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30.リーランドの怒り

 時は少し戻り、レイトが路地裏で静かに暴れていた頃。

 

 リーランドとフレデリカ、バゼルの二人と一匹は、王都郊外の王立公園へとやってきていた。

 バゼルを連れて店には入りにくいから、ピクニックに、と提案したのはフレデリカだ。小さな頃に、まだ存命だった父母と行った覚えがあった。

 

 王立公園はいくつかのエリアに分かれており、森林のなかの整備された道を歩いていくと、芝生の広場に出る。タンポポやシロツメクサの咲く広場で、吹き抜ける風を感じながら食べたサンドイッチは、とてもおいしかった。

 

 そうした記憶を思い起こしながら深緑の林を歩いていたフレデリカは、突然歩みを止めたバゼルに引っ張られるようにいっしょに立ち止まった。

 

「どうしたの、バゼル?」

 

 バゼルは道を外れ、木々の茂るほうへ鋭い視線を投げかける。

 

「ヴゥウ……」

 

 唸り声をあげるバゼルに、リーランドも険しい表情になった。

 

「フレデリカさん、こっちに」

 

 そう言って、リーランドがフレデリカの手を引いたときだった。

 

「フレデリカ……!」

「……! セルシオ……!?」

 

 茂みをかき分けるように姿を現したのは、フレデリカを婚約破棄したセルシオだ。

 婚約破棄の後に彼がネリガン公爵からの庇護を失い落ちぶれたことを、フレデリカは知らない。

 やつれて人相の変わったセルシオの様子にただ驚くばかりだった。

 

「やり直してくれ、フレデリカ……! エイベルは酷い娘だった。君がいないとぼくは……」

「――触れるな」

 

 低い声が届き、フレデリカは驚いてリーランドの顔を見上げた。

 フレデリカを庇うように立つリーランドは、アクアブルーの瞳に怒りを滾らせてセルシオを睨んでいた。

 

「フレデリカさんを傷つけたお前に、やり直してくれなんて言う資格があると思うのか」

「……ッ」

 

 気圧されたセルシオは、リーランドの視線から逃れるようにフレデリカを見る。

 

「フレデリカ! ずっと婚約者だったじゃないか。ぼくは君のために――」

 

 思わず、フレデリカはリーランドの腕から離れ、一歩前に出ていた。

 セルシオに手をさしのべる。セルシオの表情がほっとやわらいだものになった。

 

「フレデリカ――」

 

 その、ゆるんだ頬へ。

 音を立てて、フレデリカの平手が飛んだ。

 

 バチィン――と小気味よい音が散策路に響く。

 

「……婚約者だった、って。やり直したいって、エイベルは酷いって、あなた自分のことばかりじゃない、セルシオ」

 

 ふつふつと胸に沸くのは、怒りの感情。

 

 リーランドの言うとおりだ。

 セルシオはフレデリカを傷つけた。なのにそのことに対する謝罪もなく、彼の窮状を訴えるだけ。

 セルシオの「やり直したい」は、「自分の失敗をなかったことにしたい」、ただそれだけの意味。

 

 思い返してみれば、フレデリカが悪女を演じていたときからそうだ。セルシオは事情を知りながら、慰めの言葉をかけることもなかった。

 あのときはただ嫌わないでいてくれるだけでありがたいと思っていたけれど。

 

「一生ひとりで生きていくことになったとしても、あなたとやり直すなんてごめんよ」

 

 まっすぐなまなざしで告げるフレデリカに、セルシオは目を見開いた。

 唇はわなわなと震え、けれど言葉を紡ぐことはできない。

 

「ううう……」

 

 食いしばった歯の隙間から、うめき声が漏れた。と思うなり、セルシオの目つきが暗いものになる。

 振りあげられた手が握るのは、銀の刃が光るナイフ。

 

「うわあああああ!!」

 

 錯乱の叫びを発し、セルシオはナイフを振り下ろそうとする――が。

 

「――〝動くな〟」

 

