして欲しい事を言語化するべく、動揺したままの頭をどうにかフル回転させ、恋愛に関しては少な過ぎる語彙力を振り絞った。


「ええと……、そうですね。まず、体を許すのは俺だけにして欲しいです。頭撫でるとか腕を組むみたいな、変に親しく取られやすいスキンシップも。でもまあ、章弘さんの場合普通にスキンシップとしてハグ位はしそうですけれど……」

「判った、腕を組む以上のスキンシップはカズちゃんとだけね。握手とか、肩をポンって叩く位は許してくれる?」

「その位なら」

「オッケー。あとは?」

「あとは……俺の事に心を傾けていて欲しいです。ここは流石に全部とは言いませんけど、割合が出来るだけ多いと嬉しいです」

「勿論よ。あとは?」

「プライベートな時間を今まで通りか、それより多く共有したいです。お互いやらないといけない事はありますから、これも可能な限りって事で」

「じゃあ、また電話とかもして良いのね?」

「はい、それは是非。それから、声も沢山掛けて欲しいです。俺章弘さんの声って好きなので」

「掛ける掛けるぅ、毎日ラブコールしちゃう!」

「あと、また俺の事を見ていて欲しいです。俺の事が見える場所にいて欲しいというか」

「んもう、穴が空く程見ちゃう! あとは、あとはっ?」

「ええっと、あとは……」


 好きな相手に望む行動を逐一言葉にして言わされるって、一体どんなプレイなんだろうか。

 その後も嬉々とした章弘に『交際相手に望む事』を根掘り葉掘り聞き出され、しどろもどろになりながら一つ一つ答えている間に着々と時間は過ぎて行く。仕舞に疲れ切って『あとは日々過ごしている間にアップデートして行きましょう』と宣言した頃には気付けばすっかり日が落ちていて、ようやく夕食の支度に取り掛かったのだった。




 夕食の後片付けをしながら、長い間頭の隅を占めていた佐山達との出来事を思い出す。


 これまでならば彼女を思い出す度に胸の辺りに痛みが走っていたが、長年留まり続けた所から少し前進した一尚はこの頃、もっと別な視点であの出来事を見るようになっていた。


 あの時の苦い経験から、これまで自分は誰に対しても『好き』という感情を持ち得ない冷たい人間なのだと思って生きて来たけれど、この頃はこれまでの事が嘘のように章弘に対する好意が胸の内に溢れて来ている。冷たいだなんてとんでもない。彼の事を思う度に自分がどれ程俗物的な人間であるかを痛感させられた。

 日増しに募る気持ちを抱えながら章弘との時間を過ごす内に『もしかして、自分は元々男性に対して好意を抱く人間だったのではないか』と考えるようになり、それを元に過去の事を思い返すと辻褄が合う所は確かにあるのだ。


 あのファミレスでの出来事。思い返してみれば一尚には佐山よりも山口の裏切りの方がショックが大きかった。


 あの時受けたショックの大きさは親友だと思っていた人間の裏切りによる物だと思っていたが……、もしかしたらあの頃、一尚が山口に対してほんの僅かでも好意を抱いていた可能性もあったのかも知れない。

 そして佐山達の一件を皮切りに、親しかった友人達に一時的に距離を置かれたのも、一尚が意識していないだけでそういった一面が見え隠れしていたから、身の危険を感じて離れたくなっての事と考えると何となくしっくり来る所もある。無論想像の域を出ない話なので、実際の所どうだったのかは本人達に聞かなければ判らない(聞くつもりは無いが)。


 一尚が佐山に触れる事が無かったのは彼女がそういう対象になり得なかったからで、今更になってそれに気付いた事については少し悪い気がしている。一尚がもう少し早い時期に自分の性的指向に気付く事が出来ていたら、彼女はあんな風に傷付けられる事も無かったのに。


「ちょっと。手ェ止まっちゃってるわよ」と、固まったままの一尚を見て隣の章弘が言う。その声を聞いてとっくに泡が落ちていた皿を彼に差し出すと、彼は苦笑して受け取った皿を食器拭きで丁寧に拭いた。


「こんな調子じゃいつまでも終わらないじゃないの。ちょっとでも長く私といたいのは判るけど、明日予定あるんでしょ。早く帰らなきゃ」

「はい」


 ……まあ最も。正直あの出来事が無かったら今こうして章弘と並んで食器を洗っているような、そういう今も無かった可能性が高い。彼がいない未来を想像出来ない訳ではないが、きっとその未来は今よりもずっと代わり映えのしない、窮屈でつまらない日々だったに違いない。




「あ」

「ん? どしたの」

「そう言えば肝心な事を言ってませんでした」

「え、そうなの?」


 帰り際、玄関で靴を履いた時に思い出して章弘を振り返ると、一尚の鞄を持っていた彼がパチパチと瞬いて見せた。差し出された鞄を受け取って改めて彼に向き直り、「玄関先で言う事じゃ無いんですけれど」と苦笑しながらも口を開く。


「これからはお互いに責任を持ってこの関係を継続させる努力をして行って、出来るだけ長く章弘さんと一緒にいられたら良いと思ってます。そして、将来この地域でパートナーシップ制度みたいな物が規定されたら、その時はお互いの親に挨拶に行って、晴れて家族に……っんぶっ」


 その先の言葉は言い終わる前に章弘によって遮られてしまった。

 上がり框の上から覆い被さるように抱き竦められ、身動きを封じられた上に少しの間呼吸まで出来なくなる。慌てて章弘の腕を叩いている内に「ああ、ゴメンね」と言った彼が少し腕の力を抜いた事でようやく深く息を吸い込めるようになり、何度か深呼吸を繰り返してから覆い被さったままの彼に腕を回して背中を撫でた。


