29話 その胸は平坦である
「――という訳で改めまして〜。みなさん、3年間よろしくお願いします〜。一緒に頑張りましょうね〜」
相変わらずの眠くなりそうな声でホームルームを締めるネイ先生。
「さてさて〜、引き続き授業に入る訳ですが〜。最初の授業なので、このまま私が、担当科目の先生を紹介させていただきますね〜。どうぞ、お入り下さい〜」
そう言い、扉の向こうにいた初老位の男性を呼び入れる。最初の、というか、地曜日の1限目は現国だから、彼が現国担当の先生か。
精霊国の一般的な高校の時間割は1日6限らしいけど、栄陽学園の時間割は1日5限に分けられている。
理由は、訓練の授業があるからだ。しかも水曜以外の毎曜日、1日2回。体力的にも精神的にも、6限も受られる余裕がある人は少数だろう。
そんな1-Dの今日の時間割は、
午前
現代国語 数学 戦闘訓練
午後
精霊国史 戦闘訓練
となっている。
このうち、3時限目と5時限目の訓練の時間が、水曜のみ戦闘座学となっている。さらに水曜のみ6時限目があり、ロングホームルームを行うらしい。
他の曜日の時間割は……とりあえず、今は考えないでも良いか。
(ついに、この時間が来てしまった……)
3限目が戦闘訓練……それは、普通の学校で言う所の体育にあたる授業な訳で。当然、運動着に着替えなければならない訳で。
(普通に着替えたら、バレる確率高いよねえ……)
僕は今、訓練棟の「女子更衣室」と書かれた札がかかっている扉を見つめて佇んでいた。
(僕の見た目というか格好というかで男子が使っている方行ったら大騒ぎになるんだろうなあ。どっちにしろ、バレたら大騒ぎ必至だろうけど)
午前2限まで授業が終わり、2限と3限の間の休み時間。水曜以外の3限・5限は訓練と決まっているので、着替える時間を考慮して、2・3限と4・5限の中休みの時間は25分と長い。
ので、本気で速攻で周りの目を一切気にせず1人で更衣室に特攻すれば、1人で着替える事も可能、かもしれない。
けどまあ、そんな奇行に走ったらみんなから変な目で見られるし、絶対に更衣室に誰もいないなんて保証はないし。色々とリスクが多すぎてそれは出来ない。
この事で僕が取れる行動は、怪しまれない程度に出来るだけ早く教室を出て、少しでも人が少ない状態で手早く着替えを完了させるくらいしか出来ない。終了後も同じく。
「優輝さん、どうしたの?」
「あー、うん。いよいよだなーと思って」
「?」
サチさんに不思議そうな顔をされた。まあ、一緒に来たのに入るのを躊躇していたら当然だよね。
うん、まあ。セーラー服を着る覚悟を決めた時点で、ここで着替える事の覚悟は出来ている。
とはいえやはり罪悪感、それと秘密がバレないかの危機感。さらに犯z……い、いや、他所ではそうだけど、ここでならある意味では問題なかったりする。
この学園の、かなり特殊な部分の1つ。「男子更衣室」と「女子更衣室」は、実際には分けられていない。
学年毎に、着替えのための部屋が2部屋用意されてはいるけど、どちらが男子用だとか女子用だとかは明確には分けられていないのだ。性別にかかわらずどちらの更衣室で着替えても良い、と校則にもある。
理由は、体育ではなく、戦闘訓練だからだ。
国家間の戦争に参加するための戦闘訓練ではないとはいえ、この星を脅かす侵略者である魔神勢との戦争に備えるための訓練をするのだ。
星の運命を左右しかねない戦場で、「異性に着替えを見られるなんて嫌だ」とか言って戦闘用の服に着替えられないなんて、笑い話にもならない。寝言は寝て言え、どころか、死んだら寝言なんて言えないのだ。
という訳で。「戦争状態時に、不特定多数の異性へ着替えとかを見られるかもしれない」事を意識させるため、この学園の施設は、男子用・女子用と分けられているものはない。
シャワー室も、トイレも、寮も、寮の大浴場もだ。この事は国から認められている。
とは言え、そこは思春期の男女。国から許可されているとは言え、理由が正当なものとは言え、我慢出来ない人はいる。
なので、男子が使う施設と女子が使う施設は、生徒が自主的に話し合って決めている。最初のホームルームで話し合った内容はそれだった。
自主的にとは言え、国からの超法規的措置的なもので犯罪者にされないとは言え、一応は分けられたのだ。女子用と決めた後にそこを男子が利用したら、ムラハチにされる事必至である……世知辛い。
「はあ〜……」
思わず重いため息を吐いてしまった。覚悟を決めていたつもりだけど、やっぱり迷いは残っている。
まあ、こんなとこでまごついてても変な目で見られるし、時間が経てば経つ程人は増える。腹を括って、当初の予定通り手早く着替えを済まそう……
「ふみゅ……あ〜なるほどねぇ」
アキが、何かを納得してウンウン頷く。何だろ?
