エピローグ
紅茶にポフィナという黄色い花のジャムを溶かそうと思ったが、瓶の中身はすっかり空になっていた。また新しいのを買いに行かなければいけない。今年も寒い季節がやってきたので、紅茶はますます必需品である。誕生日にラタンにもらった分厚いブランケットを肩にかけ、私は紅茶をそのまま一口飲んだ。すこし渋いこの味も好きになってきた気がする。そんなことを考えながら、窓から見える空を眺めていると、バンッという大きな音が室内に響いた。
その音の犯人は右足を前に上げ、左足一本で立っている見慣れた男、ロロである。だが、ドアを蹴って開けた彼は、いつもの場所に私がおらず困惑している。
「わ!」
こっそりとドアの横にある棚の影に隠れていた私は、大きな声で彼を驚かせた。
片足を上げっぱなしにしていたものだから、「うわあ」と間抜けな声をあげて、後ろにバランスを崩した彼は、勢いよくドアの外に落ちていき そして地面に尻餅をつく。
「いってえ!なにすんだよ!」
「足で開けないでって何回も言ってるでしょ?」
「なら、お前だっていい加減鍵閉めろよ」
私はそう言う彼をドアからにっこりと見下ろす。彼はしてやられたという表情で、そのまま地面に寝転んだ。
「で、今日は誰のゴシップを運んできたの?」
「やめろよ、人をコチ虫みたいに」
出た、コチ虫だ。私はいまだにそれが何かがわかっていない。
「お前、母さんに会ってきたんだってな」
スーにでも聞いたのだろうか、つい先週のできごとだというのに、もう耳にしているらしい。
「会ったわよ」
「で?」
「『で?』って?」
私は彼の意図するところがわかっていながら聞き返した。しかし、彼は私が聞き返した意図を汲み取らず、真っ直ぐ質問してくる。
「仲直りできたか」
「ぜんっぜん。色々私は思ってたことを言ってみたんだけどね……。今度は自分がどれだけ大変だったかって、そうなっちゃって」
「まあ、大変だったのは事実だろ?」
「でも、一言も謝罪がなかった。むしろ私がスーに謝ったわよ!空飛ぶ海に乗せられなくてごめんなさいって」
「そんなことで怒るやつじゃないだろ」
訳知り顔で言う彼に少し腹が立つが、しょうがない。ここ二年ほどでいえば、間違いなく彼の方がスーに会っているのだ。
「ところで、シウとメルは?」
「もう、あんたのことなんて覚えてないわよ」
「そんなわけないだろ!名付け親だぜ?あいつらは俺のことが大好きなんだ」
事実である。普段気分屋で、両親や私ですら手こずるあの双子は、なぜか彼の前ではいつもいい子にしている。だが、そんなことを認めるのは悔しいので、絶対に彼にそんなことは言わないと決めている。
「いつもこんな変な名前が嫌だって文句言ってるわよ」
シウとメルはアサの言葉からつけたらしいが、彼は恥ずかしがって、いまだにその意味を教えてくれない。だが、私はなんとなくその答えがわかっている。
「まだ喋る訳ないだろ!あ、そういえばお前また学校行き始めるんだって?」
ロロがわざとらしく彼らの名前から話題を変えた。
「そうよ。入学試験の結果がよかったみたい。年が明けたら高等学校での生活の始まり」
「行って何すんだよ」
「決まってるでしょ?」
そう言って、私は胸をはる。
「今度は私が、私の手で、空飛ぶ海を作るのよ。青い石に頼らなくたって、大空を駆け巡ってみせるわ」
その言葉に彼は目を丸くした。「お前には無理だ」とかなんとか言われるかと思ったが、彼は次に満面の笑みを浮かべ、起き上がった。
「そっか。そうだよな。お前ならできるよ」
不思議なことに、そう言われると、本当にできる気がしてくる。
「ところで、何か食べて行かない?」
彼に聞いてみる。ちょうどお昼時だ。
「あー、あんま腹減ってないんだよな」
「いいからいいから」
そう言って、私は屈み、笑顔で彼に手を差し出した。
空を飛ばない空飛ぶ海の先頭車両には、今、椅子が二脚あるのだ。