「びっくりした……。ちょっと、まだ話の途中なんですけど」

「ゴメン……、ゴメンだけど、どうしようカズちゃん……」

「はい……?」

「私、恋人はそうでもないけど家族って憧れだったのよ……。もう、もう……、今日は何って日なの……」

「ちょっ痛っ、痛いですってだから、章弘さん!」


 そうなのか。と章弘が吐き出した言葉を聞いて思い、再び両腕がギュウウゥッと締まり始める事に必死の抗議をする。しかし、頭の上で鼻を啜った音を聞いてしまえば一尚の抗議は途端に勢いを無くし、ただされるがままに痛くて苦しい抱擁を受け続ける。

 骨がギシギシいうようなキツさも、呼吸が出来なくなる程の苦しさも、一尚には今この時だけだけれど。もしかしたら章弘の歩いてきた道はそんな痛みや苦しさの連続だったのかも知れないと思うと、振り払う気になれなかった。


 一尚も長らく恋人を作らずにいた事で彼と似た思いをして来たし、多少は親がいなくなった後の心配をしたりもした。ただ、それで将来一人になったとしても兄弟や親戚が近くにいるという安心感はあって、そもそも一人でいる事が苦ではない一尚はそういう未来が来ても『まあどうにかなるだろう』と楽観視しているフシが確かにあった。


 でも、結構寂しがり屋な章弘の場合はそうは行かない。


 親密になる関係を自分から避け続けて、家族でさえも断ち切って一人でいた訳だから、彼は一尚以上に強い不安や孤独感に苛まれていた筈だ。一尚が一対一の親密な関係に羨望を抱いたように、彼も家族という関係に同じような思いを抱いていたのだろうか。

 今年になって動き始めてからは両親や姉との関係は良好だというし、少しずつ人との関わりも増えて来ているから、もう以前程強く孤独を感じる事は無いとは思うけれど。


 それでも『家族』というたった二文字の言葉にこんなにも震えてしまうような。そういう人生ってどんな風だったのだろうと思わずにいられない。


 強い抱擁にどうにか抵抗して腕を自由にし、まだ震えている彼の体に目一杯手を伸ばす。本当は胸を貸してやる位の事をしたかったのだが、段差のある所でこんな事をしている所為で、せいぜい頭や背中を包んでやる位しか出来なかった。


「そんなに泣かれると一人にするのが心配になります」

「……大丈夫、もうちょっとしたら止まるから。私ばっかりカズちゃんを独占する訳にいかないじゃない……」

「したって良いのに」

「ダメよ……、お父さんとお母さんが待ってるでしょ。親孝行なんていつ出来なくなるか判らないんだから、お互い自分の親位は大事にしましょ」

「…………はい」


 こういう時、年越しの時のように何を差し置いても傍にいて欲しいと言ってくれたら喜んでそうするのに。一尚と同じく章弘も前に進んでしまったが為に、彼がそう言わなくなってしまった事をもどかしく感じたりはするけれど、それが彼らしいと言えば彼らしい。

 一尚は章弘の言葉にはただ頷いて返し、心地よい熱や重さを肩に受けながら、彼の体の震えが止むのを静かに待った。




「はあ……。今日からココも私専用って事で良いのよね」

「まあ、そうなります」

「私にあれだけ要求したんだから、当然カズちゃんも同じ事してくれるんでしょ」

「良いですけど、俺が同じ事やると本社の研修の時みたいになりますよ」

「ああ……、あれを毎日はちょっと引くかも」

「でしょう」

「束縛も程々にしてくれると嬉しいんだけど」

「はい……努力します」

「ふふっ、そうね、努力して」


 くっ付いたままクスクスと笑い合い、互いの体温を心行くまで堪能してから静かに離れた章弘は、向き合った一尚の唇に優しい口付けを落とし、まだ赤い目元を隠す事無く柔らかく微笑んだ。


「誕生日楽しみにしてて。腰抜かす位ご奉仕するから」

「……お手柔らかにお願いします」


 その表現は比喩でも何でも無さそうだと直感した一尚がそう答えると、彼は悪戯っぽく笑って「大好きよ」とまた一つ口付けを落とす。そうして「じゃあまた、週末にね」と口にした彼に倣い、一尚も「はい、また週末に」と頷いて部屋を後にした。




 章弘と物理的に離れた寂しさ以上に強く、胸の奥深くに広がって行く温かな感情がある。外の寒さに多少震えても、近くに彼がいない状況が少し位続いても、その温かさはどうやら変わる事は無いようだ。

 これまで自分の事で手一杯だった一尚にとってはこんな感情を抱くようになった事や、そういう相手に巡り会えた事、そしてその相手と時間や感覚を共有出来る事は奇跡に近い出来事である。だからこそ章弘の存在は貴重だし、彼と過ごす時の一瞬一瞬を大切に過ごして行きたいと思える。


 ああ、そうか。


 そう考えていてふと腑に落ちた。こういうのは自分だけでなく、同じように貴重な誰かに出会った皆が感じる事なのだ。その人と出会った事で湧き上がるこの感情が愛しくて堪らないから、きっと皆誰かを好きになるのを止められないのだろう。




 すっかり暗くなってしまった中を車で走り、自宅へ辿り着いた頃になってスマホが音を立てたので、出して確認すると章弘からのメッセージが表示されているのが見える。


『明日も寒いから風邪ひかないでね、愛しのダーリン』

「誰がダーリンだ」


 最後にハートマークが飛んでいるメッセージを読んで思わずツッコミを入れてしまい、周囲に誰もいないのを確認してさっさと車庫を閉める。そうして家屋へ向かう間も口元が無意味にニヤついて仕方がなく、出迎えた家族にも「何か良い事あったの?」と言われる始末で、それに返す言葉が見付からなくて曖昧に笑って返した。


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