ラプラスの魔物 千年怪奇譚 75 夢想と連絡
緑珠が初っ端から失踪したりイブキの暴論のやばみを感じたり真理が茶々を入れたりとギャグ話!
「緑珠様、お早う御座いま……あれ。居ない。」
イブキが刀を持って緑珠の部屋へ入ると、布団は畳まれることなくしわくちゃになっている。正しく言うと、畳み方を知らない。
「……一体何処へ行ったのか。」
布団の中にイブキは手を突っ込んだ。微妙に生温い。起きたのか近しい時刻だ。
「土間で朝ご飯を作っていたのに見ていないということは、まだ家の中に居る。……朝から頭を使うのは嫌ですね。」
きつく目を閉じると荒い呼吸の中に、ぎしぎしと約二名の乱雑な足音が聞こえる。
「……華幻か。何をしているんでしょうね……全く……。」
華幻の部屋へ近付くと、どたどた、という足音ときゃーきゃー、という悲鳴だか叫び声だかが聞こえる。
「華幻ちゃん!此処を通す訳には行かないわ!」
「緑珠様!通して下さい!私はっ、私にはっ……子供が待っているんです!」
何してるんだ……とは口に出して言わないが、イブキは障子を少し開けて中の様子をちらと眺める。
「くっ……こうなったら奥の手……!荒業で行きます!」
ぽふん、と華幻は緑珠にクマのぬいぐるみを渡す。
「わぁ可愛い!……って、あっ、ちょっと待っ!」
荒々しく障子を華幻は開けると、廊下へと一歩足を出した。のだが。イブキが華幻を引っ掛けて首根っこを掴む。
「あ。イブキ。」
「緑珠様。お早う御座います。してこれは……。」
うおー!離せー!とイブキの右手で暴れ倒している華幻を一瞥して、緑珠へと問うた。
「あぁ、その話ね。こんなに怪我してるのに子供達に勉強を教えるって言い始めたから……朝起きて御手洗に行こうと思ったら廊下でのたうち回っていたのよ。」
イブキは華幻を見ると、すとん、と立たせる。
「華幻。今はとにかく寝ろ。身体に触る。」
「……分かった。」
華幻は言うと布団へと足を戻した。の、だが。そう上手く寝る訳も無く、イブキの間をぬって居間へと向かおうとする。
「かかったな!ふふふ!お兄ちゃんをうわま、へぐっ……。」
「……お前みたいなど素人に僕が負けるわけ無いでしょう……。」
イブキの手刀で気を失った華幻を、彼女の兄は引き摺る。そして布団に投げた。
「え、あ、イブキ、ちょ、それ、大丈夫なの……?」
明らかに失神している華幻を、緑珠は恐る恐る触った。
「寝てるじゃないですか。大丈夫ですよ。」
「失神してない?」
うん。多分失神している。これは。絶対に。だって白目剥いてるし。口から泡出てるし。
「目瞑ってたら何でも同じです。」
「暴論のやばみを感じる……。」
がたがたと震えている緑珠に、イブキは預かっていた苗刀を差し出す。
「はい、どうぞ。」
それを受け取った緑珠は、目をきらきらとさせて刀を触る。
「んー!帰って来たー!わーたしーのーかーたなー!」
「何ですかその妙な間は。ほら、手合わせするんでしょう?」
するするー!と緑珠は下駄を履いて縁側に出ると、照りつけ始めた太陽の下、白刃を踊らせる。
くるくると回って、足元がふらつくのも厭わない。
「えへへ。楽しい、楽しいわ。さて……。」
空気を切り裂く音が鳴ると、緑珠はイブキに切っ先を向けた。
「ふふふ。私もちょっと変わったのよ。今度は絶対、イブキに勝つ!」
「手加減は無しです。それでは……。」
大きく笑って、一言。
「「いざや参ります!」」
「やったー!勝った!真理褒めて褒めて!」
猫と戯れていた真理は、駆けてきた緑珠の頭をよしよしと撫でる。
「偉いじゃん!頑張ってたもんね。最後まで気を抜かずに偉いよ。特に今日はちゃんと重心が定まってて見ていて気持ちよかった!」
「ほんとー!もっと褒めて褒めてー!」
真理は猫を渡すと、よしよし、と頭を撫でる。どうやらそれで満足らしい。緑珠は満面の笑みを讃えている。
「ふふん。とっても頑張ったのよ。修行!」
「そうなんですか。」
少し驚いた表情を作ったイブキは、歓喜に震えている緑珠を見詰める。
「お菓子食べた後に」
「刀の鍛錬やったり!」
「お昼寝した後に」
