第三十六話 虚に宿る哀しみ
「久々に声がかかったかと思えば、今日はやけに静かだな」
「ヴェイドか……」
視界は暗転し、いつもの低い声が響いた。
しかし、なぜかその声はいつもと違う雰囲気を纏っていた。重く覇気のある声ではなく、優しく問いかけるようなそんな声色だった。
「……別に呼んだ覚えはないぞ」
俺はわざと冷たくあしらうように言い放った。その言葉にヴェイドは鼻で息をするように小さく笑った。
「いや、確かにお前は我のことを呼んだ。はっきりとな」
本当に思い当たる節はないんだが、まぁこれ以上突っかかっても仕方ない。それよりも今は、いつもと違うヴェイドの様子のほうが気になった。
「静か、って言ったな。あれはどういう意味だ?」
はっきりと姿が見えるわけではないが、ヴェイドの気配がする方へ視線を向け、問いかけた。
「言葉通りの意味だ」
その声は空気を振動させ、身体に直接響く。
「…………?」
相変わらずヴェイドの話は意味不明だ。考えてはみたものの恐らく俺の考えているような話ではないだろう。頭を抱える俺の様子をジッと見つめるような視線を感じる。やがてその視線が、俺から外れた感じがしたかと思うと、大きなため息のような空気の流れが地を揺らした。
「まぁいい、何故か今日は気分がいい。特別に少し話相手になってやろう」
ヴェイドはそう告げると、言葉を続けた。
「皆、我を呼ぶときはうるさく呼ぶもんだ」
「うるさく……」
「そうだな、熱意があるとでも言うのか?」
「……熱意」
「己の願望や欲望のままに呼びつけると言った方が合ってるかもしれんな」
ヴェイドは愉しそうに声のトーンを少し上げながらそう言った。その言葉の意味を理解できたのか自分でも分からなかったが、一つだけ明確な疑問が生じた。
「ということは、過去にお前の力を使った奴がいるってことか?」
「そうだ、全てを記憶しているわけではないが、初めは精霊の連中だったか。しばらく経ってからは人間に力を貸したこともあるな」
驚いた。過去にもこの得体の知れない力を使ったやつがいたなんて。しかも人間だけじゃなく、精霊にまで……
もしヴェイドの力が誰にでも使えるものなら、喉から手が出るほど欲しいと考える奴もいるだろう。後のことを考えなければ、神にでもなれるような力だ。
「けれど、どうしてか皆、最後には破滅の道を辿ったがな……」
ヴェイドは少し間を置いてそう告げた。いつも意気揚々としている彼の声が、この時は何故か少し憂いを帯びているように感じた。
「何が、あったんだ……?」
純粋な疑問を問う気持ちもあった。それよりも、ただあのヴェイドの哀愁漂う雰囲気がやけに気になった。
俺の言葉にヴェイドは「うぅむ……」と考えるように唸った。
「過程は様々だが、皆凄惨な死を遂げた。国一つが滅んだこともあったな」
淡々と語られた結末は俺の想像を遥かに超えていた。この力は自分のみならず周りを巻き込む——国のような大きな存在まで消し去る力を、ヴェイドの力を借りれば得られるということだ。そして最後はその代償として自分をも破滅へと導く。代償という二文字で簡単に語れるレベルではない。
「悲しいことだ……」
言葉を失った俺の前でヴェイドが放ったのは、小さな悲哀の言葉だった。いつもの皮肉めいた煽りの口調ではない。心の底から溢れたような小さな、でも確かな言葉。今までにない様子に、俺は再びヴェイドの気配がする方向を見た。
光と影の揺らめく“そこ”にはまるで小さな子どもが蹲っているかのような気配があった。
「ヴェイド、お前は一体……」
俺は、無くなったものを憂うヴェイドのこの言葉は本当だと思った。だからこそ俺は知りたくなった。今までただ恐れていた、代償を与える目の前の存在を。少しでも理解したいと思った。
目の前の揺らぎが穏やかに漂い「ふふっ」と優しい笑い声が聞こえた。
「カイル。お前は変わった奴よの……。いや、だからかもしれんな」
「なんだそれ、どういう意味だ」
今度は冷たくあしらうのではなく、冗談めいた口調で返した。仲間内で他愛もない会話をする時のように。
ほんの少しの間を置いて、大きな笑い声が辺りにこだました。
「グハハハハ! たまにはこういうのもいいもんだな。しかし、そろそろお別れだな。また呼んでくれ」
まったく勝手なやつだ。勝手に現れて勝手に帰りやがる。呼んでくれってもどうすりゃいいんだ。お前の姿を想像しかできないぞ、俺は。
「あ……」
そうか、想像だ。ヴェイドの力は想像を形にする力。強く想像すればきっと現れるだろう。そういえば、今もあいつが現れる前に、過去の光景を強く思い浮かべていたな。“呼んだ”っていうのはもしかしてそういうことか。もしそうなら仕方ない——また呼んでやるか。なんだか寂しそうだったしな。そう考えると自然と笑みが溢れた。
目の前がゆっくりと白に染まり、暗転していた世界がゆっくりと現実に近づく。どれだけこの場所に立ちすくんでいたのだろうか。土砂降りだった空は、いつの間にか雨が止み、雲の切れ間からは僅かに光が漏れていた。




