23.お姉様から奪った婚約者の様子がおかしい【エイベル視点】
貴族たちの前で、婚約者から悪女と罵られ、婚約破棄をされたフレデリカがヴェルチェ家からも社交界からも姿を消して数週間後。
エイベルはこれまでにないほどはしゃいでいた。
社交界の噂話の中心は、フレデリカからエイベルに移った。
「なんと……それではフレデリカ嬢は、君や夫人を子爵家で虐げていたのか」
「ええ、本当に恐ろしい毎日でした……セルシオ様が助けてくださったから……」
泣き顔を作り、エイベルは周囲の貴族たちに悲しげに語る。
「君のような可憐な令嬢を虐げるなんて」
「ありがとうございます……そんなふうに言っていただけるなんて、光栄ですわ」
涙に潤んだ目で上目遣いに見上げ、にこりとエイベルがほほえむと、励ましていた令息は顔を赤くした。
長年、悪女な姉の横暴に耐えてきた健気な妹が、正義に燃える婚約者の助けを得て、救いだされた――。
ヴェルチェ家の騒動が皆の目にそう映るように、エイベルは晩餐会に参加しては、懸命に噂を振りまいた。
もともと、エイベルはかわいらしい容姿をしている。フレデリカが誘いをかけた男たちを奪ってきたように、フレデリカさえいなくなれば社交界で注目を浴びるのは自分だと思っていた。
そしてその考えのとおり、貴族や令息たちは今度はエイベルに夢中になった。
そうした様子を、遠巻きに見て眉をひそめる人々もいたが、エイベルは気にしなかった。
(ただの嫉妬だもの、相手にするだけ無駄だわ)
けれど、もしエイベルが耳をすませていれば、自分の間違いに気づいたかもしれない。
「姉がいなくなったと思ったら、今度は妹ですの?」
「ネリガン公爵の後ろ盾があると語っているようですけれど、聞きました? 彼女の婚約者は姉のほうを婚約破棄して、ネリガン公爵の晩餐会から追い出されたって」
婚約破棄を途中でほったらかしてリーランドのもとに駆けつけたエイベルは、その直後にセルシオがネリガン公爵邸をつまみ出されたことも、その後、ネリガン公爵との決別があったことも知らなかった。
*
「ねえ、セルシオ様? またネリガン公爵様のお屋敷に行きたいの。リーランド様がいらっしゃるかもしれないんですもの」
ヴェルチェ子爵邸の応接間にて。
笑顔のエイベルに、セルシオは暗く澱んだ目を向けた。
「エイベル、ワガママを言わないでくれ。君の婚約者はぼくなんだぞ。わざわざ他の男に会うために公爵閣下のお手を煩わせるなんて、できるわけがないだろう」
「まあいやだ、嫉妬していらっしゃるの? リーランド様といえば、この国でもとても有名なお方でしょ。お知りあいになっておいて損はないわ。これはヴェルチェ家やセルシオ様のためなのよ」
セルシオは顔をしかめて首を振る。
いけしゃあしゃあと言うエイベルの台詞は、表向きには正しい。
しかしエイベルのために婚約破棄という大それた行動に出たのに、当のエイベルは背中を見せて走り去ってしまったのだ。そのおかげで、セルシオとともにつまみ出されることもなく、「先に帰るなんてひどいですわ」と文句を言う始末。
――エイベルはああいう子よ。あなたよりいい人がいれば乗り換えるわ。
フレデリカの声がセルシオの耳によみがえる。
(まさか……フレデリカが正しかったのか? 悪女のふりはエイベルの命令だと……何度もフレデリカが訴えていたことは、本当だったのか?)
屋敷を訪れ、つつましい身なりをするフレデリカを見ても、セルシオはそんなわけはないと内心で思っていた。
月に一度しか会わず、晩餐会でも別行動のフレデリカよりも、エイベルのほうが長くすごすようになっていたから。ほかの男に色目を使うフレデリカよりも、「実は、あたし、セルシオ様のこと……」と涙ながらに訴えたエイベルの言葉を信じるのは簡単だった。
(もしかしてぼくは、大きな誤りを犯したのでは……)
セルシオは顔を青ざめさせる。
一方のエイベルも、せっかく婚約したというのに浮かない顔のセルシオに苛立っていた。
そのほかのことはすべてうまくいって見えるのに、このセルシオだけが嬉しい気持ちに水を差す。
フレデリカの婚約者であったときには、セルシオのどっちつかずで優柔不断な態度は、エイベルの側に引き込むのにちょうどよかった。
しかし自分の婚約者となってみれば、自信なさげにおどおどとしてばかりで、こんなに情けない男がいるだろうか。
(それに比べて、晩餐会でお見かけしたリーランド様は本当に素敵だったわ……)
この世のものとは思えない美貌と、その美貌にふさわしい自信に満ちあふれた笑み。記憶の中のリーランドを思い描くだけで、エイベルはぼうっとしてしまう。
セルシオを伝手にしてネリガン公爵に取り入り、リーランドとの再会が果たせれば、社交界での地位だってもっと上がる。
「いいわ、だったらあたしからネリガン公爵に手紙を書きますから。セルシオ様の婚約者としてご挨拶はすんでいるのだし、ヴェルチェ子爵家の当主になるのはあたしだもの」
「やめろ!!」
立ちあがろうとしたエイベルの手を、セルシオはつかんだ。
セルシオの必死の表情に、エイベルがぎょっとした顔になる。
「痛い!」
「あっ、ご、ごめん……でも、ネリガン公爵は気難しいお方なんだ。勝手な行動は控えてくれ。ぼくがなんとかリーランド様にお会いできるよう、話をしてみるから」
「……セルシオ様って、自分のものになると態度が大きくなるお方なのね」
わかったとも言わずに、そんな捨て台詞を残してエイベルは応接間を出ていった。
主人のエイベルのほうが客人のセルシオを置いてどこかへ行ってしまったのだ。ひどく無礼なふるまいに違いない。
けれどエイベルを追いかけて態度を咎める勇気はセルシオにもなく、ただ肩を落として応接間を出て、一人で子爵邸をあとにした。
(……ふん、本当に情けない人)
すごすごと帰っていくセルシオの背中を二階の窓から見下ろして、エイベルは内心で毒づいた。
(お姉様はよくあんな男と何年も婚約者をしていたわね)
伯爵家の令息とはいえ四男という立場がそうさせるのだろう、セルシオは物腰やわらかでやさしく、貴族にありがちな偉ぶる態度をとらなかった。
結婚相手にするなら遊び人よりやさしい人、と思ったけれど、間違いだった。
「……?」
何気なくもう一度窓の外を見やって、エイベルは目を瞬かせた。
正面の道を一台の馬車が乗り入れてくる。馬車とすれ違ったセルシオが気まずそうな顔になるのをエイベルは見た。
馬車についているのは国務院の紋章だ。
(次期当主がお姉様からあたしに変わったこと、もう聞きつけたのかしら)
それともセルシオが届けを出してくれたのかもしれない。職業柄そういうことにはまめな男だ。
そう考えれば、セルシオの態度も許せる気がした。セルシオは書記官の資格をとり、その働きぶりが認められて、ネリガン公爵から目をかけられていると言うではないか。
エイベルが女当主として生きていくためには欠かせない存在であることは間違いない。
(そうよ、お姉様を追い出して、子爵家を手に入れるためだもの。少しくらいは我慢しなくちゃね)
セルシオはきっと、懸命に働いて、自分に贅沢をさせてくれるだろう。
機嫌を直したエイベルは、鼻歌を歌いながら、玄関先に停まった馬車を出迎えに行った。