「投げ技の練習したり!」
地味に茶々を入れて来る真理に、緑珠はゆるりと振り返った。
「お掃除する前に……ってあれ、言わないの?」
地味に。地味に合っているから反論出来ない。緑珠はわなわなと震えると、真理をぽかぽかと叩いた。
「なーんーでーそーんーなーいーじーわーるーいーうーのー!」
「あはは、ごめんね、頑張っている緑珠があんまりにもいじらしかったからつい、ね?」
それでも緑珠はぽかぽかと叩くのを辞めない。でもちょっと力は弱くなった。俯いてはいるのだが。
「でも僕知ってるんだよ、緑珠。」
「他にもまだ何かしていらしたんですか?」
微笑みながら己の神器を置いたイブキに、真理は続ける。
「うん。ふふふ、洗濯物取り込めるようになったもんね。ちゃんと服が畳めるようになった。」
「……上手く畳めてた……?」
緑珠はおずおずと顔を上げると、真理は満面の笑みで答えた。彼女の膝に居た猫が下りていく。
「凄く上手だったよ。最初は華幻ちゃんが畳んだものだと思っていたんだもの。」
それを聞いて緑珠の顔にぱあっ、と花が咲く。目もキラキラと輝く。
「……ふふふ、えへへへ。そうでしょ!頑張ったのよ!もっと褒めて褒めてー!」
「偉いですねぇ、緑珠様。そんな緑珠様には甘い物を作って差し上げましょうね。何食べたいです……あ。」
冷蔵庫をぱかっ、と開けたイブキは、最後まで疑問を送ることが出来なかった。
「どうしたの?卵が無いの?」
真理が問いかけるのを他所に、緑珠は逃げ出した猫と日向ぼっこをしたり追いかけっこをしている。
「そうです。それなんです。」
「え!卵が無いの?」
追いかけっこをしていた足を止めて、緑珠はイブキへと問うた。
「そう、無いんですよ。買ってきま」
「その必要は無いわ。」
「……え?」
緑珠はイブキの言葉を遮って、不敵な笑みを浮かべる。
イブキも真理も知っている。彼女がこの笑みを浮かべる時は、大概良くないことを考えているのだ。
「お使いに!私が行く!」
広い、春も近いマグノーリエ邸に、彼女の凛とした声が響く。
「……えっと、緑珠。止めておいた方が……。」
「何でよ!お使いくらい行けるわ!」
少し憤慨している緑珠に、イブキは恐る恐る質問する。
「ええっと、それでは緑珠様。何かを買う時はお金が要りますよね?お金の渡し方、分かります?」
「それぐらい分かるわよ。全くもう……。」
その言葉にイブキと真理は胸を撫で下ろした。のも束の間、
「適当にお札出しときゃ良いんでしょ?」
「緑珠、君はお使いに行く前にお金という概念を考えた方が良いよ。」
真理の的を得た冷徹な一言に、緑珠は挫けそうになるも、
「ま、まぁ?そ、それくらい出来るし?それに卵を売っている場所までは、子供達が案内してくれるし?」
『子供達』、という言葉にイブキはぴくりと反応する。
それもその筈、小さな足音が砂をかき分け此方に向かって来ているのが聞こえているからだ。
扉に手をかける音がする。そして、扉が開いた。
「かげ……あれ、華幻先生は?」
口火を切った一人の子供に、緑珠は屈んで答えた。
「華幻先生はね、今はお休み中なの。今日は皆でお使いに行きましょ?」
緑珠がにっこりと笑っていると、別の少女が彼女へと問いかけた。
「お姉ちゃんは華幻先生のお姉ちゃん?」
「あはは、私は違うわよ。お兄ちゃんなら居るけど。」
「はっ……緑珠様が華幻の姉になるって……それは……!」
「ハイハイ余計な事言わない。」
がやがやしている子供達の前で、緑珠はイブキから金を受け取ると笑顔で言った。
「それじゃ、言ってくるわね。アリーシャ!案内して〜!」
「何で私なのよ。てか……聞く限り、アンタら良いとこの子供だったんでしょ?ご飯とか作れるの?」
「作れるわよ!イブキを呼べば良いじゃない!」
「あんた元からアウトじゃない。」
音が遠ざかっていくのと比例して、イブキは酒と煙草とを縁側に置く。そして、呑んだ。
「……おや、今日は怒らないんですね。昼間っから酒飲んで煙草吸ってるのに。」
「色々あったし良いかなーって。今日だけだよ?」
帰って来た猫と戯れる真理。
