3.塔の家
俯いて歩き出してしまったため、あんなに目の前に進むべき路地があったにもかかわらず、ウーモは一本奥の道で曲がってしまった。元来た道を少し戻り、先ほどの女性がもういないことを確認してから、正しい角を曲がり直す。
これだから地上は嫌だ。空であれば曲がり角を一本間違えることなんて起こりようがない。そんなどうしようもないことに一人ぶつくさと文句を言いながら細い路地を抜けると、そこはさらに五つの細い路地につながる中継地とでも呼べるような円形の広場になっており、ウーモが来た道から見てその中央奥に、先ほど見た小さな塔の全貌が広がっていた。
なるほど、確かに彼女が言ったとおりに家かもしれないとウーモは思う。先ほどの通りから見えていた細長い部分の下には大きな平屋がくっついており、ここまで来ると、あれは塔ではなく、巨大な煙突のようにも見える。
自分が口を大きく開け、その塔のてっぺんを見上げていたことに気づき、慌ててウーモはキリッと表情を整える。そして、小包に汚れや傷がないことを確認し、ドアをコンコンとノックした。
ノックした直後に、ドアにはドアノッカーが付いていることに気がつき、再度それを使って鳴らすべきかと悩んだが、その心配を掻き消すように、家の奥から「はーい」という女性の声とともに、ドアに向かって近づいてくる足音が聞こえた。
ドアがガチャリと開く。
「どうも……あら、どちらさまかしら?」
そう言ってドアを開けたのは、ウーモに小包を渡したあの母親と同じ歳ごろの女性だった。荷物を届ける相手としては若すぎる。ウーモはもしかして、ここではなかっただろうかと不安になりつつも、荷物に書いてあるチャールという依頼人の名前を伝える。
「こちらを届けて欲しいと言われて来たんですが……。合ってますか」
「あら!ありがとう、わざわざ持ってきてくれたの?チャールったら、人にお願いするなんて!あの子、妹なの。全然似てないでしょ?でも良かったわ、結婚式行けなくて残念だったなんて話を今朝もしてたのよ。お母さん奥にいるから、よければ上がってちょうだい。あ、遅れてごめんなさい、私ラタンよ」
その女性の言うとおり、姉妹にしては見た目が似ていないが、ポンポンと次から次へと言葉が出てくるそのテンポ感に、ウーモは空飛ぶ海でのあの母娘の会話を思い出した。
相手が自己紹介で言葉を終えたので、ウーモは「いえ、ここで結構です」と言う代わりに「あ、私はウーモです」と言う。すると、その隙に女性は家の奥へと行ってしまったので、仕方なくウーモもその背中についていくこととなった。
外観のシンプルな造り 塔がくっついているのは別として とは裏腹に、室内は様々な物に溢れている。玄関を抜けると、そこは広めのリビングなのだが、大量の本に、植物、見たことのない家具が並び、不思議な模様がデザインされた芸術品が飾られている。ウーモはそんなわけはないとわかっていながらも、子供のときに聞いた北の魔法使いの家のようなその雰囲気に、このまま奥に行くと動物に変えられてしまうのではないかという荒唐無稽な不安に駆られた。
ウーモが思っている以上に、彼女はキョロキョロと室内を見回していたのだろう。奥の部屋のドアに手をかけ振り返ったラタンは、口元に笑みを浮かべてウーモに話しかける。
「変な家でしょ?」
「え、いえ、そんなことは……」
「いいのよ。大半が死んだお父さんの趣味でね。研究者だったんだけど、正直なんの研究してたか私よくわからないのよね。ちっちゃいころは、魔法使いの娘だとか揶揄われたけど、今ではけっこう気に入ってるの、あれとか」
ラタンが指差した先には、文字盤のぐちゃぐちゃに並んだ時計が飾ってあり、それを指す針には小ぶりな羽根が白く漂白されて使われている。
「あの羽根……」
「あれね、〈翼の生えた人〉の羽根らしいわ」
それを聞いてウーモはやはりと思う。ロロの羽根と同じように、軸の部分が先までしっかりと太さを保ちながら、優雅な曲線を描いている。
一体どうやって手に入れたのか、最悪の想定から眉間に皺を寄せたウーモを見て、ラタンは言葉を付け加える。
「一応言っておくけど、無理やりむしり取ったりしてないわよ。それじゃ本当にお話の魔法使いだもの」
「あ、その……すみません」
ウーモの謝罪に快活に笑いながら、気にしないでと言うラタン。
「でも、私も、好きです、こういう感じ。本当に」
