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竜杖球 ~騎手になれなかった少年が栄光を手にするまで~  作者: 敷知遠江守
最終章 飛翔 ~代表時代(後編)~
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第33話 見付で待っている

 昼食の準備ができたと呼びに来た土井さんだったが、居間の外で夫に足止めを受けてしまった。

 どんな感じなのかと扉の隙間から居間を覗くと、二人は応接椅子で抱きしめ合っている。美香は逃がすまいと両手で荒木の背に回した手に力を込めているし、荒木は荒木で泣いている美香の背を優しく撫でている。

 その光景に、土井は思わず耳まで真っ赤になってしまった。


「荒木さんも存外甲斐性無しだべな。接吻くらいすれば良いのに」


 土井の夫は小声で言ったつもりなのだろうが、その声はばっちり荒木まで届いていた。荒木の耳がみるみる赤く染まる。だが泣いている美香には届いていないらしい。まだぎゅっと荒木を抱きしめている。


「美香ちゃん、あんまり泣いちゃうとお腹の子に障っちゃうかもだから」


 そう言って荒木は美香の両肩に手を置いた。こくっとうなづいて、美香が荒木の背から手を離す。それでもまだうなだれ、顔の表情を髪で隠している。


 美香の頬に手を当て、荒木が顔を近づけようとしたところで、ぎいっと音を立て、居間の扉が開いた。


「お昼の用意できたよ。荒木君も食べて行く時間あるんでしょ?」


 土井が居間に入って来た。その後ろでは、「おい!」と言って土井の夫が土井をたしなめようとしている。


 美香が大泣きしてボロボロの顔を上げて土井の顔を見る。にっこりと微笑む土井。


「ご飯、食べるでしょ?」


 美香はすっかり口紅の落ちた唇をきゅっと噛み、首を縦に振った。


 土井が用意してくれた昼食も唐黍がふんだんに使われたものであった。唐黍の天ぷら、若摘み唐黍の素揚げ、ご飯にも唐黍がまぶしてある。


「う、うまっ!」


 若摘み唐黍の素揚げを口にした荒木から思わず感想が漏れる。


「嬉しい事言ってくれるなあ。これもう、うちではみんな食べ飽きちゃってる代物だからねえ。感想も何も無いものなあ」


 そう言って土井の夫が大笑いした。


「唐黍って、筍みたいに、若いうちはこのまま食べれるんですね。うわあ、美味しいなあ。毎日食べたいくらいですよ」


 そう言ってニコニコ顔で若摘み唐黍に箸を伸ばす荒木。「そんなに気に入ったのなら冷凍の物があるから送る」と言って土井の夫は笑い出した。

 すると、土井が何かを思い出したらしく、荒木の顔をじっと見た。


「そう言えば荒木君。美登里が怒ってたよ。職人選手なのに全然お肉を食べないって」


 唐黍に伸ばそうとした荒木の箸がぴたりと止まる。それを見て、土井の夫と美香が荒木の方に視線を移す。荒木の目があっちにこっちにと泳いでいる。


「荒木君、肉も魚も嫌いなんだって? 球団が管理栄養士付けてくれたのに、それでも好きな物しか食べないんだってね。しかも根菜ばっかり食べて」


 土井がじっと荒木を見る。必死に視線を反らす荒木。


「あの……豆類も食べてますよ、俺。あと葉物も」


 そんな苦しい言い訳をした荒木を、土井の夫と美香が「えっ?」という驚きの顔で見る。

 「それで?」と威圧的に言う土井さんに、土井の夫がまあまあと宥めた。


「け、健康的な食生活じゃないか、ずいぶんと。まるで入院した時みたいな……」


 残念ながら土井の夫も必死に庇った発言がそれだった。


「美登里言ってたわよ。誰かに付いてもらって、ちゃんとお肉を食べろって言ってもらわないとって。じゃないと職人選手としての寿命が短くなっちゃうって」


 この段階で荒木はやっと土井が自分では無く美香に言っているんだという事に気が付いた。恐る恐る美香の方を見ると、口をへの字にして、何かを覚悟したような顔をしてこっちを見ていた。そんな美香を見て、土井が何かやら得意気な顔をしている。


「俺も一回で良いから肉を食べろって言われてみたいもんだわ。健康のために肉を控えろってのは何度も言われるんだけどな」


 土井の夫がそう言って豪快に笑い出した。


「そのお腹見たら誰だって言うでしょ。羊鍋になると際限無く食べるんだから。それと、麦酒も飲みすぎ」


 土井が夫をギロリと睨む。土井の夫の笑い声が急速に乾いたものとなっていく。


「で、荒木君はいつまでこっちにいれるの?」


 食べ終えた食器を片付けながら土井がたずねた。


「実は薩摩郡の合宿に戻らないとなんですよね。なので、今日の内に室蘭空港から府内空港に行かないとなんですよ。しかも駅前の宿に荷物も預けたままで」


 片眉を下げ、参ったという顔をして荒木は頭を掻いた。そんな荒木を美香がじっと見つめている。


「という事は、夕方の便に乗らんとならんから、そんなにのんびりもできないという事か。もうその、美香ちゃんとの話は終わったんかい?」


 最後の部分は恐る恐るという感じで土井の夫はたずねた。

 荒木が美香を見て微笑む。


「ええ。多分」


 「それなら駅に向かおう」と言って土井の夫は車を出すために食卓を出て行った。

 土井が机の上を片付けるために背を向ける。その瞬間に、荒木は美香に顔を近づけ唇を合わせた。


「見付で待ってるね」

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