 リーランドの告げた低い命令。直前のものとは違う、なにか、フレデリカでもぞくりとするような響きを持った声だった。

 命じられたとおりに、セルシオの動きがぴたりと止まる。

 

「〝伏せ〟」

「うわ……っ!?」

 

 リーランドが手を下へ動かせば、セルシオの体は押しつけられるように地面へ伏せた。一方、セルシオの手から離れたナイフは空中に浮かんだまま。

 フレデリカも目の前の光景を信じられない気持ちで見つめている。

 リーランドの瞳の奥には、怒りだけでなく実際に弾けるような火花が散っていた。

 

「ぼくのホレスベルでの称号は〝魔導師〟。魔道具を作るだけじゃなく、魔法も少しなら使える」

 

 レイトのように気配を感知することはできないが、敵がどこから来るかさえわかっていれば手は打てる。だからバゼルがいればいいと言ったのだ。

 ただ、セルシオが一人でここまでのことをしてくるとはリーランドにも想定外だった。

 

「あ……ああ……」

「もう少し空気を操作して、君の息の根を止めることもできるよ、セルシオ君」

「ヒッ、フレデリカ! やめさせてくれ、謝るから!」

「まったく……君はどうしてもぼくという現実を認識したくないのか」

 

 セルシオが呼ぶのはフレデリカの名だけ。もちろんそれは一途な想いなどという美しいものではなく、フレデリカなら味方になってくれるかもしれないというただの現実逃避だ。

 

「フレデリカさんの言うとおり、自分勝手な男だね」

 

 リーランドがひらりと手を振る。

 その瞬間、宙に止まっていたナイフが落ちてセルシオの目の前に突き立った。

 

「ヒ……!」

 

 恐怖に顔をひきつらせたかと思うと、セルシオは白目を剥いて気絶した。

 やれやれ、とリーランドが肩をすくめる。

 

「せっかくの楽しいデートだったはずなのに……申し訳ありません。怖かったですよね。戻りましょうか」

 

 眉を下げ、リーランドは言う。

 

「そんな……リーランド様が謝る必要なんてありません」

「ですが、レイトがいればセルシオが近づく前に始末できたはずです。レイトを宿に戻らせたのはぼくのミスでした。宿の周りをうろついている男たちを先に始末しようと思って」


(し、始末って、どういうこと? しかも宿の周りに人が? どうして?)

 

 あっさりと怖いことを、しかも二つも重ねられて、フレデリカは返す言葉が見つからない。

 

 そのうち冷たい目をしたリーランドが「こいつはどう落とし前をつけさせましょうか……」と呟き始めたので、

 

「バ、バゼルがうなったのは、セルシオに気づいたからなんですね」

 

 話題を逸らそうと、フレデリカはバゼルの頭を撫でる。

 バゼルは誇らしげに胸を反らし、「ウォンッ」と吠えた。

 

「ええ、精霊は戦闘力は低いですが、人の魂や感情の匂いを嗅ぎ分けることができるんです――」

 

 そう言ったリーランドの視線がふとなにかを思いついたように宙で止まった。

 

「そうか、もしかしたら……」

「?」

 

 よくわからないが、話題を逸らすことには成功したようだとフレデリカは息をつく。

 あのまま放っておくと、リーランドがセルシオに重い罰を与えるような気がした。フレデリカのために怒ってくれるのは嬉しいが、リーランドの気持ちや手を煩わせるのは忍びない――。

 

「……あれ、こちらでも何か?」

 

 声がしてはっと顔をあげれば、バスケットを抱えたレイトが気を失って倒れるセルシオを見下ろしていた。

 

「昼食をお持ちしたのですが……」

 

 言いながら、その場の状況からレイトはなにがあったのかをだいたい察したようだ。

 

「こいつにはどう落とし前をつけさせましょうか」

「……」

 

 セルシオの足先を蹴りながら問うレイトに、逸らしたはずの話題が戻ってきてしまった、とフレデリカは頭を抱えた。

あと5話くらいで完結の予定です!

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