部屋中のインテリアに興味を奪われ、ゆっくりと喋るウーモのその言葉が社交辞令でないのが伝わったようで、ラタンは口元の笑みをさらに広げ「ありがと」と陽気に礼を言う。そしてドアの方を振り返り、ノックする。
「お母さん、今大丈夫?」
少し間を置き、中から「大丈夫よ」という声が聞こえる。ラタンや荷物の送り主であるチャールとは違い、深みのある落ち着いた声だ。
ラタンがドアを開け、先に中に入り、ウーモにも中に来るようにと促す。
ウーモは一歩踏みだす直前に、自分が緊張から小包を強く握ってしまっていることに気がついた。ここまで来て傷つけてしまうわけにはいかない。やさしく抱え込むようにしてそれを持ち直した。
「お邪魔します」
今までにも何度か荷物を運ぶ手伝いをしたことはあったが、いつも玄関で受け渡して、それでおしまいだった。今回のようにその人の部屋の中にまで来ることはなかった。ましてや、初対面の人の家にここまで入ることすらウーモの人生で初めてのことである。言ってみたはいいものの「お邪魔します」がこの場で正しい言葉だったろうかとウーモは不安に思う。
そんなウーモの不安を拭い去るように、揺り椅子に腰掛けた老齢の女性は優しい笑顔でウーモを迎えてくれる。
彼女の顔はラタンよりもチャールに似ているとウーモは思った。
「あら、こんなにお若い方が訪ねてくれるなんて、嬉しいわ。どうされたの?」
「チャールから贈り物。多分、結婚式のお土産じゃないかな。この子が運んできてくれたのよ」
ウーモの代わりにラタンが答える。
「あの子ってば、全く……。ごめんなさいね、セルロまで大変だったでしょう?」
先ほどのラタンと同じように、彼女もチャールのことをまるで困った少女かのように扱うことをウーモはおかしく感じる。少なくとも、あの時の彼女は、ウーモにとって自分がお客様を泣かせてしまった状況を救ってくれた立派な大人の女性だった。
「いえ、飛んで来たので、あっという間でした。これ、お届けものです、えっと……」
「カルダよ」
ラタンが彼女の母親の名前を教える。
「こちら、カルダさんに。あ、初めまして、ウーモと申します」
そう言って、抱えている小包を目立つように少し上げるウーモ。だが、カルダはそのお届け物よりも、ウーモの言葉にひっかかったようだ。
「飛んできたって……あなた、空飛ぶ海に乗ってきたの?」
「ご存知ですか……?」
ウーモは少し驚く。空飛ぶ海はめったに都会の方に来ない。それは、ウーモが汽車守になる前からずっとそうだと聞いている。そのため、都心に近づけば近づくほど、この国に空飛ぶ蒸気機関車があることは知っていても、それに名前があることを知らない人は多い。もしかすると、カルダは昔田舎の方に住んでいたのかもしれないとウーモは考える。
だが、少し寂しそうな目をしたカルダからはそんなウーモの予想をはるかに超える言葉が飛び出す。
「もちろんよ。あれは私の夫が友人たちと作ったんだから」
それを聞いて、今度は大きく目を見開いて驚くウーモ。生まれた時から空飛ぶ海に乗っているというのに、そんな話は聞いたこともなかった。
「フーゴさんは元気?もう何十年もお会いしてないわ」
「父のこともご存知なんですか!」
思いがけず父親の名前を耳にし、ウーモはつい大きな声を出してしまう。
「父……?」
今度はカルダも驚きの表情を浮かべる。
「もう少し、こっちへ寄ってくれるかしら?」
カルダはそう言って、ウーモを自分の近くへ来るように手招く。
突然のことに戸惑いを隠せないまま、言われた通りにカルダの傍に行くウーモ。
ベッドのすぐ手前に来たウーモの顔をじっと見て、カルダは呟く。
「本当だわ。あなた、お鼻の形がフーゴさんそっくり……」
それは、小さい頃から近所の人に何度も何度も言われた言葉だった。あまり父親に似ていないウーモが唯一、鼻だけはフーゴとそっくりな鷲鼻をしている。
「本当に父を?」
「ええ、夫の大親友だったわ。歳はだいぶ離れていたけれどね」
「なになに?なんの話?」
急に接近した二人についていけず、ラタンが口を挟む。
「あなたも会ったことあるでしょう?フーゴさん。ひょろひょろっと背が高くて、この子と同じ鷲鼻で、くしゃくしゃとした癖毛の」
「あー!父さんと一緒に塔のてっぺんに入り浸ってた」
「そうそう。そうか、あの人が来てた時期、あんたもうここを出てたのね」
「まあ戻ってきちゃったけどね。え、あの人の娘さんってこと?」
ラタンの言葉にウーモがこくりと頷くと、カルダは高揚した様子でウーモに尋ねる。