「さっちゃん、優輝は平坦なのがコンプレックスみたいなのよ」
「ちょ」
「平坦?」
アキがフォローなのか貶してるのかよくわからない事を言い出した。まあフォローのつもりなんだろうけど……アキってちょっと言葉足らずなとこあるなぁ。
「大浴場に誘った時も、それが理由で断られちゃったしねぇ」
「平坦…………なるほどね」
数秒僕の顔を見ていたサチさんが、チラッと一瞬僕の胸部に視線を向けて、納得の言葉を呟く。
「あ、ごめんなさい優輝さん。今のは失礼だったわ」
「……気にしてないよ。個人差があるのはこの世の理だからね、うん……うん」
「ユキさん、めちゃ気にしてそうなトーンで言っても説得力ないよ〜」
「気にしてないって……はは」
「んむぅ……ユキさんがここまでテン下げ状態になるとは〜……この話はヤメだね〜」
「そ、そうね」
……よし。これで、扉前でまごまごしていた事に対する不信感は誤魔化せたかな。
胸のサイズを気にしている云々は、大浴場行きを断るための言い訳だったけど。この設定は他の思わぬとこでも役に立つかも……気に留めておこう。
「ふふ、気にするな優輝。私にいい考えがある」
「ん……わかったよ。ありがと」
そのセリフになんか不安を覚えるけど、でもまあ信頼の置ける姉さんの考えだし、大丈夫だろう。多分。
ということで。少し躊躇はしたものの、僕らは更衣室に入った。
「これだ」
更衣室に入るなり、姉さんは1つのロッカーからある物を取り出し展開した。
「これは……テント?」
それは、ワンタッチ式1人用着替えテントだった。モスグリーンの縦長式で、室内で広げてもそれ程場所は取らない。
「これなら、周りの視線を気にする事なく着替えられるだろう」
「それはまあ、そうだけど……」
確かにこれなら、バレないだろうけどさ……着替え終わるまで姉さんが見張ってくれてるだろうし……とはいえ。
「着替えるための部屋で着替えるためのテントを使うって、なんか恥ずいんだけど……」
「直接見られて恥ずかしい思いをするか、目立つ行為をして恥ずかしい思いをするか。我慢出来る方を選ぶんだ」
「む、むうー……」
……バレないためには実質一択だけど、ここで即決すると多少不審に思われるかもだから、すぐには答えない。まあそれとは別に、普通に恥ずかしいってのもあるけど。
「わ、私もそれ、使わせてもらっても良い?」
と、僕が半分悩んでるフリをしていると、まさかの使わせての声。豊満な胸に片手を乗せて、もう片方の手をおずおずと挙げる。
「えっ。ヒロ、本気?」
「ゆ、優輝さんとは逆の意味だけど。私もちょっと、みんなの前で着替えるの、抵抗あって……」
「ふみゅ、ヒロは「ある意味目立つ」の方を選ぶのねん。さてっ優輝は〜?」
「……人が増える前にテントで着替えるよ」
「まあ、それが正解ね」
「優輝さんの生着替えが見られないのは残念ですわ」
「うわ」
いつの間にやら来ていた蒼月さんに変態的発言をされた。相変わらずの残念美少女っぷりだ。
「超速で着替えます、覗いたら死んじゃうのでやめてね」
これ以上悩んでるフリしてると面倒な事になる予感がしたので、着替えの入ったバッグと共にテントに飛び込んですぐさまジッパーを締め、急いで着替えた。