第7話 東海の犬歯虎
「ちょっと美登里さん、何ですか、その恰好は。酔ってるからってちょっとどうかと思いますよ」
間違いない、美香ちゃんの声だ……
玄関を上がって、こちらにやって来る。
この乱れた服装を見られてしまったら、あらぬ誤解をされてしまうのでは?
荒木の鼓動が焦りで激しさを増していく。
バタンと扉が開く。
目が合った。
その時点で美香は何かを察したらしい。思い切り表情を強張らせた。
「そんな……まさか、二人がそんな仲だっただなんて……」
美香の瞳からじんわりと涙が溢れ出るのが見える。
何とか、何とかしないと……
焦る俺を、どういうわけか広岡先生は不思議そうな目で見ている。
「違う、違うんだ。美香ちゃん聞いてくれよ。悪戯されてたのは俺の方なんだよ!」
美香と広岡が同時に「えっ」と声を発した。
広岡がつかつかとやってきて、荒木の胸倉をむんずと掴む。
「ああ? 君ねえ、適当な事を抜かしてるんじゃないよ! 私がいつ君を――」
「ああ、なるほどね。美登里さんってちょっと酒癖悪いものね」
あっさり納得した美香を、目を見開いて心外だという表情で広岡が見た。
「え? 私って酒癖悪いの? そんな事言われた事無いんだけど」
きょとんとして荒木から手を離した広岡に、美香は畳みかけるように話を続けた。
「美登里さんは酔うとすぐに人との距離を詰めたがるんですよ。先日だって、何やかやって言って私の胸を揉みしだいてたの覚えてないんでしょ」
急に形勢が悪くなって、広岡はバツの悪そうな顔を作って二人から顔を背けた。
「そ、そんな事よりもさ、呑もう! 呑もう! お肉も一杯買って味付けてあるからさ、肉焼こう!」
こうして、本当に朝まで三人で呑む事になってしまった。
昼前に若松が双葉と柳司を連れて帰って来た時には、三人は酔いつぶれて寝ており、客間は驚くほど酒臭く、大量の麦酒の瓶が散乱していた。
薄っすらと開いた荒木の目に、若松が無言で酒瓶を片付けている姿が見える。
そんな若松がため息交じりで言ったのが聞こえてくる。
「この人、まだ職人選手と朝まで呑めるんだな。凄えな……」
*****
八月も見付球団の好調は止まらなかった。
幕府球団との差が開き始めており、残り九戦を残し、優勝はもうかなりまで決まったという感がある。
さらには得点王争いも荒木が断トツで、二位の鹿島、三位の槇原とはかなり差が出ている。
十月からは世界大会の二次予選が始まる。
一次予選を圧倒的な強さで突破した竜杖球瑞穂代表は、かなり国内でも話題になり始めている。
日競新聞が、かつてテエウェルチェが報道した記事を引っ張り出してきて『ヤガー』と称したという事を紹介すると、荒木の知名度は一気に跳ね上がった。
見付球団と瑞穂代表、両方の原動力が先鋒の荒木だという事は、多くの新聞が指摘するところであった。
そんな雰囲気の中、八月の初戦、幕府遠征でも得点を決めた荒木は、報道たちから大いに持て囃される事になった。
そして、瑞穂球技放送が荒木に新たな渾名を付けた。
『東海の剣歯虎』
剣歯虎は大昔に中央大陸北東部に生息していた大型の虎で、大きく突き出た二本の剣歯が特徴的。
とはいえ、氷土からそういう生き物が発見されたというだけで、実際に動いている所は誰も見た者はいない。ただし研究によって、恐ろしい速さで狩りができたであろう事がわかっている。
その『剣歯虎』という称号を報道はこぞって荒木の枕詞として使った。
荒木という選手を一目見ようと、本拠地三ヶ野台総合運動場で行われた小田原球団戦は超満員となった。
前半戦には荒木の出番は無く、前半終了近くになると、観客席から「荒木、荒木」と荒木を要望する声援が送られるという異様な状況に。
そこは関根もよくわかっている。まさに満を持してという感じで荒木を投入。
その恐ろしいまでの重圧の中、荒木は見事に三得点を決めた。
試合が終わっても球場は「荒木、荒木」の大合唱。応援団が応援歌を歌うと、球場中に応援歌の大合唱が響き渡った。
見付球団発足以来の初めての出来事に、多くの球団関係者が困惑している。
いつもなら試合が終わる前からそそくさと帰り支度をする観客たちが、試合後一時間を経過しても全然帰ろうとしない。何度も帰宅を促して、やっと帰ってもらえたという状況であった。
続く稲沢遠征、本拠地での多賀城球団戦も同じような状況であった。
しかもそのどちらも荒木は得点を決めた。このまま行くと地域大会の得点記録更新も見えてくるという状況。
残り五戦となった九月最終週の直江津遠征。
後半から出場した荒木は大暴れ。四得点という固め打ちで簡単に得点記録を更新ししてしまったのだった。
しかもこの試合で見付球団の東国優勝が決定。
『規格外の選手』
そう報道は荒木を持ち上げた。
試合後には越後郡の放送局に呼び出され、特番が組まれて、一時間みっちりと記者たちの質問に答える事となった。
見付に帰ってからも報道の過熱は続き、見付球団は荒木に対する取材の申し込みで通常業務がままならないと悲鳴をあげるような事態に。
そんな世間が竜杖球の認知度を急速に上げて大盛り上がりになっている中、一本の記事が『女性社会』という女性週刊誌に載る事になった。
『竜杖球の荒木 大人気放送員久野 世紀の大恋愛』
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