32.宮廷裁判に向けて 後編
リーランドとバゼルが出立してから宮廷裁判の日まではひと月の猶予があったが、彼らが〝シュナーゼ〟に戻ってきたのは裁判がもう間もなく開廷されようという時刻だった。
眼鏡を外しても、輝く金髪は乱れ、土埃にくすんだまま。整った顔立ちも今日はどことなく肌艶が悪い。
リーランドの隣で「疲れた!」と言いたげに横たわるバゼルも、黒い毛並みが埃っぽく薄汚れている。
「ぼくだけ馬で、急いで駆けてきたんだ……ノイラ、セレネ」
「肝心な時に……」
「仕方がないですね……」
リーランドに名を呼ばれ、ノイラとセレネは両腕をのばした。
「〝浄化魔法〟」
「〝回復魔法〟」
それぞれの呪文にあわせて、ノイラとセレネの手から光が放たれ、リーランドを包み込む。
……が、リーランドにはとくに変わったところは見当たらない。
「ノイラとセレネも魔法が使えるの?」
「はい、発動までに時間がかかるうえに、効きすぎるという欠点がありますが」
「数時間後にピッカピカになって、しばらく抑制眼鏡でも隠せません」
「そうなの……」
「ほかに道がないときの、最後の手段なのです」
どうりでリーランドはボロボロのままだ。
「とにかく時間がない、行きましょう。レイト、ジャケットを」
「かしこまりました」
レイトがリーランドの埃を払い、ジャケットを着せる。
フレデリカのドレスはすでにノイラとセレネが支度をしてくれていた。裁判にふさわしい、落ち着いた藍色のドレスだ。
フレデリカの手を両手で握ると、リーランドはまっすぐにフレデリカを見つめた。
「乗っ取られた子爵家を取り戻しましょう」
「……! はい!」
フレデリカもリーランドを見つめ、頷き返す。
「格好つけるにはだいぶ最悪の状態ですが」
「……それは、言うな。フレデリカさん、こんなぼくで申し訳ありませんがエスコートします」
レイトの無慈悲なひと言により、リーランドはため息をついてドアへと向かう。手をとられているフレデリカもいっしょに歩きだした。
(……でも)
隣に並ぶリーランドを見上げて、フレデリカは頬を染めた。
疲れた顔をして、それでもこうして紳士らしくふるまってくれるリーランド。外見だけで言えばいつもよりは格好よくないのかもしれない。
でも澄みきったアクアブルーの瞳は、いつも以上に輝いて、フレデリカの胸をざわめかせた。
(私は、そんなリーランド様のことが……)
ドキドキとうるさくなる鼓動が手のひらから伝わるような気がして、フレデリカは焦って顔を伏せる。
慌てていたフレデリカは気づかなかった。
レイトがリーランドに、手紙を渡していたこと。その手紙には、ホレスベル王家の紋章があったこと。
「ぼくが連れてきた証人も、まにあえばいいのですが……あなたを陥れた者たちには少し、痛い目を見てもらわなくては」
馬車へと向かいながら、リーランドがぽつりと呟いた言葉にも。
*
宮廷裁判は、その名のとおり王宮で行われる。
貴族間での揉め事――領地や所有権をめぐる争いであったり、家督相続についての訴えを処理する機関だ。
フレデリカが国務院に申し出たヴェルチェ家の世襲に関する手続きは、サラやエイベルが否認したことで、宮廷裁判所の扱いになった。
(今日、決着がつく……)
王宮の廊下を、リーランドに手を取られて歩きながら、フレデリカは緊張に顔を青ざめさせていた。
「大丈夫ですよ、フレデリカさん」
リーランドはフレデリカを覗き込むようにほほえんだ。
涼しげな泉の水面のような瞳は言葉どおりに落ち着いていて、フレデリカの心も和らげてくれる。
「ありがとうございます……」
「大丈夫じゃないのはぼくのほうですかね……」
そう言ってリーランドは、微妙な顔で目を泳がせた。
王宮まで馬車で一時間ほど、諸々の手続きや待ち時間にさらに一時間ほど経ったものの、リーランドにかけられた魔法は効いてくる気配がない。
よくよく見れば今のリーランドには、目の下にクマまでできている。
大国の貴公子の、こんなに弱った姿を見せてもいいものだろうかとフレデリカは不安になった。
しかも裁判に行われる部屋には、リーランドが自分に好意を寄せていると吹聴したエイベルがいるのだ。
「しばらくは抑制眼鏡をかけておきます」
胸ポケットに入れていた眼鏡を取りだし、リーランドがかけると、いつもよりもっと悲しげな捨て犬を思わせる風貌になってしまった。
「ぼくのことは気にせず……フレデリカさんは、裁判に集中を」
「は、はいっ」
宮廷裁判が行われる部屋の前まできて、フレデリカはごくりと息を呑んだ。
複雑な模様の刻まれた、重たい扉に手をかける。
ゆっくりと扉を開けると、フレデリカは部屋に入っていった。




