第31話 土井さんの今
唐黍を焼いている美香の姿は、腰から下に毛布をかけており、上半身は厚手の外套という状況。目の前で火を焚いているのに随分と厳重に防寒しているという程度の印象しかなかった。
だが唐黍を渡しに来たその姿で、荒木はその厳重な防寒の意味を察した。美香の下腹部が少し膨らんでいたのだ。
唐黍を渡した美香は、少しバツの悪そうな顔をして荒木に背を向け、また唐黍を焼き始める。
醤油の焦げる良い香りが周囲に漂い、その香りに釣られて、一人また一人とお客さんが寄って来る。今日は大繁盛だと土井さんが嬉しそうに言う。
邪魔になりそうと感じた荒木は、屋台を離れ、中央の焚火を囲む椅子に腰かけた。
途切れる事なく焼き唐黍の注文が入り、美香も大忙しとなっている。
毛布がずれた事で、美香が身重だという事がお客さんも見てすぐにわかるようになったらしい。「予定はいつなの?」やら、「大変だね」やら、「つわりは大丈夫?」やら声をかけてもらっている。そんなお客さんとのやり取りが美香には楽しそうであった。
朝市はかなり早くに終わる。
陽が高くなればもう店じまい、昼前には出店を畳んで公園の倉庫へ収納となる。鍋やら、調理機材やらは各人の小型輸送車に積み、余った商品を皆で囲んで食べてお開きとなる。
普段であれば周囲の店が片づけを手伝ってくれているそうだが、この日は荒木が片づけを手伝った。そのせいで、周囲の店からお駄賃だと言って余り物をいただく事になった。
「いやあ、唐黍おにぎりは当たりだったね。土井さん今日は結構稼ぎが出たんでないの?」
出店のおばさんがそう言って土井さんに笑いかける。
「そうですね。皆さんの助言のおかげで。次回はもっと仕込みの量を増やさないとですね」
そう言って土井さんも笑う。美香もつられてはにかんだ。
「美香ちゃんも少しお腹出てきたね。あまり無理しないようにね。今が一番大切なんだから」
別の出店のおばさんがそう言って美香を労った。
「でも、女手一つで育てていくなんて、よく決心したよね。土井さんも何かと大変でしょ」
別のおばさんがそう土井さんに向かって言う。
美香がちらりと荒木を見て、唇をきゅっと噛んだ。
「ところでさ、ずっと気になってたんだけど、そこのお兄さん、もしかして、竜杖球の荒木選手?」
一人のおばさんがそう言うと、全員は荒木に視線を集中させた。
荒木が恥ずかしそうに頷くと、おばさんたちは「おお!」と歓声をあげた。
「実はね、私、彼とはちょっとした縁があるんですよ。朝市やってるって聞いて様子見に来てくれたんだよね」
土井さんがおばさんたちに説明すると、おばさんたちは、署名してもらわないとと笑い出した。署名くらい構わないと言うと、じゃあ写真も撮ってくれと言い出すおばさんたち。
そんな事をしていると焚火がかなり小さくなり、和やかな雰囲気のまま打ち上げは終了となった。
土井さんの小型輸送車に美香が乗り込み、荒木は別のおばさんが乗せてくれる事になった。おばさんは本当に荒木が土井さんの応援に来ただけと思ってくれているらしい。道中、土井さんの事を色々と話してくれた。
そもそも洞爺湖の麓の伊達町に住んでいた土井さんが、なぜ苫小牧にいるのか?
どうやら土井さんたちはあのまま牧場を手放してしまったらしい。そのお金で苫小牧に畑を買い、そこで唐黍栽培を始めた。だが、いきなり違う事を始めてもそうそう上手くいくはずが無く、飼料用の質の悪い物しかできない。その結果、貯金はどんどん減って行き、こうして朝市で出店を出して生活費の足しにしているのだそうだ。
「中学生の娘さんが可哀そうだよね。無理やりこっちさ引っ越しさせられて、その上、畑仕事でほっとかれてさ。おまけに身重の居候まで増えちゃって」
そんなおばさんの話を、荒木は何ともやるせない気持ちで無言で聞いていた。
土井さんの家はかなり年季の入った一軒家だった。先ほどのお喋りなおばさんの話によると、この家には元々老夫婦が住んでいたらしい。その老夫婦が亡くなり、土井さんが畑ごとこの家も買い取ったのだとか。その頃は恐らく雨漏りもするようなボロ家だったが、こまめに旦那さんが修繕をして住めるようにしたのだそうだ。
「ほんと、よくここがわかったね。何? 興信所の人にでも頼んだの?」
そう言って土井さんはお茶を差し出した。一口飲むと、普通のお茶と味が違い、思わず口から離してしまった。
「あ、これ唐黍茶って言ってね、唐黍に髭っていうふさふさした物が出てるの知ってるかな? あれ実は雌しべなんだけど、あれを炒めてカラカラにしてね、それで淹れるとそんな風になるのよ」
説明されてからもう一度口を付けてみると、確かに少しの香ばしさと唐黍の甘さのようなものを感じる。
「そう言われてから飲むと、結構美味しいかもしれませんね、これ」
捨てるほどあると言って土井さんは豪快に笑い出した。その土井の隣で美香は荒木から顔を背けて、無言で唐黍茶を飲んでいる。
「で、どうやってここの事がわかったの? 私、美登里にもこの事は一言も言ってないはずだけど。なんなら苫小牧に引っ越した事すら言ってないはずだけど」
確かに広岡先生もわからないと言っていた。広岡は少し悪戯っ子な面はあるものの、根は真っ直ぐな人だから、知っていたらちゃんと知っていると言ってくれる。わからないと言っていたから、本当に知らなかっただろう。
「函館球団の選手が美香ちゃんによく似た人を見たって教えてくれたんです。たまたま朝市に来たんだそうで」
すると土井さんは「ちゃんと話を聞きなさい」と美香を叱った。
「それは何? 荒木君、ずっと美香ちゃんの事を探してたって事?」
荒木は土井さんから美香に視線を移した。
そんな荒木から目を反らす美香。
「もちろん。ずっと探してましたよ。だって、急に黙っていなくなっちゃたんですからね」
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。