「有難う御座います。……あぁ、やっぱり昼間っから呑む酒は美味い……。」
「君本当に貴族だよね?」
「貴族でしたよ。やんちゃしてましたけど。城兵時代に。」
くつくつくつ、とむかしむかしの思い出を、鬼は楽しそうに笑って答えた。
「えー?何それー!何してたの?女連れ込み放題とか?」
「割と男女見境なく連れ込んでましたね。」
恐ろしい一言に、真理は猫と戯れる手を止めた。
「えっ?」
「博打仲間の話ですよ?」
「君本当に堕落し切ってんな!」
真理の鋭いツッコミに、当の本人は堪えていない。というかそれ本当に酒なのか?と疑惑を呈じるほど機嫌が良い。
「未来の閻魔大王となるとぉ、これくらいしとかなくちゃダメですよぉ。」
「閻魔大王を免罪符にするな。あとあるべき姿は光明正大でしょう。」
苦々しい顔で真理はイブキを見つめるが、イブキは素知らぬ顔をしている。
「気分で裁判するつもりだったんですがね。」
「ありえんくらいの堕落人間だな……。」
「ま、男女連れ込みまくってたので看守長にわりかし怒られましたけど。」
イブキが居た北の城砦の女看守長は、そのキャラあってか『ソノテ』の男共には良く好かれていたものだ。
「そりゃそうだろ……。」
「調度品に煙草の臭いがつくのが嫌って。」
「そっちかよ!?」
連れ込みの方に回るのかと思いきや、斜め上から切り込む態度。看守長も中々変わった人間だったらしい。
「話つけたら目を瞑ってくれましたけどね。」
「何したの……。」
「え?ワルイコトしたんですよ。」
イブキが『アブナイ』だの『ワルイコト』だのを言う時は、大体博打で勝ったときだ。
「……僕神様だから言うよ。看守長を素寒貧にしたんでしょ。」
「全財産捲りあげました。」
しらっ、とイブキは恐ろしいことを言った。まぁそれ以来看守長が博打をしてくれなかったのは想定外だったが。
「最低だな君……。」
「で、チャラにして欲しかったら見逃せーって言って。見逃してもらってました。」
「うわぁ……君、昔から思ってたけど博打大好きだよね……。」
ザフラでの博打を回想しつつ、真理はイブキへと呟いた。
「良いじゃないですか、博打。絶対に勝てますし。」
「それは伊吹君だからでしょう……。」
「勝てる勝負にしか出ませんよ、僕は。それも必要なことです。」
「ううっ……反論に困る……。」
あながちその考えも間違ってはいない。もし、『後先』が無いのであれば、の話だが。イブキがぴたりと煙草を吸う手を止めた。
「一つ、聞きたいことがあるんです。」
彼が神に尋ねるとは珍しい。真理は黙ったまま、それを聞いていた。
「緑珠様が夢に怯えていたんです。『おにいさま』が殺しに来ると。」
あれはただの夢では無い。北の城砦に居た頃見たことがある、自分を見る目。
『鬼』に『殺されそう』になる『人間』の、大好きな『怯えた目』だ。
「……夢、ねぇ。」
彼の心の中を一瞬だけ真理は眺めると、その言葉を反芻する。
「あれほど怖がるというのは、何事なのでしょう……。」
「その日……彼女の頭を撫でたとき、懐かしい気配を感じたけど。……けど、夢は意識が不明瞭な時にみるものだ。それに、あの夢は何だか変だった。……僕は魔術師だから、あまり夢には詳しく無いんだよ。どちからというと、霊術師の方が詳しいね。」
真理の返答をイブキは聞くと、酒と煙草を止めて懐から紙切れを出した。
「……大変不本意ですが、一人『そういう事』に詳しい奴に連絡するしかありませんね。」
『で、連絡を寄越して来た訳ですか。』
マグノーリエの使い古された電話の前で、イブキは至極煩わしそうに答える。
「そうです。本当は神巫女様にご連絡すれば良かったのですがね。貴様ほど暇では無いでしょうし。」
『これでも忙しいんですよねぇ。』
「まぁまぁ、これからの利益が付くと思って。」
笑うイブキの声に、倶利伽羅が詰まる音が聞こえる。
『何を根拠に、そんな事を?』
「我等が主の考え方を。」
『……否定はしませんが。あの方ならそういう考え方もしそうなものです。』
それでは二つ目、と倶利伽羅は疑問を乗せた声で問い返す。
『何故、この電話番号を?』
