3.ヴェルチェ家の内情・1
週末、下心を隠しきれない面持ちでヴェルチェ家に現れたジェリクを出迎えたのは、フレデリカではなくエイベルだった。
「こんにちは、ロングス伯爵様。あたし、エイベルと申しますわ」
「ああ、出迎えありがとう。……だが、フレデリカ嬢は?」
そわそわと視線をさまよわせながら義姉の名を出すジェリクに一瞬ムッと顔をしかめつつ、すぐにエイベルは上目遣いにジェリクを見上げた。
「フレデリカお姉様は別の殿方のお屋敷へ行って、昨夜から帰りませんの……かわりにあたしがジェリク様のお相手をするように、と」
「君が?」
そう言われてようやくジェリクがエイベルに目を向ける。
「はい。今日は話題のレストランを予約してくださっているとか」
にこりと笑うエイベルは可憐だった。
明るい色合いの彼女は太陽の下で魅力的に見えるだろうし、美しさはフレデリカほどではないが、愛らしさがある。
「やっぱり、あたしではだめでしょうか……?」
おずおずと尋ねるエイベルは、初心で男に慣れていないようにジェリクの目に映った。
フレデリカは誘えばまた応じるだろう。けれどこの純真そうな令嬢のほうは、今を逃せば二度と機会はないかもしれない。
遊び人らしい変わり身の速さで、ジェリクはエイベルへ笑顔を向けた。
「いや、そんなことはないよ。君のようなかわいらしいご令嬢にわたしでいいのかと考えてしまっただけさ。君がいいならエスコートさせてほしい」
「もちろんです。よろこんで」
さしだされた腕に手をおき、エイベルは頬を染めて笑う。
ジェリクはまったく気づいていなかった。
そうして馬車に乗った二人が屋敷から出ていくのを、フレデリカが二階の窓から見送っていたことに。
(エイベルはうまくやったみたいね)
ほっと息をつき、フレデリカは洗濯物の入ったカゴを抱え直した。
今の彼女は晩餐会のときのように妖艶なドレス姿ではない。麻のワンピースにエプロンをつけ、髪はひっつめて一つに縛っているだけ。
召使のような身なりは、実際にそうした扱いを受けているからだ。
「フレデリカ!」
鋭く名を呼ばれて、フレデリカは顔をあげる。
ツカツカと廊下を歩み寄ってくるのはサラ・ヴェルチェ。白髪の交じり始めたベージュの髪をまとめ、上等なドレスを着込んでいる。
「なにを突っ立っているんだい! 早く仕事をしないかい」
「申し訳ありません、お義母様」
つかみかかりそうな勢いのサラから一歩引くと、フレデリカはぺこりと頭をさげ、そそくさと歩きだした。
「メイドにやらせるんじゃないよ、ずるい怠け者め!」
背中に罵倒を浴びながら、フレデリカは裏庭へと向かう。
言われなくともメイドにやらせる気などない。
そんなことをすれば、サラはそのメイドを解雇してしまうから。
***
幼いころからフレデリカは美しい少女だった。
白い肌も繊細な黒髪もまるで人形のようだと言われてきた。フレデリカが笑えば周囲の大人たちは相好をくずし、家庭教師も彼女をうまく叱れない。子どもの集まりではお菓子おもちゃもフレデリカに集中してしまう。
ただし、フレデリカの両親だけは、彼女を特別扱いしなかった。肉親だからか、二人はフレデリカの言いなりにはならなかった。
二人はフレデリカを、褒めるべきときにだけ褒め、叱るべきときには叱った。
だからフレデリカはまっすぐな性格に育った――むしろ自分の特異さを自覚する賢さがあったぶん、やや気弱に育った。
友達が「大好きだから」と最後までとっておいたお菓子も、フレデリカが「ちょうだい」と言えば渡してくれる。まるで相手を操ってしまったようで、自分自身を不気味に思った。
こうしてフレデリカは、口数の少なく、引っ込み思案な幼少期をすごした。
フレデリカが十二歳のとき、もともと体の弱かった母が流行り病で亡くなった。
悲しみの中で一年をすごし、次の一年はようやく穏やかなものになったが、フレデリカはますます内気な性格になる。
外に出ることも減り、親に対してすらワガママを言わなくなったフレデリカを、父親は心配したようだ。
屋敷にサラとエイベルがやってきたのは、フレデリカが十五歳になり、社交界デビューの近づいてきたある日のことだった。
***
物音に意識を呼び覚まされ、フレデリカは慌てて立ちあがった。
手に持った布は乾きかけていた。たしか、階段の手すりを拭いていたはず。疲れて座り込んだ拍子に、うたた寝をしたらしい。昔の夢を見た。
玄関でメイドたちの出迎えの声がする。
(エイベルが戻ってきたのね)
弾んだエイベルの声に、まんざらでもなさそうなジェリクの声が応える。
フレデリカはそっと階段をあがり、姿を隠した。
他の男と遊び歩いているはずの自分が使用人に身をやつしているとは絶対に知られてはならない。
「それじゃあ、またいつでも」
「ええ、でも、お姉様がお許しにならないと……お姉様は、気に入らないことがあるとあたしをぶつのです」
「なんとひどい。そんな女だとは知らなかった」
嘘の涙を流すエイベルにすっかり骨抜きにされ、ジェリクは名残惜しそうに告げて帰っていった。
フレデリカへの興味はとっくに失ったようだ。
メイドが一人、階段をあがってきた。フレデリカを視界に入れないようにうつむきながら、メイドは大きな箱を両手でしっかりと抱えている。
中身はドレスだろうか。靴やバッグかもしれない。
(あいかわらずよくやるわね)
思わず感心してしまう。
悪女な義姉に命じられ、懸命に代役を務めた初心で純真な令嬢――そんなふうにエイベルは演じ、男たちにもそれを信じさせることができるのだ。
彼らがふらふらとフレデリカの色香に引っかかるのも、手のひらを返したようにエイベルになびくのも、フレデリカからすれば不思議で仕方がない。
(男性不信になりそうだわ……)
頬に手をあて、フレデリカは小さく息をついた。