「それで、フーゴさんは?駅の近くにいらっしゃるのかしら?ぜひお会いしたいわ!」
だが、それにウーモは対照的に表情を暗くした。
「いえ、父は……三年前の冬に……」
その言葉で、その場に生まれた盛り上がりが一瞬で萎む。カルダはひどく落ち込んだ様子を見せ「ごめんなさいね」と俯いた。その様子から、彼女が自分の父に会えることを今、心から楽しみにしてくれていたのだということが伝わった。
ウーモの父フーゴは、ウーモが生まれる何年か前から空飛ぶ海の汽車守を始めた。初めのうちはそれを悪い魔術か何かだと訝しんだ人々に疎まれたが、フーゴの人当たりや日々の努力によって、少しずつ皆に愛されるようになったと、ウーモは故郷の人々から聞いていた。
ウーモの知る限り、彼よりも心の優しい人はいなかった。いつも穏やかで、ニコニコと微笑み、誰にでも手を差し伸べる。いつしか自分もあんな人になりたい、それがウーモが物心ついた時からの夢だった。しかし、そんな彼は三年前の冬、突然の心臓の病によって帰らぬ人となった。あまりにもあっという間の出来事だった。町中の人が彼の死を悼んだが、生前の彼の望み通り、葬式は小さなものとなり、他の町々に住む人たちには、ただ空飛ぶ海が休業となったことだけが噂として広まっていた。
それから一年と少し経ち、母との言い合いという望んだきっかけではなかったが、ウーモは自分が空飛ぶ海を再び運行させることに決めた。幼い頃から父の運転を傍で見ていたウーモにとって、この汽車を動かすのは容易いことだったのだ。ウーモにとって、空飛ぶ海は在って当たり前のものであった。それが他の全てのものと同じように、誰かによって作られたのだという発想にすら至らないほどに。
「じゃあ、もしかして今はあなたが?」
カルダの言葉に、ウーモは現実に引き戻される。
「はい。一昨年の緑の月から私が空飛ぶ海の汽車守です」
「待ってよ。あの人の娘ってことは……あなた今いくつ?」
ラタンが言う。
「十五です」
「まだあの子と同じ年じゃない……」
ラタンの言う「あの子」とは、空飛ぶ海で話したチャールの娘だろうとウーモは考える。おそらく、多くの人と同じように彼女もウーモのことをとっくに成人した年齢だと誤解していたのだろう。
「そうだったの……。若いのに大変だったわね」
そう言って、カルダはウーモの右手を優しく掴んだ。
「いえ、そんな大したことじゃ……」
「もう一度、フーゴさんとお話ししたかったわ。ある時から急に来てくれなくなったのよ。どうしてだったのかしら。夫は彼と話しているときが一番楽しそうだったわ」
そう言うカルダの顔には先ほどフーゴの死を知った時以上の悲しみが見て取れた。ウーモはその場に流れる重たい空気を感じながらも、自分の父親に自分が全く知らない過去があることへの驚きが隠せなかった。よく都会があまり好きではないと言っていたのは、その思い以上に、この街へ戻って来たくない特別な理由があったのだろうか。
黙りこくった二人の生み出すどんよりとした雰囲気を嫌ったのだろう、ラタンがそれを消し去るように明るくウーモへ話しかける。
「ねえ、あなた夜ご飯は食べた?」
「え?いえ、まだです」
ウーモは自分がお腹を空かせていたことを思い出し、先ほどから置き場に困っていた左手でお腹をさする。
「じゃあ、決まりね!続きは一緒に食べながら話しましょう」
「まあ!それは素敵なことだわ。ぜひそうしましょう」
ラタンの提案にカルダがすぐに乗っかる。それにより、ウーモが何も言っていないのにもかかわらず、彼女たちの中でそれは決定となってしまったようだ。
「これもきっと女神様のお導きね」
そう言って、ラタンがカルダの手からウーモを引き剥がし、そのままグイグイと彼女を食卓へと引っ張っていく。
実際のところ、どこか店で食事を取ろうとして、先ほどのケテールのような男に出会うのは嫌だったし、自分の父親の話をもっと聞いてみたかったウーモにとって、それはありがたい申し出だったのだが、彼女の性格上それを遠慮せずにはいられなかった。ラタンがこのように強制的にウーモを食卓へ連れて行ったのは、この短い会話の中でも彼女のそういった部分を察していたからでもあった。
四人がけの丸テーブルにある一番ふかふかな椅子にウーモをグイッと座らせると「お昼にサオベを作りすぎちゃって困ってたのよ」と言いながら、ラタンは慣れた手つきでテーブルの上を料理でどんどんと埋め始めた。