「古い友人に手伝って貰いました。」
『その友人は厳重処罰ですねぇ。それに……逆探知されると考えなかったのですか。』
それは困ります、とイブキは笑いながら答えると、口を歪めて倶利伽羅へと返した。
「……ははっ、分かっているからそんな事を聞くのでしょう?それとも、僕が暴れた修理費と政府の信用が思いのほか根深かったんですか?」
『そうでしたねぇ。でも、貧富の差は縮まりましたよ。貴様が壊した修繕は希望者を募って働かせたので。』
「それはそれは、良かったじゃ無いですか。」
さて、とイブキは火鉢がぱちぱちと鳴る部屋の中で言った。まだ少しだけ外が冷えている。
『本題に入ります。今電話しているその理由を。『夢』の話を聞きたいんです。』
倶利伽羅は手元にあった霊力の源、霊石を掴みながら呟いた。
「夢、ですか。また我等が主に何かあったのですか?」
『よくよく分かっているではありませんか。あと、緑珠様は僕の主です。』
我等が主と言ったのはそっちの方じゃ無いか、と思ったが、確かに彼女の苦しみを知っているのはあの変人しかないと思った。
「夢、か。夢は記憶ですよ。その人を形作るもの。……そもそも何が起こったかを話して下さらないと、何とも言えませんねぇ。」
信じるかどうかは分からない。しかし、もう言うしか無いか。官僚の人間を信じるのは少し腹が立つ案件だが。
『神様の手製の緑珠様が、『おにいさま』に殺されると怯えていた、という話です。』
一瞬だけ倶利伽羅の喉が詰まる。何だか凄いことを聞いた気もするが、なら、考えられる所も増える訳だ。
「……神様の手製。なるほど、なら一つ可能性はあります。」
『可能性?』
受話器の向こうから懐疑心に満ちた声が聞こえる。
「えぇ。今貴方が仕えているのは『神の創造物の姫』です。しかし、本来産まれる筈だった『緑珠李雅姫』には兄が居て、その兄に殺される運命があったのかもしれません。」
しかし、と倶利伽羅は首で受話器を挟みながら言った。
「この可能性は限り無く皆無です。というか有り得ない。何かを零から創るということは、その前にある零も殺すことに繋がる。虚無を殺して有を創るんです。これは誰が何をしても同じなんですよ。」
『それでは問います。緑珠様に兄君は』
どうせ居なかったのだろう、と分かりきっている口調でイブキは倶利伽羅に問うた。
「いらっしゃいませんでした。産みの親である香妃の華楼閣家に纏わること、蓬泉院家に纏わることは全て調べて滅却しておいたので。それに、香妃が亡くなったのはまだ姫が赤子のころです。その前に香妃の交際関係はありませんでした。」
「……使えない。」
吐き捨てる様にイブキは言うと、向こう側から苛立った声が聞こえる。
『あぁ?』
「いえ。何でもありませんよ。ただ無能の役立たずの芥という話をですね。あ。じゃあ切りますね。」
切りますね、の『切』くらいには受話器を置いたイブキは、その場に座り込んだ。
「……僕がやるしか無いのか。一番緑珠様を知っている、僕が。」
「相変わらずの執着ぶりだね。」
その様子を見ていた真理がねっ転びながら答えた。
「……緑珠様は、最後の砦なんです。僕は何も手に入れられなかった。欲しいものは買ってもらえず、触ることも出来なかった。」
立ち上がったイブキは、何の疑いも持たずに笑顔を浮かべて、こう言った。
「これだけは譲れない。緑珠様は、あのお姫様は僕のものだ。」
ああ、この貴族達は何時もこれだ。盲信的にあの姫を信じては自分の狂気を何処かへ押し遣る。我ながら罪作りなことをしたものだ、と真理は肩を竦めた。
「僕が守るべきは国であり、敬うべきは王であり、仕えるべきは主です。……いや、僕等、かな。」
「おや。まともなことを言うね。」
「……まぁ。」
どだどたと何人かの人間の足音が聞こえる。姫君のお帰りだ。
「……帰って来たね。」
扉が開くのと同時に、真理はその場所を離れた。そして、薄暗い廊下で一言。
「さて、塩の旅路の始まりだ。」
次回予告!
とうとうインテリオールに旅立つ一行達。お菓子を詰め込んだり途中でしりとりしたりと、新たな出会いが訪れるお話!




